第8話 チケットと入手経路

「いいか、小野小春は陸上部に行く際、3時50分ぐらいにこの通用路を通って部室へ行く。だからその頃合いを見計らってここで俺とチケットの話を聞こえるようにするんだ。心の準備はいいな?」

「お、おう」


 どうして小野小春が部活に行くときに使うのが通用路で、二階の渡り廊下ではないことを竜二が知っているのか、海人にはそれが不思議でたまらなかった。が、今はその突っ込みをしている場合ではない。とにかく彼女が通りかかったら丁度、たまたま、偶然その場に居合わせた風に振る舞いつつ、竜二から全国仮想体育競技会の観戦チケットをもらったことに感謝を述べるのが今最も重要なことなのだ。


「多分そろそろくるぜ……あ、でさぁ」

「ん? な、なんだよ竜二いきなり……」


 ギイと重たそうな通用路のドアが空く音がした。小野小春が来た。


「そうだ海人、こんなのいる?」

「これ全国仮想体育競技会のチケット?」

「先輩にもらったんだけど俺この間のテストの点数悪くて親父に見に行くのダメって言われてさ」

「え、くれんの?」


 と言ったところまでで小野小春はもくろみ通り食いついてくれた。


「三輪君も全国仮想体育競技会見に行くの?」

「え、うん。せっかくだから竜二にもらって見に行こうかな」

「そうなんだ! じゃあ会場で会えるかな?」

「2枚あるみたいなんだけど、小野さんもどう?」


 そのセリフが終わる前に、小春は笑って拒否のような手の振り方をする。


「私、陸上部だから先生にもらってるの。陸上部の先輩と3人でいくつもりなのよ」


 彼女はカバンから仮想スマホ端末を出して画面こちらに向ける。確かにそこには全国仮想体育競技会のチケット1枚分、表示されていた。


「そ、そうなん、だね……」


 後が続かず、尻すぼみになっていく言葉が悲しい。ほっといたらその場にしゃがみ込みそうな表情をしていた。

 だが、転んでもただでは起きない友人が助け舟を出してくれた。


「なあ海人、お前も一緒に連れていってもらったら? 行くの初めてだろ?」

「三輪君も初めて? 私も初めてだから先輩にくっついていくけど、一緒に行ってもいいか今から先輩に聞きに行ってみる?」

「え、あ、えっと」


 最初は2人っきりで行くと思っていたのもあって海人は咄嗟に反応できずにしどろもどろになる。そこへ竜二からケツパン。


「うん、友達の俺からもお願いするよ! こいつ意外と方向音痴だからさぁ!」

「んじゃちょうどいいからこのまま部室に行って聞いてみよっか」

「じゃあ俺はオカ研あるから、またな~」


 手を振って足早に去っていく竜二。だが今日は研究会の日ではないことを海人は知っていた。ありがとうと思いつつも、これ以上は勝手にやれってことか!と強く握った拳で自分の太ももを叩く。


「三輪君が仮想体育競技に興味があるなんて初めて知ったよ」

「俺、中学まではリアルで陸上部で、本当は高校でも陸上やろうと思ってたんだ」

「そっか、高校からなんだここバーチャル

「うん」


 通用路をお互いに促しながら歩き始めると、小野小春はにっこりと笑った。初めて2人で話をする機会を得て、海人の心臓は早鐘を打つようだった。


「でも将棋部に入っちゃったんじゃん」

「小野さん何で俺の部活知ってるの?」

「内緒」


 そう答えて人差し指を口に当てた彼女は一層かわいく見えて、自分の顔が熱くなるのを海人は感じる。耳まで赤くなってるんじゃないかと通用路の扉のガラス窓に写った自分の顔を一瞬ちら見したが、写りが悪くてよくわからなかった。どうしてこんなところばかり、リアリティーを追求しているのかこの時ばかりは建物のオブジェを作ったエンジニアに八つ当たりでもしたくなる。

 そんな融通の利かない扉を開けてレディファーストをしようとした。だが彼女は周囲をもう一度、名残惜しそうに見回す。


「どうかした?」

「んー……、うん、大丈夫。何でもない」


 そういって通用路から部室塔へ入ると、薄暗い廊下をすたすたと歩き始めた。突き当りの階段を上がって二階へ行く。


「リアルて陸上やってたんじゃ、やっぱりバーチャルでやるのは物足りないもの?」

「どっちかって言うと俺、陸上がやりたいんじゃなくって何か結果を残したかっただけだから、だったら文化部でもいいよなって思って」

「それで将棋部かぁ」

「全然上手くならないから初めての大会は初戦敗退しそうだけど」


 と言ったところで、陸上部の部室まで辿りついてしまった。運動部の数自体が少ないので、運動部の部室棟はとても小さい。もっと部室が遠いところにあって、ずっとこんな他愛の無い話を彼女としていたかったが、それもここまでらしい。

 コンコンとノックして入ると中には男女二人の先輩がいた。恰幅のいい男の先輩と、目つきは悪いが綺麗な女の先輩が1人ずつ。


「おつかれさまです先輩」

「あの、失礼します」


 ちょこっと会釈をしながら海人は小野小春の後ろに付いて部室に入る。その姿に荷物を置いてワンタッチの着替えをしようとしていた先輩2人のうち、男の先輩の方が目を輝かせた。


「小野さん! もしかして入部希望者連れてきてくれたの?!」

「あ、いえ、そういうわけじゃなくって……」


 3人しかいない陸上部に1年生が友達を連れてきたら、大体そう思われてもしょうがない。というのを忘れていた海人。慌てて両手を横に振ると、その手の往復分だけ先輩の輝いた目が曇っていく。この間、ショートカットの女の先輩の表情は微動だにしなかった。

 だが、嘘をつきにここへ来たわけではないし、大体から陸上部と将棋部の活動曜日は被っている。


「すいません、入部希望じゃないんです。俺、1年で小野さんと同じクラスの三輪海人って言います。今度の全国仮想体育競技会のチケットを友達からもらったんで一緒について行ってもいいか聞きたくって小野さんについてきたんです」


 海人は早口に自分のスマホのチケット画面を見せながら言った。一瞬ときめいた表情が消えた男の先輩も、陸上にまるで興味がないわけではないのだと分かったのかにっこりと笑って見せた。男の方の先輩がどうやら部長らしく、構わないといった風にかぶりを縦に振って見せた。


「もちろん、一緒に行こう。去年僕たちも入場口から席までなかなかたどり着けなくって大変だったから。席番号見せて」


 言われてから自分のチケットに関番号が書かれていることに海人はようやく気が付いた。この番号が離れていたら、せっかく一緒に行ったとしても別々の席で観戦することになるんだから意味がない。眉を顰めそうになるのをぐっとこらえて、チケット画面を出したままの端末を先輩に渡した。

 自分の端末画面を見て、先輩がおや?と首を傾げる。すんなりと手元に端末を返された海人は、何が不備があったのかと不安げに顔を覗き込んだ。


「僕たちの席の隣だね」

「そうなんですか?」


 何も問題は無かった、少なくとも海人にとっては。


「じゃあ、一緒に観戦できるね三輪君」

「うん、よろしく小野さん」


 海人はホッと一息、これで初めて学外で小野小春と会える機会を得た。その喜びで笑みが抑えられない。


「三輪君、集合時間とか場所は決まったら小野さんに伝えてもらうのでいいかな?」

「はい、先輩よろしくお願いします」


 ぺこりと律儀に一礼をして部室を出た。そしてこらえきれずにガッツポーズをする。

 その背後でもう一度、乱暴に引き戸を開けた女の先輩が出てきた。そして同時に睨まれる。慌ててガッツポーズを隠して会釈をした。ひどく目つきの悪い、だが背が高くてきれいな先輩だった。


「三輪ちゃんって言うたっけ?」

「は、はい」


 海人もそんなに身長は低い方ではないのに、ほぼ目線は同じ。だが、すらりと伸びる手足の長さは彼の1.5倍ぐらいありそうだった。


「小野ちゃん狙いってのは、君のことか」

「えっんお、あの……」


 二の句が継げずにアワアワと目が泳ぐ。図星な様子を見た女の先輩が、形のいい口で意地悪な魔女のように笑って見せた。


「竜二のアホにチケット二枚譲ってくれって頼まれたけど、こういうことねー。ま、がんばんな」


 乱暴に肩を叩かれて、アバターの肩に小さく干渉エフェクトが出る。


「え?」


 意味が分からずに首を傾げたままの海人をしり目に、女の先輩は右手をひらひら振りながらグラウンドの方へと出ていった。

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