だめだ

 あぁ、これは死んだかもしれない。


 地面に倒れゆく彼の姿は、私の脳がそうしてるのか、実際にそうなのか、いやにゆっくりだ。

 どうやら背中を斬りつけられたみたいで、徐々に彼の服には赤い染みができてゆく。

 彼の顔に目を向けようと思った時には、もう、地面に完全に倒れた後だった。

 私は一歩も動けない。呆然と、彼を、もしかしたら彼の死体を、まだ死ぬ寸前の、虫の息かもしれない彼を眺めていた。

 あぁ、これは死んだかもしれない。

 もう死んでるかもしれない。

 彼でも死ぬのか。こんなにあっさり死ぬのか。

 そんなことばかり思いながら。

 すぐ傍には、彼を斬りつけた相手がいる。このままだと、私にもその刃の切っ先が向けられるだろう。だから早く逃げないと。

 ──死にたくないのなら。

 生きたいなら、逃げないと。……だけど、私の身体は動かない。

 なんなら、このまま呆然と彼を眺めたままでも──彼を殺した相手に殺されてもいいかもしれないと、そう考えている自分もいるのだ。

 だって見た感じ、彼の出血量はかなり多く、血溜まりができている。

 ……彼の生存は絶望的だ。

 仮に、彼を背負って逃げるとしても、私には彼は重すぎて、こんな状況でうまく二人逃げられるか分からない。

 なら、置いていくか? ──そんなひどいことしたくない。

 もしも、どこぞのヒーローが助けに来てくれたとしても、私しか助からないだろう。

 この先、生き残った私に与えられるのは、彼のいない世界だ。

 それならここで、彼を殺した相手に殺されて、彼と共に死ぬのが、私にとって幸せなことなんじゃないか? 

 だから私は、動かない。

 そうやって、彼と──


「──ふざけんな!」


 彼が立った。

 自分の血に濡れた地面に手をついて、何度もよろけながら立ち上がり、私を庇うように身構えて、これから私に斬りかかろうとしている相手に向き合う。

 何で、彼は生きてるのか。

 今までそこに、私の目の前で、血を流して倒れていたのに。


「俺は、諦めが悪いんだよ……知ってんだろ?」


 力なく笑いながら彼はそう言った。

 呆然と、さっきまでが諦念なら、今は驚愕で、彼を見る。

 私はこの状況に、答えが欲しいのか。


「俺は、お前を残して、死にたくないんだよ。だってお前、俺がいないと、生きないから」


 その声は笑ってるようにも、怒ってるようにも聴こえる。一歩、重い一歩を踏むと、彼は言った。


「ここを乗り切って、一緒に生きるぞっ!」


 どこまでも力強い、自分にとって唯一無二のヒーローの言葉は、生きることを諦めたはずの私の瞳から涙を流させるには十分で。


 ──この人の生きる世界でないと生きられない。


 溢れる水滴で不鮮明になっていく視界で、どうにか、敵に立ち向かう私のヒーローの背中を見守った。

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