甘い人


 最初は野良の殺人鬼だった。

 それが雇われ殺人鬼になったのは、雇い主に腕を見込まれ、脅されたもとい交渉をされたからに他ならない。


「人を殺せば死んでしまうでしょ? そしたら死体の始末ってどうしてる? ──私、死体をうまいこと使ってくれる人を何人か知ってるのよ」


 死体なんていつも放ったらかしにしていたけど、断ることなど不可能な状況で。

 ……まさか、両腕を人質に取られるとは。

 腕とお別れする気など毛頭なく、求められるままに手を組むことになった。

 基本的には自由に殺して良いとのことだったけれど、たまに、雇い主が殺してほしい人間がいれば殺すことになっていた。何をされるか分かったもんじゃないから、全て従ってきた。


 今回も、その件での呼び出し。

 ただし、少し変わった要件だった。


「正直、迷ってるのよね。今消すか、もう少し後で消すか」


 僕が殺すことは決定事項。

 ただし、タイミングを決めかねている。


「私の大好きなあの人に纏わり付いてる小娘でね、邪魔だなーって思いつつ、使いようによっては楽しませてくれると思うのよ」

「……」

「え、訊いてよ」

「……どんな楽しみ方を?」

「もちろん、あの人の目の前で、あるいは電話越しに小娘を拷問とかして、私にひざまずせるとか、許しを乞わせたりとかしてね、私の言いなりにするの。ある程度私が満足したら、私かあなたが小娘を殺して、あの人の絶叫や絶望した顔を引き出させるとか、まぁ、そういうことをね」


 まともじゃない、なんて感想は抱いてはいけない。

 出会った時から分かっていたことだし、そもそも、殺人を犯すような自分に、そんな資格はないのだ。

 ──結局、雇い主がこの時求めていたのは、くだんの小娘を数日監視してほしいというもので。

 報告によって、小娘をどうにかする時期を決めるんだそうだ。

 正直、どうでもいい。

 好きな時に人を殺せる自由を約束してくれるなら、

 雇い主の歪んだ欲望も、

 そいつに好かれた奴のことも、

 監視対象で未来の殺害相手の末路も、

 ……全部、どうでもよかったはずだ。


◆◆◆


 監視をしてから知ったが、どうやら雇い主の想い人はそれなりに有名な探偵のようで、小娘はその助手らしい。

 探偵は武術の心得があるようだが、助手は全くの素人なようで、二人がどうして一緒にいるのかと言えば、探偵に一般常識がなく、助手が付き従って様々な補佐をする必要があるからだった。……正直、どっちが大人なのかと言いたくなる場面が多々あった。

 推理力はあるくせにコミュニケーション能力はないらしく、奴と喋った相手はもれなく気分を害し怒りをぶつけてくるので、助手がよく間に入り……時折、怪我をすることもあった。

 探偵は怪我に気付けば、謝りそして不器用な処置をするが、気付かなければ何もしない。痛みに目を細める姿を見て、首を傾げるその様子に、いつの間にか苛立つようになっていた。

 探偵は何故、彼女の怪我に気付かないのか。

 彼女は何故、あんな人間の傍にいるのか。

 同じ歳の少女よりも小柄で、か弱いくせに。


「私はただ、見たいものを見る為に……いえ、見たいものを見せてくれるお礼に、先生の助手をさせてもらってるんです」


 本人から聞くつもりはなかった。

 話し掛けるつもりはなかった。

 けれど、前日思いきり踏みつけられた足を庇いながら、探偵の待つ事務所に向かう道中、通行人に突き飛ばされた拍子に尻もちをつき、しばらく動けなくなった彼女の姿を見ていたら……。


「大丈夫かい?」

「……え、あ、はい」

「立てそう?」

「……っ! ちょっと……」

「……それ、大丈夫じゃないよ。肩、ちょっとごめんね」

「えっ!」


 すぐ傍に公園があったからそこまで連れていき、近くの自販機で飲み物を買って、それを即席アイスノンにして患部を冷やさせる。尻もちをついた際に怪我は負ってなかったようだが、前日踏みつけられた箇所が赤く腫れ上がっていたので。

 病院に行った方が良い、なんなら連れてってあげようと言った所で、我に返る。

 監視対象に何故接触したのか。

 いや、それより、

 ──何で、彼女を心配しているのか。

 他人なんか、どうでもいいはずなのに。

 急に口を噤む僕をぼんやり見ながら、彼女はけっこうですと断った。


「冷やしてればどうにかなりますし、目的地、いえ、自宅はすぐ傍なんで、ほんと、大丈夫です」

「でも、悪化したりしたら」

「信用できる大人もいますし、大丈夫です」

「──大丈夫じゃないんだよ! あいつは君が怪我してることも知らないじゃないか!」


 おかしい。

 何故自分は、こうも感情的になってるのか。

 首を傾げながら無言で見てくる彼女の視線に、遅れながら僕は自分の失言に気付く。

 何て、誤魔化すべきか。


「……記者の方?」

「え?」

「最近、つけられてるなって思ってましたが、もしやあなたが?」

「……」


 頷くか少し迷っていると、

 彼女が、小さく笑みを溢す。


「甘い人ですね、色々と」


 嘲りも呆れもそこにはない。

 あるのはただの、優しげな笑み。


「これは私のエゴなんです」


 ──私はただ、見たいものを見る為に……


「人が強い感情を発露する場面、というのがすごく好きなんです。強ければどんな感情でも構わない。怒りでも憎しみでも悲しみでも喜びでも。そんな時に浮かべる人の表情って……とても人間らしいんです。能面のような表情の父と人形のように言いなりな母と暮らしたせいでしょうか、人間らしさっていうの、よく、分かんなくて。知りたい欲求が強すぎるのかも。だから、それを知れる機会が、見られる機会があるなら、逃したくない。あの名探偵の傍にいれば、そういう場面に高頻度で出会でくわすと思って、だから、だからこれは、最初から最後まで私のエゴなんですよ」


 そして自業自得です。

 一息にそこまで言うと、固まる俺の方に顔をぐいっと近付け、覗き込む。


「記者さん、あなたは先ほど、私に声を荒げました。……けっこう、素敵な顔をしてましたが、もっと引き出せると思うんです」


 優しげな笑みは消えていた。

 その目は、虎視眈々とこちらを狙う獰猛さがあり、とても……目が離せない。


「面倒をおかけしました。そろそろ行かせてもらいます。探偵のおやつの時間なので。……最初こそ下心から近付きましたが、アレでも尊敬できる所がちゃんとありますので、悪しからず」


 機会があれば、またいつか。

 彼女はそう言って、立ち上がろうとするも、よろけてしまいそうになったから、思わず支えていた。


「……」

「……ごめんなさい、記者さん。だいじょ」

「エントランス!」

「……っ」

「エントランスまで、肩を貸してあげるから。その後は、頼りになる大人と、病院に行くんだ」

「……記者さん」

「……記者じゃないよ」

「じゃあ、何ですか?」

「……」


 何も言えず、彼女を探偵の待つアパートまで連れていき、エントランス、いやエレベーターまで行って、別れることになった。

 ──監視対象との行き過ぎた接触なんて、もはや頭になく。


「今度こそ、お別れです。……お世話になった人を、不審者呼ばわりはできませんね」


 どちら様ですか、と砕けた調子で訊かれたから、思わず言った。


「──殺人鬼」

「……?」

「なんて言ったら、どうする?」

「……ふふっ」


 彼女はまた、笑みを溢し、


「──では、いつかあなたが私の名探偵に罪を暴かれ、今日みたいに、今日以上に感情を露わに、私の目の前で自供してくれる日を楽しみにしてます」


 そして僕達は別れた。

 彼女の姿が消えてからも、

 彼女のいる建物から離れてからも、

 彼女の、可愛らしい顔に似つかわしくない獰猛な視線が、目に焼き付いて忘れられず、何だか微妙に呼吸がしずらかった。


 その状態は、彼女の殺害許可が出るまで変わらず続き、

 その命令を聞いて、今までなかった拒否感に襲われてはじめて、


 ──僕は彼女に、心奪われていたんだと気付いた。

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