第13話 用務員さんと不法侵入
言葉を失うとはまさにこのこと。目の前の猫一匹に、海人と竜二はあんぐりを口を開けたまま、何も言葉が出て来なかった。まるで言語を忘れてしまったかのように。
その間も、もっちりとした体躯のキジトラの猫は不機嫌そうに尻尾で地面をたたく。パタンと尻尾が一拍打つたびに、まるで猫のみけんにしわが一本ずつ増えていくようだった。
「しかしだな、登校するには少しばかり入口を間違えていやしないかね?」
にゃーおとは言わない。まるっきり綺麗な、しいて言えば嫌味なほど正確な日本語。非常に紳士的な口調だが、ムッとしているのが手に取るように分かる。
海人と竜二はあらかじめ打ち合わせしてあった言い訳を言おうとして、しかし目的のしゃべる猫を目の前にしてどう行動するべきなのか分からずに完全に固まっていた。お互いに顔を見合わせ、そして猫を指差し、また顔を見合わせる。腰が砕けて地面に尻餅をついていた。
「あのね、君たち。確かに私は猫の姿をしているが、人を指差すのはどうかと思うよ」
「人……?」
「そうさ、ここはバーチャルだよ? 用務員が猫型アバターを使ってはいけないという決まりでもあるのかね?」
言われて気が付く。キジトラの猫は口が動いていないにもかかわらず流暢に話をしていた。つまり口ではない何かから音声が発されているということで、この猫は本物のしゃべる猫ではない。
分かってしまうと途端に力が抜けた。2人ともがっくりと肩を落として竜二は天を仰ぎ、海人はうな垂れた。よかったのか、悪かったのか、七不思議の一つは解決してしまった。
「なんだぁ……喋る猫って用務員さんのアバターなのかよ……」
「忍び込んで損した……」
打ち合わせなどもはや意味はなく、頭から吹っ飛んでいた。
「君たち」
「はいッ」
「何で休日の学校に、わざわざ裏の柵を越えてまで入ろうとしたのか、そろそろ答えを教えてくれんかね?」
猫の用務員さんは語気を強めながら、もう一つパタンと長い尻尾を打った。それは今の教育現場には存在しない教鞭のようにしなり、場に静寂をもたらす。
もはや言い訳は通用しない。顔を見合わせたあと、おずおずと竜二が口を開いた。
「先輩にしゃべる猫が学校に出るって噂話が本当かどうか調べて来いって言われたんです」
「ほう」
猫の用務員さんは少しだけ金色の目を見開いた。日差しの下で細くなっていた瞳孔が少しだけ丸くなると、口調とは裏腹に見た目には可愛らしい。緊張の糸が切れた海人は、あの毛並触ってみたいなどと呆けた考えをしていた。
「私が噂話になっているとは。独り言を言わないようにしているつもりだったが、どこかで聞かれてしまったのかもしれんな。気を付けねば」
人型だったらきっと口ひげを付けた男爵のような人ではないかと思わせるような、そんな雰囲気のある猫だった。こればかりはアバターの質というよりも、それを操っている中の人の性格が出るというもの。
VRアイドルのアバターが乗っ取られたが、ファンが『挙動がなんか違う』と騒いで発覚した事件が過去にもあった。同じ猫のアバターを使ったとしても恐らく他の人が操れば、こんな紳士に見えることは無いのだろうと海人は考えていた。
「そういえば、用務員さんが何で猫なんですか?」
特に時間稼ぎをするつもりはなかったが、海人はふと思いついたことを質問した。怒られている立場であることをすっかり忘れて。
反省がすでにのど元を過ぎ去っている様子に、猫の用務員さんは眉間のしわを一本増やしたのだが、あいにくキジトラの額の模様はしわのようだった。
「猫の方が細かい隙間までは入れ込むことができるからね。学校運営上、私は用務員という役柄ではあるが、実際のところ現場はバーチャル空間。仕事としては空間内のバグ取りがほとんどを占めている。ただのシステムエンジニアさ」
システムエンジニアが猫の形をして学校を歩いている。まさに今その光景が目の前にあるのだが、想像するに何かがどっかしらおかしい感じがした。
「あ、ってことは、用務員さんもしかして他の七不思議知ってますか」
「なんだその七不思議というのは?」
訝しげな顔をしているつもりなのかもしれないが、はたから見ると猫が不機嫌そうに耳を伏せているだけのようにしか見えない。それでもかまわずに竜二は続けた。
「屋上に上がる階段が石畳になったり、学校のどこかに鳥居が立ったり、プールに人影が映ったり」
「ほう。よく調べてあるな」
「ってことはホントにあるんですね?!」
「職員から聞いているバグはそういうものも中にはあった気がするね。まぁいい、とりあえず正門まで一緒について来てくれたまえ。一応、生徒は正門から出てログアウトしてもらう決まりになっているのでな」
スッと立ち上がった猫の後ろ姿に男子高生2人が誘われていく。不思議な光景だった。
「しかし君たちね。オカルトもいいが、物理世界とは違うのだから万が一そういうバグに飲まれたら、休日
「分かってはいます。でもほら、この間アバターが消えた事件もあったし、この学校には絶対何かがあるって思ったら俺もう我慢できなくって!」
先ほどまで怒られていたはずの竜二は満面の笑みになっていた。対して海人は任務失敗で終わった今回の案件に、少しほっとして黙って用務員さんの後ろを着いて歩いて行く。
静まり返った学校というのは本当に不気味だった。こんな中を竜二と二人で歩こうとしていたとは、先輩とはいえ少々葦原先輩に振り回されすぎた感がある。
「確かにバグの情報を開示せずに生徒たちを登校させ続けるのはどうかと思うが、しかしこういうことは我々大人に任せるべきだ。いいかい、これに懲りてまた侵入などしないようにな。次見つけたら管理職の先生と保護者の方に報告させてもらう」
それを言われると如何に竜二でも黙るしかない。はぁいといううな垂れた返事を聞いて、今まで水平方向だった用務員さんの尻尾が少しだけ上を向いた。
裏門の方から正門へは校舎の脇の小道を抜けていく。小道にはバーチャルにしては凝った木々が設置されていて、11月頭の今は寒椿が小さい蕾を膨らませている途中だった。
普段の学校生活ではあまり来るような場所ではないので、物珍しそうに海人は周囲を見回す。バーチャルだから虫はいないし、こんな中で昼寝できたら面白いのではないかとふと考えていた。
「む……?」
不意に猫の用務員さんが足を止めた。耳がぴんと前方を向き、髭がアンテナのように立っている。尻尾が水平になってやや毛が逆立って太くなっていた。
「今日は来客が多い。どうして私の休日出勤の日に限ってこんなに不法侵入者が来るんだ」
小言を言い捨てて、小走りに小道を抜けていく。慌てて2人も後を追った。
遠目に見ると正門のコンクリート壁に足をかけて登ろうとしている人影があった。門の柵には足がかりがなかったのか、わざわざ背が高いコンクリート壁を選んでその上にすでに登りきっている。あとはジャンプして降りるだけという状態。
「君! 一体何してるんだね!」
「えっ……あ! しゃべる猫さん、いた!」
門の上から指差して破顔するのは、おしとやかで通っているはずの小野小春だった。
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