列車にて


「嘘しか言わないゲーム、あるじゃないですか」

「……へ?」


 休日午後二時の列車内。

 人気は疎らで、ボックス席に座る俺の周囲には二人しか客がおらず、一人は普通の座席でかくんかくんと船を漕ぎ、もう一人は俺の正面に座り、窓の景色を眺めていたはずだ。


「ですから、嘘しか言わないゲーム。子供の時にやらなかったですか?」


 話し掛けてきたのは、目の前の客。

 黒いキャスケットを目深に被り、黒いブラウスに黒い短パン、黒いニーハイソックスに黒いショートブーツと、とにかく黒尽くめの若い女。

 俺と同じくらいの高校生か、それとも年下の中学生か。

 窓に視線を向けたままで、気だるげに訊いてくる。


「……あんまりピンと来ないし、やったことないかも」

「そうですか。一応、そういうゲームがあるんですよ」


 はぁ、としか答えられない。

 一人で何となくで電車に乗り、何となくで乗り換えてきたので、地元からはとうに離れている。

 彼女は知り合いでないし、そもそも見覚えはないし、話し掛けられるようなきっかけだってありはしなかった。

 何だ何だ何なんだと、戸惑いしかない。

 彼女はそんな俺を笑わず、無表情に景色を眺めたままで続けた。


「名前の通り、嘘をつくだけのくだらない遊びです。一発で分かるようなものでもいいし、真に迫ったものでも構いません。それが嘘であり続けるなら」

「……」

「ただ、とある……カップルか夫婦、いや単なるお友達か、私達みたいな行きずりの関係か、そんな男女の二人組が、列車に乗ってる間の暇潰しにそのゲームをやったんですよ。何度も何度も、代わる代わる」


 暇なんで私達もしませんか?

 ……という、遠回しな誘いかと思ったが、違うらしい。


「どっちの番か忘れたので、一応女にしときましょう。彼女はこう言ったんです、今から私は嘘をつく、と」

「……嘘をつく遊びをしてんだから、言わなくてもいいだろ」

「そうなんです。けれど彼女はそう前置きして、語り始めます。次の次の停車駅に向かう途中で、この列車は脱線事故を起こす。何人か死人も出てしまうのだけど、その中に、私達も入っているのよ」

「……あの」

「聞かされた男は笑い飛ばし、次の嘘を考えた。考えている間に電車は止まり、答えが分かった瞬間に動き出す」


 しばらくして、男は顔を青褪めさせた、と。

 そんな風に締め括った彼女に、俺は言った。


「それ、よくある意味怖だよね?」

「えぇ、そうです」


 嘘をつくゲームをしてる最中に、これから嘘をつくと言った。

 それはつまり、語られることは本当のことということになる。……だったかな。その後にまだ何かあったかもしれないが、今は思い出せそうにない。

 彼女は俺に返事をしたっきり、何も言わない。


「それがどうかしたの?」


 唐突に変な話をされたことに、何となく尻の座りが悪くなり、責めるような口調で訊いてしまった。


「……いえね」


 そういうことにしてしまおうかと思って、と彼女は答える。


「そういうこと?」

「嘘をつくゲーム。それをして、それとなく列車から降りるよう誘導しようかと思いまして」

「……何で、そんなことを?」


 彼女は相変わらず、景色を眺めている。


「本当にこの列車、次の次の停車駅に向かう途中で、脱線事故起こすんです」

「……まさか」

「ほら! 普通に話しても信じない!」


 否定の言葉に、やっと、彼女は俺を見る。

 俺を睨み付けるその目に、いや目の色に、俺は息を呑む。

 キャスケットを目深に被ろうと、その色は隠しきれはしなかった。

 ──冷ややかな、深い青色をしている。

 顔立ちは東洋系だが、どこかとのハーフだったりするんだろうか。


「分かってる、分かってるんです! だって私には証拠がない! ただ単にあなたとこの時間に乗り合わせただけ! 次の駅であなたを降ろすただそれだけの簡単なことが、だけど他人である私にはとても難しい! 降りてもらわないとあなたは死ぬのに!」

「え、ちょ」


 船を漕いでいた客が起きたのか、別の客がいつの間にか来てたのか、背後から視線を感じる。

 変な女と乗り合わせたな……。

 席から立ち上がり、鼻息荒く俺を見下ろす彼女を、しばらく見つめた後、


「降りればいいの?」

「……っ!」


 そう言った。

 固まる彼女に、降りてもいいよ、と続ける。


「そうしないと君が困るなら」


 それで彼女が落ち着くなら。


「……いいんですか?」


 面倒だから無言で頷く。

 彼女はしばらくじっと俺を見下ろしていたが、車内アナウンスが次の停車駅を告げた所で、やっと口を開く。


「……ありがとうございます」


◆◆◆


 列車から降りてすぐ、目に入った男性トイレに駆け込む。

 彼女の望み通り、降りてあげたんだ、もうあんな訳の分からない奴には付き合いたくなかった。

 次の列車が来るまで、そうしているつもりだった。


 だけど──。


 しばらくして、何か大きな音がどこからかして、建物が揺れる。

 誰かが声を上げたと思ったら、徐々に外が騒がしくなってきて、不安になってきた俺はトイレから出た。


「……っ」


 何人かの大人達が集まって、俺が降りた列車が行った方向を見ながら、指差したり、スマホを向けたり、何か叫んだりしている。

 駅員さんも出てきて、やめてくださいと皆に言ってて……。


 ──事故が起きた。

 ──避難しましょう。


 ぼんやりとした頭に、それだけが届く。

 駅員さんが人々を駅の外へと誘導する

 押されながら、足を踏まれながら、俺は駅の外へ。

 そういえば、彼女はどこに?

 落ち着いてから辺りを見渡してみたが、彼女を見つけることはできなかった。


 果たして、彼女は何だったのか?


 暖かな午後の陽光に肌を晒しているというのに、俺は無性に寒さを感じて仕方なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る