第6話 2人目の消失
海人が所属する将棋部の、二年の先輩が大声と共にガタリと椅子を蹴って立ち上がった。篠田という先輩だった。
目線の先には桜城命。全く悪気のない、屈託のない笑顔。
「すまぬな、邪魔をする。部活が色々あると聞いて見学しているところだ」
「そういうことじゃねぇよ!」
海人は駒を並べ直す手を止めて眉をひそめる。
―――どうしてこう厄介事ばっかり起こるんだ……?
一触即発とはまさにこのことのように見えた。この騒ぎを聞きつけたら十中八九、いや間違いなく竜二が聞き取り取材に来る。面倒だからこの場から逃げたかったが、あいにく美術室の入り口は一つしかなかった。
将棋部二年の篠田先輩は、普段は穏やかな人柄であることは海人も良く知っている。最初に駒の動かし方を教えてくれたのは彼だったのだ。知っているからこそ、声を荒げた様子を見て、周囲のだれもが『これは随分とヤバい状況だ』という顔をしている。ヤバいとは語彙が足りないのだが、とりあえず高校生的には先生を呼んでくるしか手がなさそうな事態だった。
同じように先生にしか止められないと踏んだ2年生の女の先輩が、躊躇なく美術室に足を踏み入れた桜城命の後ろ側に回ってするりと部屋から脱出して行った。他の先輩はいきり立つ篠田先輩に「落ち着けって」などと声をかけている。
「あの、あなたとはどこかでお会いしただろうか?」
桜城命はことごとく空気を読んでいない様子だった。まるで、空気は吸う物でしょとでも言わんばかり。
ただ、なぜあの穏健な篠田先輩が怒っているのか、あまりにも状況が部外者過ぎて海人には分からなかった。なぜ怒る必要があるのか。それが先輩の次の一言で判明する。
「お前がさつきを殺したんだろうが!」
ピンと色々な物事が頭の中で繋がる瞬間というものがある。まさにこの時の海人の頭の中がソレだった。
竜二が北条さつきが自宅から通っている生徒だという情報を、先輩から仕入れてきた話題。つまり北条さつきがリアルで誰かと繋がりがあったという話は、この様子からすると繋がりがあったのは篠田先輩だったというわけだ。
次いでこの怒りよう。まさか普通の友達でもあるまい、しかも下の名前で呼んでいることから推測するに。
「自分の彼女が殺されて冷静になっていられるか!!」
ああ、やっぱりなと海人は額に手を当てた。どうやら昨日今日にかけて北条さつきの消失事件を知った篠田先輩が、周囲の友人には事情を話したのだろう。で、それをどこかのルートで竜二が話を拾ってきたというわけだ。
「篠田、落ち着けって。こいつがやったって証拠はないんだろ?」
「でもこの女とぶつかった後にさつきは消えたんだぞ? コイツ以外に誰がさつきを消せるって言うんだ!」
「あの……」
2年生同士の言い争いの中、きょとんとした顔の桜城命が静々と右手を挙げる。顔には困惑の表情が浮かんでいた。
「さつき……さん? って、誰?」
はっと周囲が息を飲んだ音がした。無論、それは海人も同じこと。
この桜城命という人は、昨日自分がぶつかって危害を加えた相手が誰なのかすら把握していなかった。
次の瞬間、篠田先輩が大きく振りかぶっていた。同級生の腕をいとも簡単に振りほどく。人間、怒ると瞬間的にものすごい力を発揮するというが、拳が唸る速度がそれを物語っていた。
将棋部とはいえ男子高校生。対するは女子の平均的な身長よりやや高いだけの桜城命。これは確実に桜城命の方が吹っ飛ぶ。吹っ飛ぶだけで済むならいい。ヘタをしたらリアルの方の脳へもダメージを負うような、認識障害を起こしかねない。
止められる者はいなかった。次の瞬間ゴッと腕を振るう音がして、衝撃でぶれる干渉エフェクトと、美術室に舞い上がる桜の花びら。桜城命は殴られたものの、微動だにしていなかった。
何が起こったのか、殴った方も殴られた方も理解できていないように呆けていた。一拍置いて目を見開いた桜城命が音を立てて尻餅をつく。その間も桜吹雪は止まない。
篠田先輩もなぜか、桜城命の右頬を殴った腕を振り終えた状態のまま停止している。普通ならば動けなくなるのは殴られた側の桜城命だ。しかしまたしても桜城命の方はただビックリしているだけで、アバターがフリーズを起こしているのは殴った方。
「篠田! おい、篠田!!」
抑え込もうとして腕をつかんだはずなのに、今はいきなり倒れないように必死に支えようとしているのは篠田先輩と一番仲が良かった2年生。
「先輩、保健室の先生呼んだ方がいいっすか?」
ざわつくだけの1年生の中で、海人だけがサッと動いた。
「三輪君、頼む。篠田、完全にこっち側に意識がない」
「分かりました、んじゃ行ってきます」
と言って、美術室のドアの方へ小走りで駆け寄る。
「桜城さんちょっとごめん」
そう言って海人は桜城命の手を跨いで部屋から出ようとした。
「え、あ、三輪君だっけ? ごめんこれどういうこと?」
声をかけられたことでハッとしたのか、固まっていた桜城命が顔をあげた。そして海人の制服のズボンを掴む。
「いや、ちょっと話して桜城さん。保健室の先生呼んでこなきゃ」
「なに、なんなのだこれは? 強制接触されると神力が流出するなんて聞いてないよ……?」
「桜城さん! 俺急いでるんだけど!」
声を荒げる海人を見て、ようやく服の裾を話した桜城命は、それでも眉根をひそめていた。目線の先にはフリーズしたままの状態で横に寝かされた篠田先輩のアバター。ぶつぶつと小声で何かつぶやく桜城命にいらだちながら、海人は教室の敷居を跨いだ。
と、その時。
「し、篠田? 大丈夫か? 俺らのこと見える?」
支えていた同級生たちの声が聞こえる。どうやら意識が戻ってアバターが動き出したらしい。
「動けるんなら保健室に直接行った方が……」
海人は美術室に戻りかけて、ドアの縁に手をかけて教室の中を覗き込んだ。その時、目に入ってきたのは、今まで鬼の形相だった篠田先輩がやわらかな表情で桜城命を指差す姿。
それはまるで北条さつきのような、まるでではなく、北条さつきと同じ格好。
「とほかみえみため」
広がる光の本流。かき消えるように篠田先輩のアバターが形を失っていく。
こうして、
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