天使の絵
久し振りに、お前の家に行っても良いかと言われ、待ってみれば驚いた。
玄関に立つ友人の頬はげっそりと痩け、目の下にはどす黒い隈を作り、視線は合わず、小刻みに震えている。
何か妙な薬でもやってるんじゃないかと訝しむ俺に、友人は強引にある物を押し付けてきた。
風呂敷に包まれた、大きな長方形の何か。……いや、何かしらの絵画だろうか。
俺にも友人にも、絵画鑑賞なんて高尚な趣味はなかったはずだが。
どうしたんだよこれ、と訊いてみれば、もらったんだと友人は答える。
誰に? とも訊いたが、友人はそれには答えない。
ただ単に自慢に来た、と思うには、友人の様子は普通じゃない。
更に問い掛けようとしたが、その前に友人が口を開いた。
それには、傍に置いておくだけで幸せを運んでくれる天使が閉じ込められている。
持っているだけで何もかも上手くいく、とんでもない代物なんだ。
だけどその分、厳しい決まりごともある。
絶対に風呂敷から出してはいけない。まして部屋に飾るなんてそんな愚行は犯すな。
天使に外の世界なんて見せてはいけない。
自由に焦がれた天使は、所有者に牙を向いてくるからな。
押し入れにでも入れとけば大丈夫だからと、それだけ言って友人はさっさと帰ってしまった。
妙なテンションの友人に驚いて、荷物を押し付けられた怒りは湧かなかった。
幸い、自宅の押し入れには絵画を仕舞っておけるだけのスペースがあったから、言われた通りそこに放置していた。
──翌日から徐々に変化が起こった。
絶版になってしまい、それでもずっと探していた本を、初めて行った古本屋で見つけた。
しかも、同じ本を探していた女性と鉢合わせ、それがきっかけで連絡先を交換し、気付けば一緒に出掛けるような仲になっていた。
仕事でもミスが少なくなり、上司から大切な仕事を任されたり、後輩に頼られることも増えていき。
公私共に充実してきたことに調子に乗って、宝くじを買ってみれば……三等が当たった。
さすがに一等とまでいかなくていいから、三等くらいは当たってほしいと思っていた結果がこれだ。
俺の望みが全て叶っている。
あの絵画を押し付けられてから──もらってから。
もはや友人の言葉など忘れていた。友人のその後だって知らなかった。
絵画のことしか──天使のことしか、考えられなかった。
俺に幸せを運んでくれた、俺の天使。
そんな存在を押し入れに仕舞ったままでいいんだろうか。
押し入れからそれを取り出して、風呂敷からも出した。
初めて目にした天使は、羽が生えてて、頭に輪っかがあって、とても大きな目をしていた。
………………。
天使と目が合った。
◆◆◆
頬の痩せこけた不健康そうな男は、カラフルな友人と酒盛りをしていた。
「それにしても変なもん描いたよな、お前」
「多分酒に酔ってたんですよ」
友人の髪や顔、身体の至る所には、何色もの汚れが付いていた。
趣味か仕事か、絵を描いていることは一目瞭然。
「君も君ですよ、あんな物を天使だなんて」
「中を見るまでは分からないだろう? それにそれこそ、酒に酔ってたんだよ」
「薬で飛んでたの間違いでは?」
「俺はシャブなんか嫌いだ」
「そうでした」
ゲラゲラと笑い合いながら、酒が進む二人。
「ま、薬も酒もやってなければ、あんな物を天使だなんて思いませんよ」
「羽も輪っかもあるのにか?」
「片っぽしかない上に折れかけの羽、伸びすぎた毛がたまたま輪っか状になっただけ。そもそも、天使って大体美少女か赤ん坊の姿なのに、あれはなんか……スー○みたいな丸っこい化け物じゃないですか」
「スー○に謝れ」
「ネタにしてごめんなさい」
よし、と満足そうに男は頷く。
「何より、あれだな」
「あれですね」
「「目」」
「目玉一個だけで、しかも妙にギラついた目だもんな」
「それは天使でなく、悪魔ですね」
「確かに!」
「……連絡、全然ないんでしょう?」
「そうそう不思議なことに。あいつの性格考えたら、さっさと見そうなもんだけどな」
「君の様子がよっぽどおかしかったんでしょう」
「そんなに酷いか?」
「酷い」
「まじか」
酒が進む。
酒盛りは続く。
それは朝まで、男が眠るまで。
──床に転がった男を、友人は見下ろす。
「…………君はさっさと開封して、幸せを噛み締める暇もなかったもんな」
冷たい眼差しで男を見ていると、ふいに、誰かに呼ばれたかのように後ろを振り向く。
「彼もついに開けたか。いつまで持つか」
そして、友人は──カラフルな芸術家は、音もなく姿を消した。
後に残ったのは、息をしていない男のみ。
◆◆◆
家が燃えた。
本を失い、彼女にフラれた。
仕事でミスが続いてクビになった。
宝くじのお金で住む場所は確保できたが、次の仕事が見つからない。
何でこんなことになってしまったか。
……天使と目が合ったからに決まってる。
友人も言ってたじゃないか、絶対に開けるなって。……でも。
「君だけは、俺の傍にいてくれるな」
顔の辺りを撫でながら言った。
「少し個性的な見た目だけど、俺は好きだよ」
微笑むその顔は、在りし日の友人を思わせる。
「ずっと、一緒にいてよ」
頼むから。
そう言いながら、顔の辺りを撫で続けた。
天使に夢中な男は、自分を見下ろしてくる者の存在に気付かない。
「…………」
こんなはずじゃなかったんだけどな、とでも言いたげな、微妙な顔をしていることに。
最後の最期まで、気付かなかった。
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