VRMMO-High School!

鳴海てんこ

第1話 10月、桜の転入生

 2041年10月21日月曜日。三輪海人はぼんやりと波の音を聞いていた。窓の外、潮の香りが感じられるほど海が近い。


「あー……今日、英語の中間テスト返ってくる日か……」


 かりかりと頭を掻きながらベッドから体を起こすと、背中が少しだけ汗ばんでいた。そろそろ季節外れになったクマゼミの声に海人はかぶりを横に振って目を覚ます。朝7時だというのに、10月の瀬戸内はまだ仄かに暑く、夏の残り香がしていた。

 彼が暮らしているのは瀬戸内に浮かぶ小さな島の一つで、島民は100人に満たない。大半がオーバー古希のおじいちゃんおばあちゃんばかり中で、海人とお隣さんで同級生の日下部竜二は島では特に若い方だった。一番若いのは東京から一昨年、引っ越してきた若夫婦のところの二歳の女の子だが、それにしたって島には子供は数えるほどしかいない。当然のことながら島には学校はない。小学校もない、中学と高校もない。

 ところが彼はのんびりと7時に起き出してきて、海人はと言えばおばあちゃんが作ってくれたご飯とみそ汁、塩鮭と茄子の漬物をしっかりと味わい、ついでに爺ちゃんとお茶をすすりながら朝の連続テレビ小説を見る。


「この子、ええ演技するわなぁ」

「爺ちゃん、ひまりちゃん好きだよね」

「かわええ」

「そりゃいいわ」


 8時15分過ぎに歯磨きをしに洗面所へ。顔を洗って髪の毛も一応整えて、しかし服はTシャツ短パンの部屋着のまま。


「んじゃあ、いってきまーす」

「おう、いってらっしゃい」


 手を振って二階にある自室に戻っていく。10月も半ばだというのに日当たりのいい彼の部屋の気温は一気に上昇し、窓を開けて扇風機を回した。それから汗をぬぐってもう一度ベッドにあおむけに寝転んだ。乱雑に詰まれたベッド脇の有象無象の中から頭部をすっぽり覆うヘッドセットを取り上げる。


「忘れものは……まぁすぐに取りに戻れるからいいか」


 通学用のかばんは無く、あるのはベッドサイドに設置されたモニターに映し出されるアイテムストレージだけ。と言っても教科書類は全て入れっぱなしで構わない。全てがその中にあった。

 さらに強さを増す日差しに目を細めて、ヘッドセットを被る前にカーテンを閉めた。それから頭をヘッドセットの中に入れてスイッチを押す。

 次の瞬間、彼は国立第三仮想科高校の校門数メートル手前に立っていた。左肩には家には存在しない通学用かばん。見上げると残暑を象徴するように、校門脇の木からセミの声はする。ただ、姿はどこにあるのか分からない。一匹だけ頑張ってがなり立てている。


「アブラゼミだなこっちは」

「この学校、関東の設定だからな。でもセミは声だけで、オブジェクトは無いらしいぜ」


 ぽんと肩を叩かれた海人が振り向くと、リアルではお隣さん、バーチャルでは隣のクラスの日下部竜二が立っていた。竜二はスッと右手を挙げてオッスと笑った。


「声だけ?」

「こんな小さいったって夏場にセミのオブジェクトを大量に設置したらその分だけ重たくなるってことだろ?」

「そういうもんか」

「最適化できる部分は最適化してあるから、意外とこの仮想空間バーチャルリアリティって丁寧に見えて、粗があるんだぜ」


 坊主頭には現実ならうっすらと汗でもかいていそうなものだが、あいにく空調はいつだって最適。海人もバーチャル空間では汗一つかいていない、にもかかわらずセミがうるさく鳴いて自己主張していた。


「なあ竜二、やっぱり秋になったら紅葉とかちゃんとするわけ?」

「するする。妙にそういうところ凝ってて、紅葉もするし葉っぱも落ちるし、桜なんかは入学式の日に満開になるように設定してあるみたい」

「リアルタイムの方に合わせてるわけじゃないんだな」

「絵になる方が好まれるってことじゃねーの。青虫とかは見たことねぇもん」


 それもそうか、と海人は納得したような顔をして何の変哲もないごくごく一般的な校門をくぐった。仮想空間に作られた高校はこれと言って特徴的なことはなく、世間一般の平均的なイメージをそのまま投影したかのような白い建物をしていた。

 前の週の金曜日に二学期の中間テストが終わり、今日からテストの返却日とあって、生徒たちには浮ついた雰囲気がある。


「どうも季節感がなぁ」

「やっぱ微妙?」


 夏休み明けでも誰が日焼けをしているわけでもないし、いきなり髪を染めてくるわけでもない。入学した時以来、生徒のアバターは基本的には固定されていて理由なき大きな変更は禁じられていた。


「そりゃぁリアルの学校に比べたら、若干? 若干どころじゃなく違和感があるけど」

「そんなもんかね。俺はもう小学校からこっちずーっと学校はVRだからわかんねーわ、そういうの」


 竜二は生まれてこの方ずっと、瀬戸内の小さな島で暮らしている。子供が少ない島の学校は統廃合が進みすぎて、一番近い現実世界にある小学校まで片道6時間という距離だった。そこで彼は小学校の時点から、VRの学校に通い続けている。

 一方で海人の方は中学3年までは東京にいて現実の学校に通っていた。しかし両親が仕事で海外に行くというのに付いていくのを拒否したため、この春、高校1年生から島に住む祖父母の元に預けられて仮想化高校に入学する運びとなった。

 彼らの様に過疎地に住む子供や、あるいは病気のために学校に通えない子供たち、はたまたいじめや人間関係などを理由に現実の学校に通えなくなった子供たちが全国にはとてつもない人数いた。

 彼らのために12年前に設立されたのが国立の仮想科小中高校。希望者は全国に居て、あっという間に定員が埋まるものの、サーバーが準備できればいくらでも施設は建設コピー出来るため、教員さえ確保できれば新しい学校が建つ。2人がこの春に入学したのは第三仮想科高校、一学年30人10クラスあった。


「今日部活ない日だろ? 釣り行こうなー」

「ほいほい」


 適当な返事をしながら竜二は1年B組に入っていく。その後ろ姿を見送って海人はC組へ。ゆったりと並んだ座席の、窓際から3列目後ろから2列目の席にかばんを置いた。

 その間にも、おはよーという声がいくつも重なりながら何人もの生徒が入って来ては自分の席にかばんを置いていく。特に変わったことが何もない、普通で普通過ぎるぐらい平常通りの高校の朝の風景だった。


「席につけー」


 八時半を回ったところでB組の担任、名越先生が入ってきた。と、その後ろに1人生徒がいた。途端にクラス中の男女が色めき立つ。海人も頬杖をついて興味なさそうにしつつ、しかしこらえきれずに目線の先をその転校生らしき女子に向けた。

 名越先生が黒板に名前を書いていく。


――桜城命。


「今日転校してきました、さくらぎみことです」


 一礼して顔をあげた彼女がぱっとほほ笑むと、名前の通り季節外れの桜が咲いたかのようにも見えた。いや、と海人は目を擦る。実際に彼女の周囲には桜の幻影が見えている。寝ぼけているのかと思ってもう一度目を擦るも、やっぱり彼女の周囲には桜の花びらが見えた。

 バーチャル空間にある学校では、自分の姿はある程度までは自分の意思を反映させることが出来る。ただし変更が許されているのは髪方や長さだったり、ほくろの位置であったり、支障のない範囲。遠隔地から通うほとんどの生徒は自己投影したほぼリアルの姿のアバターの利用が推奨されている。

 しかし病気や怪我で通学を余儀なくされている生徒は、バーチャル空間内で不自由なく勉学に励めるようなアバターに設定することを認められていた。


「と言っても、背景に桜は普通ないよな……」


 昨今のフルダイブ型のMMORPGゲーム、あるいはMMOサロンと呼ばれる不特定多数の人物と会話を楽しむ集会場ならば、いくらでもこういった演出は出来る。むしろ個人特定ができないように全く違うアバターとハンドルネームを名乗り、アバターは人型ですらないことが多い。

 しかしここは学校、公共MMO空間だ。しかも曲がりなりにも校則がある。転校生の規則違反を指摘するべきか否かと海人は首を傾げていたが、周囲は誰も何も言わない。それどころか担任の名越先生すら気が付いている様子はない。


「見え方がバグってんのかな……?」


 と彼が目をごしごしと擦った瞬間、バチィっと音がするほど桜城命と目が合った。やましいことなど別にしていないのに、それでも見据えられると何かやらかしているように思えるほどまっすぐな瞳で見据えられる。

 だが、この桜を背負った転校生は次の瞬間、クラスの度肝を抜いた。


「この学校にはお嫁さんを探しに来ました。お嫁さんと言っても女性でも男性でもそれ以外でも、相性さえよければそれでよろしい。つまり伴侶という意味です」


 クラスの生徒はもちろん、担任までもが固まって、クラス中が反応に困った。


「皆さんどうぞよろしく」


 と言ってにこやかにお辞儀をした桜城命。かろうじて再起動した担任によって一番後ろの窓際に用意された席に促される。この奇天烈な美人が、国立第三仮想科高校1年B組に入ってきた31人目の生徒だった。

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