第9話 監視対象の生活パターン

 海人はムッと眉間にしわを寄せて、今日のおやつを食べていた。どら焼きである。座卓の向こう側には上機嫌の竜二がこれまたどら焼きを持っていた。鼻歌交じりだった。


「竜二おまえさー。あのチケットを持って行ったら、女の先輩に全部ばれるって全部分かってて俺に行かせたろ?」

「いいじゃん、結局隣の席で一緒に競技会観戦できるんだからさ。贅沢言わない」


 確かに、2人っきりで行くことは出来なかったが、初めて好きな人と学校以外で会う機会を得たのだ。嬉しくない男子高生はいない。むしろ考えようによっては、初めて学校外で会うのが2人っきりより他の人がいた方が気楽だろうと竜二は茶化す。

 だが、竜二が全国仮想体育競技会のチケットをせがんだ相手はあの陸上部の女の先輩だったわけで、目論見は全てばれたも同然。席のもちろん並びなのは嬉しいのだが、あの先輩が小野小春に事の裏側をばらしてしまったら何と言われるか。


「あーーーもーーーーー!!」

「海人、いつもの冷静なキャラが崩れてんぞ」

「うるっせ!」


 頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら、どら焼きの真ん中に噛みついた。栗が入っていておいしい。

 今日は曇って少しだけ熱さが和らいでいたが、扇風機が部屋の隅で首を左右に振っている。窓の外から入ってくる風だけでは、むさくるしい高校男子二人の熱量を冷ますことはできなかった。


「まぁそれはさておきだが海人、チケット代だけは働いてもらうからな」

「チケット代って……、しゃーねーな。何を具体的にすりゃいいんだよ」


 あの女の先輩の魔女的な笑顔を思い出す。きっと竜二はあのチケット2枚を手に入れるために、何か代償を払ったに違いない。そこまでしてでも欲しい桜城命の情報とは一体何なのか。逆に気になってくる。


「まず、桜城命のログアウトのタイミングを記録しておいてほしいんだ」


 もっと難解な要求をされると思っていたので、海人はあまりにも単純な要求に拍子抜けする。


「そんなことでいいのか? もっとこう、ずっと尾行しろーとか言われるのかと思ってた」

「それが出来ればいいけど、普通はできないだろ?」

「そりゃな、無理だ」


 誰かの何か秘密を暴こうとするのなら、尾行をしたりするのを真っ先に思いつくのはミステリー文化の影響かもしれない。と言っても彼自身、そんなにミステリーを多くを読んだつもりはない。強いて言うならアガサクリスティが好きな程度。


「ログアウト時間ってバーチャルの学校においては結構重要な判断ファクターなんだぞ?」

「そうかぁ?」

「まずお昼が食べられるような連中は、お昼はほぼログアウトする。俺たちみたいな過疎地の奴や、不登校組、あとは病院からだけど自分で食事を取れる奴な」

「ああ、なるほど。逆にお昼にログアウトしない奴は病院のベッドから動けないってことか……」

「そういうこと、点滴だけで生きられるようになって随分と経つからな」


 言われてみれば、お昼休みになるとログアウトする連中と、ログアウトせずに図書室などに行ってしまうクラスメイトが何人かいた。アバターなので特に気にしたことはなかったが、あれはそういう意味の行動だったのかと海人はうなずく。


「ってことは、リアルでトイレに行く必要があるやつは」

「そう、休み時間にもログアウトする可能性があるが、ベッドで寝たきりの場合には基本お昼以外はログアウトしない場合が多い。もちろん病気を隠している奴は律儀にログアウトして偽装するけど、桜木命はそういうタイプじゃなさそうだろ」

「……なるほどな」


 中学まで普通の学校に通っていたからこそ、周囲のみんなも健常者で過疎地から通っているのだとばかり海人は思い込んでいるところがあった。今更ながらに普通とは何なのかというところに思いをはせる。

 隣の席のクラスメイトが、実はリアルでは常時点滴を繋がないと生きていけないというのを想像するのが少しだけ難しかった。


「海人、可哀そうだとか思うなよ。そりゃ失礼なことだし、どっちかって言うとそういう状況でも学校に通えるようになったんだから、いいことなんじゃないかと俺は思ってる」

「竜二はちゃんとポジティブに考えられて偉いなぁ」

「小学校の頃からだから慣れっこなだけだよ」


 何人も思い当たるクラスメイトがいた。ほぼログアウトしない顔が何人か思い出される。かといって明日からも彼らは普通の顔をして登校してくる。極力気にしないようにしようと、海人はそっと手に力を込めた。

 しかし些細な行動の意味を考えていくとその人がどういう状態で生活しているのかが分かってしまうこと自体には驚きが隠せない。個人情報をなるべくクローズにしている人の気持ちも分かる気がしなくもなかった。

 住んでいる場所や家族構成、お隣が竜二であることなども全てオープンにしてきた海人は、なんとはなしに情報の力に怖い物を感じた。


「あとはそうだな……。ログアウト以外は、見ている限りでいいんだけど、先輩の誰かと接触していないかだけ教えてくんね? 俺も放課後は見られたら見るつもりではいるんだけど」

「ってことは休み時間が主だな」

「うん、頼んだ!」

「ほいほい」


 言われた次の月曜日からしばらく、海人は桜城命を視界の端にずっと捉え続けることを心がけていた。

 朝登校してくるのは朝礼の10分前、後ろのドアから入ってくる。おはよう諸君とにこやかに手を上げて入ってくるのだが、返ってくるのは若干引いた笑いとか細い返事のみ。それでも桜城命は満足なのか、満面の笑みで自分の席に着いた。

 授業中は何か分からないことがあれば、恥も外聞も無く手を上げて先生に聞きまくるので一向に授業が進まない。時折「なぜこんなことを知らずにこの高校の編入試験に合格したのか?」と思うようなことまで質問をしていた。だが、「どうしてそれを知っている?」という知識がある場合もあって、海人が持った印象は世間知らずというものだった。

 休み時間になると桜城命は明らかに手持無沙汰になっているのか、片っ端からクラスの人間に声をかける。その一番の標的にされていたのはクラス委員の小野小春だった。部活見学の世話をした際に懐いてしまったのか、ことあるごとに桜城命は彼女に絡んでいった。次第に彼女の方も諦めたのか、よく話をするようになっているのを目撃し、海人は複雑な気持ちになる。

 そのうち桜城命は自分のクラスを飛び出して、今度は別のクラスの人間を見に行くようになった。見に行くというのは比喩ではなく、本当に「見に」行く。それは竜二のクラスへも行った。事前に人間観察しに行ってると伝えた竜二が待ち構えていたのだが、桜城命は構う気満々の目の前の竜二をスルーして窓際で本を読んでいた安倍聡子という女子生徒に話しかけて煙たがられていた。


「って、四日間経ったわけだけどさ!」

「うん、竜二」

「一回もログアウトしている現場が抑えられないってどういうことだよ?!」

「俺にもわかんねぇ……」


 角を曲がると消える、目を離したすきに姿が無い、そんなことが最初の頃続いたのは気のせいだと思っていた。だが三日も続くとなると何かおかしいと感じ始めた。海人はもちろん、放課後尾行をしていた竜二ですら、桜城命のログアウト現場を押えることはできていなかった。


「ま、まぁ、ログアウトしてないってことは、多分病院からの登校アクセスなんだろう」

「そう考えるのが自然だよなぁ」

「他に何か特定できることも無かったし、なんかおかしい奴ってこと以外は分かんないって……。チケット代は無駄骨かー」


 竜二が魂が抜けそうなほど大きなため息を吐く。あくびは移るものだがため息も移るらしく、海人もため息を吐いた。

 だがそれを覆すのが桜城命という奴だった。


「そのというのは何なんだ?」

「ヘッドセットかけて遊ぶバーチャルゲームの展覧会、みたいなやつだけど……。桜城さんもこういうの興味あるの?」


 地方勢の男子2人が、11月の頭の土日にリアルの東京で開かれるというVRゲームショーで落ち合うための話をしていた。どこに住んでいるのかといった個人情報を、地方の過疎地に住んでいる健常者の学生はオープンにしていることが多い。そのため、連休があると東京へ遊びに行こうとか、都市部で落ち合ってリアルで遊んでみようと声をかける者が中にはいる。

 話をしていた地方過疎地の男子2人組は、片方が栃木の山奥、片方が伊豆諸島の島に住んでいた。気が合う2人は東京でイベントがあるたびに、2人で東京で会ってよく遊んでいるのを周囲も皆知っている。


「うむ。興味がある! 私も一緒に行かせてもらっても良いかな?」


 2人で楽しもうとしていたところに突拍子もない人に首を突っ込まれそうになり、2人組はしどろもどろになる。ただでさえクラス中から煙たがられている桜城命なのに、それがリアルで絡んでくるなんて聞いていないという顔だ。 


「、俺たちもまだ行くと決まったわけじゃ……」

「なんじゃ、そうなのか? もし行くのなら私も一緒に連れていってほしいので声をかけてくれ」


 大声で話をしていたので耳ざとくなくても聞こえる内容だった。だが、その話で海人は首を傾げる。


――どうして病院に住んでいるやつが、リアルで東京に遊びに出ていけるんだ……?


 まだ何か、桜城命には謎がありそうな匂いがして、早急にこのことを竜二に伝えに行った。

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