第7話 諜報部員との取引
らんらんと目を輝かせた竜二に釣りに誘われたのは、それから二日後の土曜日の午後だった。昼間っから釣りなんて暑いだけで、本当に狙うなら明け方か夕間詰めが良いのに。とはいえ、釣り人が大量に押しかける本州の有名ポイントに比べたら雲泥の差ではあった。周囲にいるのは雑魚を頂戴しにくる野良猫ばかりで人影は全くない。
釣りに誘われはしたものの、1人諜報部を自称する竜二のことだから、目的は魚ではない。漁師の父親を持つ竜二にとっては、魚は釣れても釣れなくてもどっちでもいいのだ。要は海人が逃げられないようにするための理由。
この瀬戸内の小さな島へ来てから初めてやった釣りを海人はとても気にいり、誘われなくても1人で釣りに行くことが最近多い。暇な土日はもっぱら港の堤防へ行ってルアーをひょいと投げては、磯に居ついた魚を誘って食わせていた。
「んで、竜二。話聞くためだけに釣りかよ」
「うんちょっとな。ここ数日立て込んでて海人とゆっくり話す時間無かったから、釣りでもしながらと思ってさ」
なぜ時間が無かったのか、海人はちゃんと知っている。
連日、中間テストの点数のことで、隣の家から竜二の父親の怒号が飛んでいたのだから。竜二が遊びに出歩けなかった原因は本人だった。
「ようやく全部テスト返ってきて、竜二が怒られる恒例行事も終了して、こうしてのんびり釣りができるわけだ」
「1週間よく耐えたがんばったぁー! 自分で自分を褒めてやりたい」
「その頑張りをテスト勉強に生かすべきだと思うよ。……おっ、あーバレた」
クンっと竿を煽ったが一瞬遅く、綺麗な海に魚影がUターンしていくのが見える。見える魚は釣れないと言うが、これが意外とルアーに食いつく瞬間まで見えるのだから面白い。追いかけてくる魚影の大きさに期待が否応にも高まるというものだ。
「本題だけどさ、その篠田先輩?ってひとの話聞きたいんだけど」
「篠田先輩な、いい先輩だったんだけどなぁ。北条さつきの件と合わせてオカルト研究会でも持ちきりか?」
「持ちきりって言う人いないけどね。人が消えるのはオカ研の最も得意とするネタの一つだからな。その人が消えた状況ってのを詳しく教えてくれよ」
海人は状況を思い出す。考えれば考えるほど不思議なことが起こったのだと、今なら分かった。
「殴られた側の桜城命はびっくりして尻餅をついただけ、殴った側がフリーズしたんだ。そのあと再起動したと思ったら、北条さつきと同じように桜城命をこう指差して」
巻き上げた竿を左手に持って、海人は右手で竜二を指し示す。
「なんか呪文を唱えた感じだった」
「その言葉なんだけど、なんて言ったんだ?」
「なんつったかなぁ……とお、かみ、えみ何とかかんとか」
「なるほどなぁ」
「お前コレでなんか分かるの?」
スピニングリールのベールアームを起こして釣り糸を人差し指にひっかける。それから軽く竿を上げて振るうと、ルアーの銀色の腹が日の光を反射しながら飛んで行った。
「その言葉、同じ将棋部の山田にも聞いたんだけど、どうやら呪文らしいぜ」
「呪文? 魔法でも飛び出すんか?」
現実世界でまさか聞くことになろうかとは思わなかった言葉が飛び出してきたので、思わず海人は顔をしかめた。呪文と言えばゲームではなじみ深い。だがバーチャルの技術が発達した現在においても、さすがにリアルで呪文を使えるという人物はいなかった。居たとしても眉唾物。流石オカルト研究会、伊達にオカ研を名乗っているだけではなかったようだ。
「呪文って言うか、祈りの言葉って言うか……南無阿弥陀仏みたいなので、仏教じゃなくって日本の神様に唱える方の奴らしい」
そう言って竜二はポケットから出したスマートフォンに文字を打って見せた。5文字。
『遠神笑美給』
書かれた文字は全そんなに難しい物ではない。ただ、読み方がぱっとは出て来なかった。
「遠い神様? 笑う、美しい……最後のよくわかんねぇ。給食のキュウか?」
「遠い神でトオカミ、笑うと美しいでエミ、最後の給はたまえって読むんだがこの場合には一文字でタメ。ト・オ・カ・ミ・エ・ミ・タ・メ」
「なるほど、全然分からん」
「なんか、遠いご先祖さん笑ってください、みたいな意味らしいよ」
へぇーとだけ相槌を打つ。それ以外に海人は答えようがなかった。
トオカミエミタメ。音と漢字と意味が分かっても、なぜその言葉を消えた2人が唱えたのか、関係性が見えてこない。
「俺も色々調べて、言葉の意味とかは分かったけど、でもなんで2人がその言葉を言ったのかまでは分かんなかった」
と、竜二もため息を吐く。そりゃそうだよなと言わんばかりに、海人は肩をすくめて見せた。
「だからさー海人。消えた方を調べてもしょうがないから、桜城命の方をなんか調べて見てくれよ」
「はぁ? 何でおれがそんな面倒なことしなきゃなんないんだよ」
「どんな些細な情報でも構わないからさぁ!」
心底嫌そうな顔をして海人は声を荒げた。ただでさえ事なかれ主義なのだから、あんな台風の目には関わりたくもないと被りを横に振った。
「もちろんタダとは言わねーよ」
断られるだろうことを予想してか、竜二はにやりと笑ってスマートフォンの画面を見せる。そこには全国仮想体育競技会のチケット画面が出ていた。その数2枚。
「これを譲ろう」
「え、ちょっと竜二。コレ、どこで手に入れたんだ?」
「海人に頼むんならこれぐらいしないとダメかなーって思って頑張ってある人からもらってきたのだ」
不思議の国のアリスに出てくるチシャ猫のように竜二は笑った。嫌な笑い方だなぁと海人は顔をしかめる。
この仮想体育競技会というのは、要はバーチャル上で陸上競技を行っている学生のみが参加できる専用の大会だった。正式記録には全く反映されず、ただ参加したことだけが記録に残るという大会。お情けで開かれているような仮想大会なのだ。それでもこれがどんな価値をチケットなのか、海人は分かっている。
「これで小野小春と一緒に仮想陸上競技を見に行って来いよ。どうせ小野小春は映画チケットとかじゃ釣れないんだからさ」
「うぐぅ……」
ウンともNOともいえない、唸り声が海人の喉の奥から絞り出される。ポケットに突っ込んだ右手が、自分のスマートフォンの電源ボタンをつけたり消したりして、チケットを受け取るかどうかしばし悩む。時間にして30秒以上。
「小野さんにコレ渡す算段まで一緒に考えてくれるんなら、やるわ」
口を真一文字にした海人は奥歯を食いしばって竜二を睨み付けた。にやけそうになるのと、どうしたら上手くいくのか悩ましいのと、2つが混ざって妙な表情になっていた。
「海人って意外と度胸ない?」
「うるせぇ。これ以上なんか言うと断るぞ」
「んじゃ契約成立な」
お互いのスマートフォンをこつんとぶつけると、海人の画面にチケットが写り、竜二の画面からチケットが消えた。
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