第28話 バグ
指定されたVRサロンは、有名MMORPGに隣接して作られた本来はゲーム用サロンだった。出入りするアバターのほとんどは、ゲームをしている人たちの物なのでゲーム内のキャラクターに近い物が多い。
と言っても、そのゲームというのがリアル系ではなかったので、海人が魚人、竜二がロボットのアバターでいてもまったく目立つことは無かった。
「やぁお待たせ。何か注文するかい?」
現れた用務員さんの私用アバターは、こちらは真っ白な兎だった。兎の被り物をして、可愛らしいドレスを着ている。ただ、しゃべり口調はあの英国紳士のまま。違和感の固まりだった。
「いいよ奢るから、好きなものを頼みたまえ」
用務員さんはやけに腹に響くハスキーボイスで、店員にホットティーを注文して、そして外部との音声遮断・視覚遮断機能をONにするように追加オプションをしていた。
海人と竜二は二人で一つのメニュー表を見て値段の高さにおののいて、一番安いコーヒーを注文した。
それからまじまじと、用務員さんのアバターを見る。長い耳にピンクのリボンが付いた、声がしなければどう見ても中身は女性のようなアバターだった。
「アバターが気になるかね?」
「あ、いや」
「個人的な趣味というか、まぁある人の影響なんだがね。公共用アバターではないから、ネカマをしても支障はないし、別に罪に問われるわけではない、と開き直って使っているだけさ。あまり気にしないでくれたまえ」
彼は背後の壁を触り、ハニカム構造のエフェクトが出るのを確認する。視覚と音声がちゃんと外部と切断されていることを確認し、アイテムストレージからA4サイズのデータファイルを取り出した。
人物画像のところには、海人から見るとあの桜木命の顔写真がはめ込んであった。しかしその横、本来の人物画像は黒塗りで情報が読み取れなくなっている。
「彼女だね、桜木命。驚いた。この画像の部分、個人の視覚認識を歪めるコードが組み込まれていて、私でもロックが外せなかった」
「こんなところまで、アバターが好みの人物に見えるようになってるなんて……」
「神様だから何でも出来るってことなのか?」
「さぁ、どうなのかな。神様でも限界はあると思うが」
隠れて他人の個人情報を見るのは抵抗があったが、桜木命のデータを見て海人は気が変わった。ほとんどの情報コードが歪められて、読み取り可能な部分はほとんどない。
なぜこの状態で入学が許可されたのか分からないほど、欠損した個人情報だった。もちろんその中には、桜木命の両親に関する情報も無く、何を司る神なのか
一通り目を通してみて、何の手がかりにもならないことに二人は肩を落とす。ただ竜二は不思議そうに、今度は用務員さんの方を見た。
「用務員さんは、どうして俺たちのこんな変な話信じてくれたんです? 普通神様だとか言っても、中二病こじらせたか、気が狂ったか、あるいは新興宗教の類だとしか思えないでしょ」
個人情報のファイルをストレージに仕舞い、湯気立つ紅茶に口を付ける用務員さんは、ふむと頷く。
答えが返ってくるまでに時間がかかりそうで、海人もコーヒーに口を付けた。以前小春と一緒に飲んだ安いコーヒーよりも随分とコクがある。反面、苦みは一層強かった。
「私もあの学校に勤めていて神を自称する者に会った、いや向こうはこちらのことなど認識していなかったから私が一方的に見ただけなんだが。だから、他に神様がいてもおかしくないと思った、と言ったら、君たちは信じるかい?」
竜二もコーヒーに口を付けていたがピタッと動きを止めた。そして竜二のロボットと海人の魚人が顔を見合わせる。
やはりという思いと、まさかという思いの両方があった。
「まぁ信じるかどうかはさておき、私にとっては二人目の自称神様だからな。信じようが信じまいが、システムエンジニアとしての結論は一つ」
可愛らしい白ウサギのアバターは優雅に紅茶を飲む。が、どこかしらあの猫の貫禄があった。
「広大なネット空間には、我々がシステムエンジニアが意図しない形のバグが存在して意識を持って動いてるってことさ。それが神を名乗ろうが、悪魔を名乗ろうが、名称は何でもいい。作っている我々からしてみたらバグだ」
強い語気に海人はうっすらとした怒りを見つける。ほとんど動かないアバターの表情には全く出てこないが、用務員さんとしては自分たちが作り上げた空間に、意図しない何かがいるということ自体が許せないのかもしれない。
だとしたら、この人は何か退治する方法を知っているのだろうかと、俄然期待が湧いてきた。
「じゃあ、桜木命の正体を言い当てる方法を……!」
「残念だが私にその方法は分からない」
「え……」
海人はコーヒーと取り落とした。演算処理によって瞬時に固体化したコーヒーは、こぼれることなくコップごと斜めにテーブルの上で落ち着く。慌ててそれを元の向きに戻すと、コーヒーは方向を感知して元の液体に戻って揺蕩う。
隣では明らかに失望したらしい竜二のロボットが下を向いていた。
「不安定要素のバグは分かる限りでは取り除きたい、それが私のプロとしての心情だ。しかしながら、神を自称するバグたちは私の手に負えるものではない……いやなかった。彼の事象改編能力は不条理なほど高い。私たちのエンジニアとしての能力をはるかに超える演算速度で、自分の都合のいい事象を周囲に適用させていってしまう」
もし用務員さんが人の姿をしていたら、ひどく苦々しい顔をしていたのだろうかと海人は彼の口調から鑑みる。どうも彼は以前にバグ《神様》と何らかの邂逅をし、その経緯から今回の件へのむずかしさを自分たちに教えてくれているような。そんな気はしたが、どうにも要領を得なかった。
音が遮断されたテクスチャーの向こう側を、他の人のアバターが行き交う様子が見える。何事も無かったように彼らは普通に会話し、何事も無い、平時の様子。誰も竜二や海人の様子に気が付いてはいない。
「結局、私の結論はバグとの共存を選ぶしか方法が無かったんだ。と言っても私が出会ったバグはそう悪い者でもなかったがね。桜木命ほどではない。誰かをネットの向こう側へ連れ去ろうなどとはしていなかった」
「じゃあ、俺たちは我慢しろってことですか」
思わず海人の口から怒気を含む声を出した。いつもの事なかれで、どこか諦観している位置から、一歩踏み込んでいる気配がした。
よせよ、と竜二が制するも、海人はその手を振り払う。
「俺は幼馴染と友達のどっちも助かってほしいし、自分だって助かりたい。指咥えて諦めるなんて絶対に嫌だ。神様だろうが、何だろうが、絶対に暴いてやるって決めたんだ。大人だったら、生徒の安全を保障するのが仕事だったらちょっとは頭使って協力してくれたっていいだろ?!」
立ち上がった海人は肩で息をしていた。
海人は周囲を見回し、隣のテーブルや通路の往来の人々が全くこちらに気を使っていないことを確認してホッとする。視覚遮断と音声遮断の効果がシッカリと働いている証拠だった。
「もちろん、生徒の安全は第一さ」
「だったら、なんかアイディア出してくれてもいいだろ?!」
「
兎のアバターは落ち着いた動作でもう一口紅茶を飲んでいる。演算機能から温度の推移を省いた紅茶からは、未だに緩やかな湯気が立ち上っている。
「もう一人のバグ《自称神様》の方に私が接触を図ってみよう。向こうは虫けら程度に思っていた奴からの連絡で驚くかもしれないが、問題を解決してくれるとすれば同じレベルの存在しかありえまい。少し前まで忙しかったようだが、今はもう落ち着いているはずだ」
「俺たちはどうすれば?」
「とにかく相手を観察することだ。私もあと2週間あまりだが桜木命を要注意人物として観察する。来週日曜日、テスト前だがまたここに来てくれるかね?」
2人は無言で頷き、スケジュールアプリを立ち上げる。
『12月8日(日) 勉強会』と書き込んだ。
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