なんでもない一日


 眠る彼女は美しく。

 まるで死体のように動かない。

 微かな寝息が聴こえなければ、死んでいると思うほど。


 僕はその寝顔を見下ろしながら、手には刃物を持っている。


 最近、気が付くと台所から刃物を持ち出していることが多々あって、今日もどうやらそんな夜らしい。

 いつもなら、そのまま戻しに行く。

 けれど今夜は、眠る彼女の傍に寄った。

 カーペットは音を吸収し、寝付きが良いのか目覚めることもなく。

 もう数分の間、こうしている。


 僕は彼女が好きだ。

 今まで出会った誰よりも好きだ。

 彼女が生きていることは何よりの救いで。

 ……なのに、僕は刃物を持っている。

 それを突き刺したいとか、

 それで切りつけたいとか、

 まるで思っていないのに。

 とても、優しい人。

 いっそ、悲しいまでに、優しい人。

 そんな人に、僕は、何で……。


◆◆◆


 起きた彼女はパンを食べる。

 トースターで二分半焼いて、マーガリンと林檎のジャムを塗りたくり、大きな口でかぶりつく。

 ハムスターみたいに頬を膨らませながら、彼女はおかわりを所望する。

 二枚、三枚、四枚。

 結局五枚も食べて、林檎ジュースを一杯飲んだ。


「いつもありがとう」


 二枚目を食べ終えた僕にそう言うと、彼女は食器を洗ってくれる。

 調理は僕、片付けは彼女。

 一緒に暮らして三年目になる。

 何もなければ四年目、五年目以降も一緒にいるはずで。

 何もなければいいなと日々願っている。


『今日未明、■■■市のマンションで、女性の他殺体が発見され』


 穏やかじゃないニュースがテレビから流れた。

 彼女は台所で洗い物をしている。

 音量は小さめだから、聴こえていないはず。

 僕はリモコン片手に、そのニュースを見ていた。


『その部屋の押し入れに、人間の頭骨と思しき物も発見されたことから、警察では、探偵に捜査協』


 テレビを消した。

 朝から嫌な物を見てしまった。

 台所の方に行き、スポンジを泡立てる彼女に訊いた。


「何か聴こえた?」

「何が?」


 彼女は振り返らない。


「……聴こえてないなら、いいや」

「そんなことより、今日はどうする?」

「……家にいたいかな。録画したドラマ見たいし」

「ゾンビの?」

「ゾンビの」

「私も続き気になってたし、見れる所まで一気に見よう」

「……ありがとう」


◆◆◆


 ソファーに寝落ちした彼女を、寝室のベッドまで運ぶ。

 彼女はどんな夢を視ているだろう。

 僕の夢だけ視ていればいいのに。

 ぼんやり眺めていて、気が付いた。


 僕は枕を持っていた。


 何でこんな物を持って、眠る彼女を眺めているんだろう。

 枕は、眠る為の物なのに。

 仰向けに眠る彼女を、僕は、いつまで……。


「──っ!」


 枕を床に叩きつける。

 それなりの音が鳴ってしまい、彼女が起きてしまった。


「……どうかした?」


 僕は彼女に抱きついた。


「……どうやら僕、酷い夢を視てるみたいだ」

「そんな日もあるよ」

「そんな日、ばっかりだよ。……早く、目覚めたいのに」


 彼女は、僕の背中を撫でてくれた。


「焦らなくていいよ。いつかきっと、そんな夢を視なくても大丈夫になるから」

「……そうだと、いいな……」


 しばらくそうした後に、僕らはそのまま寝ることにした。

 手を握ってくれる彼女の温もりに泣きそうになりながら、僕は眠りにつく寸前まで願った。


 何も起きませんように。

 明日も彼女が生きてますように。

 絶対に、彼女を手に掛けたりしませんように。


 ──必ず、平穏な一日になりますように。


 そうして、僕らは眠りについた。

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闇鍋三昧 黒本聖南 @black_book

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