第5話 美術室の将棋部
「して、その部活とやらにはどんなものがあるのだ? 教えてくれぬか」
無駄に朗々とした声が教室に響く。桜城命の声はなぜだかよく通る方なので、どうしても注目が集まってしまう。部活のことを聞かれていたのはクラス委員の2人のうちの片方、小野小春。
「桜城さんはどんなことに興味があるの? 部活って言ってもこの学校にはたくさん部活があるから、興味があるところから見た方がいいと思うんだけど」
「ふむ。興味か……。何をやったらいいのかさっぱり分からぬ。それゆえ全て見ておきたいのだが」
「全部っていったら30個以上あるよ?」
「構わぬ。部活の一覧などはないのか?」
どうやら桜城命は部活見学をすることに決めたらしい。というよりは、部活動をしたことがないらしいということを知った担任が、桜城命に部活見学を勧めるようにとクラス委員に頼んだというのが正解だった。
「たぶん、生徒会ならリスト持ってると思うけど……」
小野小春は桜城命を連れて放課後の教室を出ていった。誰もがその様子をちらちらをうかがっている。あの不可解な転校生は、今度は何をやらかすのかと戦々恐々していた。海人もまた、面倒なことが起こりそうだなと渋い顔をして、2人の後ろ姿を見送った。
最初は本当に穏やかな放課後だった。終礼が終わってからポツリポツリと集まり始めた将棋部員は海人を入れて15人。場所は美術部のいない日の美術室だった。空いた机にかばんを置いて、海人は将棋盤と駒を準備室から出してくる。
「海人、今日は最初に俺とやろうぜー」
「おう、お願いします」
まだ初心者過ぎて2年生の先輩とは勝負にならない。仕方がないので、高校生になって初めて将棋を習った海人を含めた4人が毎回相手を替えて練習している。ようやく駒の動かせるようになり、勝負らしい勝負が出来るようになってきたところだ。
元々海人は、中学まではリアルの学校で陸上部に入っていた。しかしバーチャルの学校に通うことになった時点で部活は文化部にしようと考えていた。なぜなら、運動部に入っても、リアルの方ではその競技の大会には出られない規定だったから。
どうしても脳内でのイメージトレーニングと同じになってしまうバーチャル高校での運動部は、原則としてリアルの大会への出場は認められていなかった。どうしてもその競技でやっていきたいという生徒は、リアルの方で何らかのチームに所属してそこから出してもらうしかない。
同様に、デジタルで表現できないものを作ったり行ったりする部活はあまり人気がなかった。例えば科学部。実験を行ったとしても、それはプログラム上の反応でしかない。同様に園芸部などもほぼ人がいなかった。
かと思いきや、調理部はかわいい写真好きの女子たちが集まって、綺麗に作れた
実際に物を作らなければ認められない部活はことごとく人がいないか、少ない。ただし漫画研究部と文芸部はデジタルデータでも出展可能なので、人が集まる数少ない創作系の部活だった。
「桂馬の高跳び歩の
「それ言いたかっただけだろ」
ぱちんと打ち込んだ桂馬を得意げに取って行った相手に対して、海人はその歩を香車で取ってやった。その手にどんな意味があるかなどというものをまだ海人は全く理解しないでやっているので、駒を取られたことへのあてつけという感が強い。
「海人お前の番」
「わりぃ」
ぱちんぱちんと音だけは立派に将棋を打ちながら、海人は時々窓の外に目を向けた。10月のやや穏やかになった日差しを再現したグラウンドで、3人だけの陸上部がクラウチングスタートの練習をしている。
「海人って元々は陸上部だったんだっけ? 4月の自己紹介の時そんなこと言ってたよな」
目線に気が付いたのか、今日の相手をしている山田が同じように窓の外を見た。
「やっぱ陸上やりたかったん?」
「いや、そうでもない」
目線を盤上へ戻して、追い詰められ始めた盤面とにらめっこをする。
実を言えば、別に陸上部だから見ていたわけではない。走っているのが小野小春だったから見ていたのだ。
きっと竜二なら目線の意味がばれていただろうが、山田は海人の心の内を知らないのでそれ以上の追及はしない。きっと『走ってるのいいなぁ』ぐらいに見えたのかもしれないが、それでも内心はドキドキしていた。黒いポニーテールを揺らしながら短距離を走っていく小野小春が見える。元陸上部としても惚れ惚れとするような綺麗なフォームだった。バーチャル上で行われる専門の陸上競技大会が近いせいなのか、いつもより一層、練習に力が入っているように見えた。
海人は特に足が速いわけでもなかったが、体を動かすのが好きなつもりで陸上部に所属していた。しかし高校からは大会出場が出来ないと分かって諦めた。その時点で自分が目標へ向かって努力するのが好きだったということに気が付いた。
別に陸上部でなくとも、何か目標を持ってそれに突き進むのが好き、一段階段を上がる快感がたまらなく自分は好きなのだと気が付いて文化部を片っ端から見て回った。
その中で緩い割に、目標を設定してやっている将棋部が目に留まり、駒の動かし方どころか駒の種類すらわからない状態で入部してみたというわけだった。同じように全く何も分からない状態で入部してくる学生が多いらしく、バーチャル高校の将棋部は非常に弱い。弱いけれども人数がいるので大会にはオンライン経由で参加することが出来る。秋には大会があるらしく、それまでにはそれなりに出来るようになっておけよ、と先輩からは言われていた。
「王手!」
「逃げられまーす」
玉を動かしながら海人はもう1度グラウンドに目を向けた。ふと、グラウンドの端に動くものを見つけて目を凝らす。大きさがどう見ても人間のアバターではなかった。
「……猫?」
「おい、もう一回王手だぞ」
「え、あー……んっと」
言われて盤上に目を戻すと角に睨まれた自分の玉が目に入る。
「これはもう逃げられないのかな……?」
「だな。俺の勝ち!」
喜ぶ相手を尻目に猫の姿をもう一度探すが、とら縞模様の影はどこにも見当たらない。
「なぁ、猫なんているのかな?」
桜の木のオブジェには青虫はいないと竜二は言っていた。だから人間以外の動物はここにはいないのだと考えていたのだが、どう見てもあの動き、長い尻尾は猫の形をしていた。
「猫ならいるぜ」
「青虫はいないのに? 鳥が飛んでいるところも見たことが無い」
「なんかな、猫だけはなぜかこの学校いるんだよ。時々目撃されてる。呼んでも来ないので有名だけどな」
そうなのかぁと海人はため息を吐く。存外彼は猫が好きだった。ペットとして飼ったことはなかったが、島にはたくさんの野良猫がいて、地域猫として面倒を見てもらっている。なんなら人間よりも猫の方が多いんじゃないかというぐらいだ。
ただし餌をあげている近所のおばあちゃん連中以外にはほとんど触らせてくれない。だからその猫の中に佇んで、釣りをするのが海人の最近の趣味だった。唯一、釣り上げた魚を上げるときだけ奴らは海人の接近を許してくれる。
「いいなぁ猫。アバターでもいいから撫でさせてほしい」
「猫はいいから、もう1回やるぞ」
そういって駒を戻し始めた時だった。
「お前! どの面下げて学校来てやがる!」
ガンっと机をたたく音と将棋の駒がパラパラと落ちる音、先輩の怒鳴り声の三重奏が聞こえた。のんびりとやるのがこの部活の方針であるはずなのに、この声はただごとじゃない。美術室はシンとして声の主と言われた相手に注目が集まった。
美術室の入り口に、桜城命が突っ立っていた。
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