雨降りと墓参り


 暗い灰色の空からは、絶え間なく雨粒が落ちている。

 昼頃から降り始め、午後の三時を過ぎても尚、雨は降り止むことはなく、むしろ最初より雨脚は強くなっていた。


 ──そんな悪天候の中、少女は一人、丘の上に座り込んでいる。


 傘は差してない。

 カッパも着ていない。

 それなりに年輪を重ねてきたであろう、太く大きな木が傍にあるが、葉はほとんど枯れ落ちて、ろくに少女を雨露から守ってくれない。

 少女の髪も服も、濡れて皮膚にへばりついている。

 それでも彼女は、屋根のある所へ向かうことなく、草地に何も敷かずに座り込み続ける。

 ぼんやりと俯きながら、じっと、動かずに。


 ──座り込む少女の正面には、一基の墓があった。


 四角い墓石には何も刻まれていない。

 誰かの名前や、生年と没年など。

 色褪せ具合と、小さなひび割れを見るに、それなりの時間ここにあったことが窺えるが、刻まれた名前が消えてしまうほどの年月が経っているようには思えない。

 その墓石には最初から、名前も月日も刻まれてはいないのだ。


 ──何かを刻むことを、許されなかった墓だ。


「……来ませんね」

 少女がぽつりと、言葉を零す。

 とても、冷ややかな声だ。

「そろそろ、あなたの亡くなった時間だというのに、あの人はまだ来ない。それとも、やっぱり例年通り、来ないのかしら」

 呆れたように出された溜め息は白く。

 少女の身体は少し、震えている。

「今年は雨が降ってしまいました。ただでさえ、あの人は雨が嫌いだから、余計に来ない、来られないのでしょうね」

 おもむろに手を動かし、自分の二の腕の辺りをそれぞれさする。

「……こんな、雨の日に」

 少女は瞼を閉じる。

 在りし日の記憶に集中する為に。

 墓の下で眠る誰かの顔を思い出す為に。

「……それにしても、死ぬ間際になんて嫌な頼みをしてくるんですか。墓を作るなら二つ用意しろ、だなんて」

 能面のようだった少女の口から、苦笑が零れる。

「できるなら静かに眠りたい。でも、色んな人が話し掛けたり、誓いの言葉を口にしたり、叫んだりしたいだろうから、それぞれ二つ墓を作れとか。そして、もれなく皆さんやられてましたよ。本当に、慕われてますね」


 ──だからこそ、この墓には何も刻まれず。

 ──極一部の人間が、時折来るくらいで。

 ──それを実現する為に、苦労をした人間が一人。


「たまに悪態ついてるけど、あの人きっと、責任感じてるんですよ。だからこっちには来ないんです」

 遺体はこちらに。

 遺品はあちらに。

「単なる仕事仲間としてしか、あなたに向き合えない。……これで良いと思います?」

 否定を求めるその声に、返事はなく。

「小さい時からの友人を、自分のせいで死なせて、友人として悼むことを自ら罰して。……アレは、不幸な事故だったのに」

 二の腕を擦るのを止めて、そのまま掴んでいく少女。

「……今年も、私だけでした」

 悔しそうに呟くと、少女は立ち上がる。

「……来年、来年もまた……この日を迎えられるなら……次は、必ず、あの人を……ここに、連れてきますから」

 力ない声は、それが困難であることを、もはや言い慣れてしまったことを表している。

「……また、来ます」

 そして少女は、丘を降りていく。


◆◆◆


 日が沈んでも、雨は止まず。

 丘の上には、寒々しい大きな木と、白い花束が供えられた墓があるのみ。

 人の姿はない。


 ──だが、そこに向かって飛んでくる、一羽の鳥がいた。


 くちばしには長方形の何かが、咥えられている。

 墓の辺りまでくると、咥えていた物を落とし、木にも墓にも止まらずに、そのまま飛んできた方向へ戻っていく。

 落とされた物は──封のされた手紙。

 宛名も差出人も書かれていない。

 それは数日間そこに置かれ、白い花が全て枯れた頃、風に飛んでどこかにいってしまった。

 手紙の行方は誰も知らず。

 少女は知る由もない。


 ──誰が書き、

 ──誰か読んだか。


 ひっそりと続けられ、

 そうして、続いていく。

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