探偵助手、殺人鬼に捕まり
敬愛し、常にその背を追った探偵は、今、私の傍にいない。
いるのは、一人の殺人鬼だ。
「僕は常々、探偵から助手を奪えばどうなるか、気になっていたんだ」
ボロボロの縄で縛られた私を床に転がし、殺人鬼はその手に小振りのナイフを持って、しゃがみこんで私を見下ろす。
窓がある部屋らしい。そして夜のようだ。
部屋の中は暗いが、窓から月の光が入ってきて、殺人鬼の顔はよく見えた。
「僕にとって、一番身近な探偵助手は君だった。けれど、君の殺害許可はこれまで全く下りなくてね」
「……私は、誰に生殺与奪を握られていたのですか?」
奇妙なことに、私は目隠しも
手足を拘束されているだけだ。
殺人鬼は表情も変えずに続けた。
「僕の雇い主にして、君のよく知る人物。……取り敢えず、あの忌々しい探偵ではないよ。僕の趣味のサポートをしてくれていた人、黒幕とも言える人だよ。探偵と深い因縁がある人物だ」
そう言われても、思い付く人物がいない。
……そう、思いたいだけかもしれないけれど。
私は、単なる探偵の助手じゃない。
名探偵の助手だ。
あの人のすぐ傍で事件を見てきた。解決の瞬間にも立ち合ってきた。
だからこそ、誰も頭に思い浮かべないのは、その人物がそうであると信じたくないからだろう。
「ついに決着をつけるらしい。その際に、君の存在は邪魔になるが、起爆剤としては最高の材料になるんだと」
私の存在は、いつからそんな大層なものになったのか。
普段なら少し照れたかもしれないけれど、今は──少しだけ、違う。
「君とは積もる話もあった。知らない仲ではないからね。……けれど、雇い主はせっかちな人間だ。早く君を死体にし、写真を撮って送らないといけない」
そして殺人鬼は、私の首に、ナイフを宛がう。
──何か言い残すことはないか?
そう、訊ねてくる。
私は、殺人鬼の──彼の終始変わらない表情を見つめながら、言った。
「あなたのことが、好きでした」
人々を救う名探偵の助手が、
人を何人も殺している殺人鬼に恋をする。
そんなもの、あってはならないこと。
けれど、ここにいるのは、
殺しが得意なただの青年と、彼を好きな小娘のみ。
彼女がここで、自分の想いを告白したって、何の問題もないだろう。
愛と呼ぶのも恥ずかしい、単なる恋の告白だけれども。
そんな私の告白に、彼は、
「…………何で、言っちゃうかな」
震えた声で呟くと、濡れた瞳から雫が一滴。
私が目を覚ました時からずっと、彼は今にも泣き出しそうな顔をしていたけれど、ついにダムは決壊したらしい。
この人に殺されると分かった時から、胸を締める感情──嬉しさとか切なさとかが、その涙を見て、ついには口から零れてしまいそうになるほど質量を増していく。
あぁ、今は彼と、ただ二人。
敬愛すべき探偵の助けは求めていない。
私は殺人鬼に、恋する彼に、殺されるんだ。
「君は残酷だ。僕は最後まで、自分のこの気持ちを殺して、君を殺すつもりだったのに」
「それこそ残酷です。私は最期まで、自分のこの気持ちを殺して、あなたに殺されたくない」
彼はナイフを放り捨て、床に膝をつき、私の身体を抱き締める。
静かに涙を流しながら、彼は私にすがり付いた。
「……殺したくない。君だけは、殺したくない」
「殺人鬼なのに?」
「君は別だ。ずっと傍にいてほしい」
「……っ」
こっちまで泣きたくなるようなことを。
縛られてなければ、腕でも回していたかもしれない。
「……でも、私の死体が必要なんでしょう?」
「そんなものどうとでもなる。代わりの死体を用意する」
「それであなたの雇い主を騙せても、私の探偵は騙せませんよ」
「なら、逃げよう」
「どこへ?」
「どこへでも」
「…………できるでしょうか?」
「全部捨てればわけない。あいつらの因縁なんか知ったことか。僕達はどこか遠い所にでも逃げて、そこで幸せに暮らそう。僕らならきっとできるさ」
だから、と訴えてくるその目は、その表情は、
私よりもずっと小さな、子供みたいで。
「……」
無理に決まってる。
探偵はきっと私を探し出す。
探すなと言っても、助手が消えた謎を解明すべく、いとも容易く私を見つけるだろう。
だから、だから……。
「……できますか? 本当に、そんなこと」
重ねた問いには、どこか、懇願しているような響きがあった。
「するんだ、そうしないと、僕らが一緒になることはできない」
「……」
敬愛する探偵のことも、彼の犯した罪も、私の助手としての全てを捨てれば、私達は……。
そんな夢物語に、
「なら、逃げましょう」
浸りたくなった。
「私は私の全てを捨てましょう。だからあなたも、あなたの全てを捨ててくれませんか?」
「君が僕といてくれるなら」
こうして、名探偵の助手と殺人鬼は──否、
元助手と元殺人鬼は、全てを捨てた。
それぞれの雇い主に、絶縁状を送りつけて。
あなた方の決着なんぞ知ることかと吐き捨てて。
私達は逃げ出した。
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