いつもの出たよ

「見てみて!」


 天衣無縫、そんな言葉がピタリとはまる、満面の笑みを浮かべた彼女は、僕に何かを見せる。


「何、それ?」

「ねぎまっ!」

「……ねぎま?」

「お散歩してる時に見つけたの!」


 嬉しそうに言うと、彼女はそれを美味しそうに食べる。

 本当に、とても、美味しそうに。


「一個だけ? 僕の分はないの?」


 彼女はそんなことないよと言って、それを持ってない方の手を僕に向ける。

 どうやら僕の分もあるらしい。彼女は満面の笑みで、僕に受け取るよう促す。

 少し迷ったけれど、結局僕はそれを受け取り、口に運ぶ。


「美味しいでしょ!」

「……うん」


 僕の声にあまり覇気がないせいか、彼女は笑みを消し、次いで心配そうな顔をする。

 大丈夫? とでも言わんばかりに。


「……美味しいよ、美味しすぎて、何て言ったらいいか」


 その言葉で大丈夫だと判断したようで、彼女はまた笑みを浮かべる。


「お腹もいっぱいになったし、お昼寝しよっか!」


 僕の手を引き、寝起きをしている場所へと彼女は僕を誘う。

 彼女は僕の返事なんて求めていない。僕が彼女と昼寝をするのは決定事項だからだ。

 ……彼女は今日も、気付かないのか。

 自分の腹が鳴っていることを。

 自分達はそもそも、何も食べていないことを。


◆◆◆


 いわゆる、ゾンビってやつだ。

 フィクションでよくある、どこぞの組織で保管されていたウイルスが不手際で流出し、世界中の人々がそれに感染してしまった。

 どうやら脳組織や肉体細胞を溶かす成分があったようで、理性も知性も、その肉体さえどろどろに溶けてしまった感染者は、某ハザードや有名な海外のドラマに登場するゾンビ(ドラマだったらそう呼ばないが)のように成り果て、誰かを襲い、感染させ、ゾンビにさせを繰り返した。

 図太いもので、未だに生き残っている人間もそれなりにいるが、一月後にはその数もどうなっているか。いやそもそも、食料のこともある。そろそろどうにかしなくては。

 それが今の世界なのだが、彼女はそれを受け入れられなかった。

 彼女はその目でゾンビの姿を見ていなかった。たまたま来ていたショッピングモールが、ゾンビの襲来と共に封鎖され、そのままシェルターになったから。

 その時も、その後も、誰もろくな説明なんてしてくれない。建物の外に出た人間の何人かは帰ってこない。そもそも外を見せてくれない。ただ口々に、外にゾンビが出たから脱出をしてはいけない、救助が来るまで助け合い支え合わなくてはいけないと言うばかり。

 戯言ざれごとだと、彼女は吐き捨てた。


「皆、頭がおかしくなったんじゃないの? ゾンビなんているわけないでしょ? ほんとにいるか、私が見てくる」


 小娘の戯言だと思った時には、もう遅い。

 彼女はどんな手段を使ったか、外に出ていた。

 放っておけと言う人間もいたが、せっかくの生き残りを死なせるわけにはいかないと、何人もの人間が彼女を助けに行った。──そして彼女を助けるのに、何人もの人間がゾンビに襲われた。

 腕を掴まれへし折られ、脚に噛みつきそのまま砕かれ、頭に食いつき肉片を千切り取られ、一体が絡みつき、数体が かじりつき、とにもかくにも食われ、食われ、食われ、ある者は息絶えるも、ある者はゾンビとして息を吹き返す。

 それら凄惨な場面を、彼女は間近で見ていた。

 大幅に数を減らした即席の救助隊と共に戻ってきた彼女は、


「ただいま~」


 壊れてしまったようだ。

 以前の斜に構えた彼女はどこへやら、子供のような言動と行動を繰り返し、ないものをあるように言い、あるものをないように語る。普通に会話している数秒後には、誰とも会話してなかったようにその場を立ち去る。

 彼女は、壊れてしまった。


◆◆◆


 ──ねえ、またよ。


 誰かが呟く。


 ──また、見えない誰かと話してる。

 ──怖いよね、いくらショックだったとはいえ、いい加減立ち直ってほしいよ。

 ──仕方ないよ、目の前で食い殺されたらしいし。

 ──よっぽど大切な人だったんだね。


 誰もが、彼女の頭を心配しても、彼女を助けようとはしてくれない。

 誰も彼も自分のことで精一杯だ。薄情だと思うけど、彼女が他人だったら、僕も同じことをするだろうし。……それでも、言わせてほしい。

 彼女を助けてくれ。彼女を正気に戻してくれ。

 僕にはそれができない。僕はあの日、彼女を助けに行って、あともう少しという所で、ゾンビに食い殺されてしまったから。

 彼女の目の前で、頭を噛み砕かれ、両腕をそれぞれ掴まれへし折られ かじられて。

 彼女はそれがショックで壊れてしまった。

 見えるはずのない僕を見えると言い張り、僕が生きているように行動する。

 こうして喋っている僕は、単なる彼女の妄想の一部だ。

 僕はもう、生きていない。

 けれど、彼女はまだ生きている。

 彼女には立ち直ってもらい、僕の分まで生きて、幸せになってほしい。

 僕にはもう、願うことしかできないから。


◆◆◆


 ──わざわざ助けに行ったのに、可哀想だとは思うけど。

 ──いったい、いつになったらは、正気に戻るんだろうね。

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