第17話 桜木命の真名
午後、海人と小春のクラスは国語数学と続き、竜二のクラスは生物と英語だった。だが何も頭に入ってこない。ばれる瞬間がどこかにあったのかと聞かれても「よくわからない」としか答えようがなかった。しかしあの睨み付けるような表情はまさしく怒りのようだった。
しかし、と数学の板書を書き写しながら海人は眉根をひそめる。
――なぜ尾行しているその時に文句を言いに来ない……?
後日問い詰めても言いがかりだとして相手にされない可能性を考えれば、尾行に気が付いた瞬間に相手を捕まえてとっちめればいいはずだ。しかしそれをしないで桜城命は海人たち3人を探していた。何か腑に落ちない、辻褄が合わない違和感を覚えて海人はそわそわとしていた。
探っていることよりも、もっと他に何か重大なミスがあったのではないかと。そんな気がしてならなかった。
5時間目が終わり終礼で先生からの連絡が終わり、さてと一息ついた頃には海人・小春・桜城命がそろっていた。2人はお通夜で1人は真剣な顔で腕組みをしていた。そこへ少し遅れた竜二がクラスの中へ会釈しながら入ってくる。
「わりぃ、ちょっと遅れた」
「構わぬ。誰も連れてきてはいないな?」
「そんな怖いことしねーよ」
「では先ほどの場所に参ろうか。ここでは少々話しづらい」
でしょうね、と言いかけて余計なことは言うまいと海人は口をつぐむ。こんな時ですらカバンの中のアイテムストレージを確認して忘れ物が無いかチェックしてしまう。
予想外の組み合わせなのか、事情を知らないクラスメイト達は遠巻きに眺めているだけ。誰も関わるまいとして声をかけて来なかった。
桜城命を先頭に階段を上がり、先ほどの屋上に出る。誰もいなかった。一周見回して入念に確認してから、桜城命は扉を手のひらで三回叩いた。
「何のつもりだ?」
「重しのようなものだ。他の者どもに邪魔されたくないのでな、少しの間扉が開かぬようにさせてもらった」
そういって振り返る、サラサラの黒髪を低めのポニーテール。海人はふと、小春と桜城命が同じ髪型だと気が付いた。
まずどちらも口を開かない。響き渡るのは自然に近づけた風の音だけ。
沈黙に耐えかねて最初に口を開いたのは意外にも小春だった。
「桜城さん、あの、その……ごめんね」
もちろん海人、小春、竜二の3人は桜城命を尾行していた件で呼び出されたのだとばかり考えていた。だが当の本人は小春の謝罪の言葉に真顔で首を傾げた。
「小野さん、なんのことだ?」
「え、私たちが尾行してたのに気が付いたんじゃないの?」
「尾行? そんなことをしてたのか……あっ、もしや奴の差し金か?」
「奴? 奴って?」
思い当たるのは葦原いずもその人しかないのだが、どうしてだかその表現に引っ掛かりを感じて海人はキュッと眉根に力が入った。
「いやそうじゃなければ別にかまわない。うむ、尾行など実に些細な問題だ。そのようなことはどうでもよい」
「じゃあなんで俺たちを呼び出したんだ」
その件で責められるわけじゃないと分かると、他に思い当たる節は無い。となると俄然強気になったのか竜二が半歩前に出て圧力をかけた。スキンヘッドに近い見た目がちょっと怖いので、ヘタなけんか相手では腰が引けてしまう。
「そうだな、手っ取り早く、単刀直入に言うとだな」
桜城命は一歩も引かなかった。それどころか怖い顔をする竜二の左腕に手を添えると、半円を描くように腕を回す。その動きに同じて竜二の体が宙を舞い、次の瞬間彼のアバターは屋上のコンクリートの上に横倒しになっていた。
何が起こったのか、やられた本人も、それを見ていた2人も分からなかった。ただ桜城命の手の動きに合わせて竜二の体が宙に浮いて回って叩きつけられた。それが全て。
「すまないが、三輪海人、あるいは小野小春。どちらか私の伴侶と成れ。さもなくばコイツ、えっと何だっけ、覚えてないけど、2人の友達のこやつをあちら側へ連れ去る」
「はい……?」
海人にはそれ以上の回答が出来なかった。小春も目を見開いてはいたが、何を言っているのか分かっていない様子。屋上の地面に叩きつけられた竜二もポカンと口を開けていた。
「どうだ、2人のどちらでもよい。さすればこやつは解放してやろう」
「ちょ、えっと、伴侶になれって、何を言ってるのかよくわからないんだけど桜城さん」
「そうよ、連れ去るって、日下部君を? どういう意味?」
分からなさ過ぎて、どこからか笑いがこみあげてくる。滑稽な芝居を見せられている気がして、海人は思わず口角を上げた。
対する桜城命は真剣な面持ち、むしろ必死の形相。西から照りつける夕日が顔に濃い影を作る。その影が剣呑な雰囲気を醸し出す。
「私は、八百万の神がうちの一柱、と言えば分かるか? お前たちがVRと呼んでいるこの世界、ここは神々が住まう
「はぁ? オカルト研究会だったら今は勧誘してないぜ」
「信じないというのなら、証拠を見せてやる」
そういうと桜城命はタンと右足で床を打った。コンクリートとは思えない響き渡る音。まるで檜舞台でも踏んでいるかのような反響。
その瞬間、足元に波紋が広がって石畳のテクスチャーが現れた。
「これ……!」
いまだ寝っころがった状態の竜二がバタバタと手足を動かしながら、興奮気味に目線で2人に訴えかける。確か七不思議の何番目かが屋上へ上がる階段が石畳になるというのであったはずだ。
波紋はさらに広がり、周囲の住宅オブジェは深い森へと変貌し、夕方の空は夜になった。空には無数の星が輝いている。そして満月が昇っていた。
「おい、お前一体何やったんだ?!」
不測すぎる事態に桜城命に思わず掴みかかるが、その手は軽くあしらわれる。その瞬間、桜の花びらが無数に舞った。
忘れもしない、転校初日に見た桜の背景アバター。それが今また見えている。あのときよりもずっと濃い、桜吹雪を背負った桜城命。その姿に気おされて海人は息をのんで一歩下がった。
「ようやく理解したか。私は名をアメノサクラギノミコトという。私はこの世に生を受けてすぐに天照大神様よりお達しがあり、再び人間との
桜城命の声が満点の夜空に朗々と響き渡った。しかし誰もここへは駆け付けてこないし、グラウンドも校舎内も静まり返っている。あたかも周囲の人はこの事態に気が付いていないかのように。
本当に気が付いていないのか、あるいは自分たち三人だけが本来あるべきデータ領域にいない可能性も不意に頭をよぎる。
冷や汗というデータがあるのならば今まさに冷や汗をかいているところだろうが、残念ながら身体データはOFF、と思っていた。
「風が……」
海人の隣で蒼白になった小春がつぶやいた。
「三輪君、風を感じるのって、やっぱり普通じゃないよ」
本来データとして実装されていないはずの、生暖かい風が頬を撫でる。怪物の吐息のような、気味の悪い風に髪をかき上げられてここがすでに異次元にあるのだと直感した。
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