第29話 見やる先には
あくる月曜日、登校してきた小春はどこか疲れ切った様子だった。アバター自体には、いわゆる『顔色』というものがあまり存在しないと言われており、その人を良く知る他人から見て挙動がおかしくなければ普通は中身の人の体調がすぐれないなどの情報は他人には伝わらない。
海人はなんとなく小春が疲れた様子だと気が付いたものの、それが自分の勘違いなのか、それともここ数週間でぐっと縮まった距離の成果なのか分からなかった。
「それで、結局、やっぱり私たちには桜木さんを見張ることしかできないってわけね」
12月に入って、一層寒々しい雰囲気の増した空の元、体感温度には全く変化のない屋上で三人はため息をつく。小春は最初は何か期待をしていたようだったが、特別な解決手段が提示されなかったことに、かなり落胆した様子だった。
だが、竜二は腕組みをしてフェンスにもたれかかり、大きく首をひねった。
「見張れ、ではなかったよな?」
何を言っているのか理解が及ばず、海人は別の意味で首をひねって竜二のことを凝視する。用務員さんからは今まで通りと言われた。はずだが、どうやら記憶力のいい竜二は別らしい。
「見張れ、じゃない?」
「うん、観察しろって言ってなかったっけ?」
「観察すると見張るって同じことじゃね?」
「意味合いとしては違うだろ」
竜二は少し離れた給水塔の陰に隠れてこちらをじーっと見た。
「これが見張るだ!」
大声で言う。
その後、走って近寄ってきて、今度は海人の周囲をぐるりと回りながら、頭のてっぺんから足のつま先まで舐めまわすように見る。
「これが観察する、だろ?」
「そっか、私たちがこれまでやってきたのは観察も入ってたけど、どっちかって言うと見張る方だった」
「観察するって、例えば何を観察すりゃいいんだ? あいつの傍にそんなに寄るなんて多分無理だぞ」
海人は友人だから竜二の接近を許したわけで、これが友達だと思っていない奴だったりしたら止めてくれと普通は言う。同じことを桜木命に出来るはずがない。
そうなんだよなあ、と竜二はまた腕組みをして首を傾げた。
「そもそも、俺たちがきっと気が付いていないことはまだあるはずなんだ。それに気が付かなきゃいけない。何かを観察するかというより、何かに気が付くためにあいつの行動を観察しなきゃなんない」
「少し目線を変えてみるか」
「そうだね、桜木さんのログアウト以外の色んな挙動を観察してみよう……!」
その僅かばかりの希望に縋って、三人は桜木命の様々な動きを観察し始めた。それは今まで見ていた、いつ・どこでログアウトするかと言った情報だけではなく、桜木命の癖、声のトーン、そして手や足の動きなど、微細な部分にまで及んだ。
授業中、あるいは休み時間中、そして放課後の部活動中も出来る限り行動が見えるように工夫をして観察を続けた。不思議とこの間、芦原いずもは用事があると言ってすぐに帰宅してしまい、オカルト研究会は三人の桜木命観察会に置き換わっていた。
三日ほどしてあることに竜二が気が付く。
「あいつ、なんか同じ方向を向いてること多くねぇか?」
竜二は違うクラスだったため、主に放課後と休み時間に桜木命が学校内を探索する際に尾行していた。その時、時々足を止めてはある一定の方向を見ていることがあったという。
言われて次の日から海人と小春も授業中に桜木命がぼーっとしている時の顔の向き、目の向きを観察したが、竜二の言うとおりある一定の方向を向いていることが多かった。
「西……?」
「西の方角よね?」
放課後の教室で、誰にも相手されずに一人黄昏ている桜木命の顔には西日が当たっていた。オレンジ色に染まるその顔には、不思議と悲しみの色がある。
転校してから一カ月半あまり、すでに学校中で変人と噂されている桜木命は、どこへ行っても煙たがられている。おかげさまで最近はこうして一人ぼんやりと教室にいることが多かった。そうすると決まって西の方を見ている。
「西よりちょっとだけ南を向いてる。南西、いや西南西ぐらいか」
竜二はどこから小型コンパスのオブジェクトで、桜木命の目線の先を確認する。コンパスはほとんど西南西を指し示している。そちらに何があるのかと海人は目線を同じ方へ向けたが、ただ眩しいばかりの西日で何も見えない。
その日から竜二と同じようにコンパスを持つようにしてみたが、やはり桜木命はボーっとしている時は大抵西南西を向いていた。
「賭けに近いんだけど、教室に多角カメラ仕掛けてあいつの視線の詳細角度出さないか?」
言い始めたのは海人だった。どうしても桜木命の
ぶれない一点を見つめるその動作は、日を追って多くなっていく。どうやら学校の中で自分が浮いているという自覚が出てきたことも関係しているようで、最近は自ら他のクラスへ誰かを観察しに行くことも無くなっていた。
「多角カメラで3Dスキャンするのね」
「やってみるか。もうそろそろ時間ないしな」
金曜日の夕方、1年C組の部屋の隅に海人たちは5台のカメラを仕掛けた。と言っても仮想空間内に視認阻害テクスチャを張り付けたアプリコードを張り付けるだけの簡単な作業だった。
教室の前の方のガラス窓、教室の後ろの方の窓ガラス、教卓の前、廊下側の壁、後ろの掲示板。それぞれを一日かけてひそかに貼り付け、後は夕方を待つ。
なぜか桜木命は用事もないのに
「ちゃんと録れてるかな?」
下校時刻ギリギリに回収に向かう算段で、三人は生物室に引き上げていた。こうして待つ時間は酷く長い。
何度も時計を確認するが、なかなか18時に近づかない。海人はしびれを切らして生物室の中をぐるぐると歩き始め、竜二は椅子を何個も並べた上で無意味に腕立て伏せを始める。小春だけが辛抱強く座って英語の単語帳で時間をつぶしていた。
「そろそろいいんじゃね?」
17時14分。最初に音を上げたのは海人だった。
「いや、いつもこの時間はまだ帰ってないぞあいつ」
竜二は腹筋に切り替えていた。小春もまた首を縦に振って同意した。
「でも、あーなんかもう、待てないって言うか!」
「分かるけど失敗できねーんだから、もう少しがんばれって。俺と一緒に腹筋しようぜ」
「アバターで腹筋しても意味ねーだろ!」
そんな苛立ちを互いにぶつけ合い始めた時、がらりと生物室のドアが開いた。桜木命が立っていた。
「お前……」
「私の何を録っていたかは知らぬが、ほれ返してやる」
手の内から零れ落ちたのは、握りつぶされたアプリコード。隠ぺい用の視認阻害テクスチャーはボロボロになっていた。
「こんな子供だましで何が出来るというのだ」
床に落ちたアプリコードの固まりを蹴り飛ばす。スコンと音を立てて固まりは小春の近くの机に当たって止まった。
酷くつまらなさそうな、それでいてとても悲しそうな顔をした桜木命は、自分の役割は終わったとばかりに、無言で扉に手を掛ける。
「ちょっと待てよ!」
咄嗟に海人はそれを止めた。
「何か用か?」
うっとおしそうに振り返る桜木命は、やはりこの時も海人にはどうしても黒く長い髪をポニーテールにまとめた美少女に見えていた。それが悲しそうな顔をするのは、観測している側としはいたたまれない気分になる。
それでも相手を止めた以上、何かしら情報を引き出してやろうと咄嗟にコンパスをアイテムストレージから取り出した。西南西、確認して指を指す。
「あっちに、何があるんだ」
生物室の中からだと、ただ黒板の真横の準備室の扉の位置だった。
桜木命は、しかしその準備室の扉のさらに遥か向こうを見やって、ああ、とため息を吐いた。
「答えるとでも?」
「答えたくなけりゃそれでもいいさ。でもさびしそうな顔でずっと見てる方向って、少しは気になるだろうが」
「さびしそう?」
意外そうな顔をして、桜木命は右手で自分の頬を触った。その様子に、今度は小春がアイテムストレージから手鏡を出して渡す。
「桜木さん、最近ずっと気落ちしてるんじゃない?」
「私が? さびしそう?」
渡された手鏡の中に自分を見た桜木命は、本当に心底驚いた顔をしてしばらく無言で自分の頬を撫でていた。
「そうか、私はさびしかったのか」
ひとしきり自分の顔をしげしげと眺めまわすと、ふっと笑って見せる。自分の感情に気が付いたのが、まさに今だと言わんばかりだった。
丁重に手鏡を小春に返し、何か吹っ切れたようにクルリと振り返った。軽快な足取りになって生物室の入りまであるき、取っ手に手をかけたところで再度生物準備室の扉の方、つまり西南西を指差した。
「あちらには私の大事な人がいる。ではな、期限までにせいぜい足掻くがよいぞ」
言うや否や、桜木命の姿がふっと掻き消えた。まるで消しゴムでも使ったかのように、その空間には何もなかったかのように消失する。
仮想空間へのログイン・ログアウト時の光は全くなく、バグの様に人一人の姿が消えた。初めて桜木命のログアウトを認識した瞬間だった。
「ダメだったね……」
小春は足元に落ちている多角カメラのアプリコードの残骸を拾い上げた。ずたずたに切られたコードは原型をとどめておらず、復元するのも難しそうだった。
と、竜二が窓際に足早に駆けていく。生物室の前の方の窓、後ろの方の窓、教室の後ろ、廊下側、黒板の上、最後に机の上に乗っかって天井付近。
「何やってんだ竜二」
「海人、お手柄だった!」
竜二は二人を手招きして呼び寄せ、手の中の物を見せた。
「桜木命に気が付かれたら、ここに来るかなーと思って生物室にも仕掛けておいたのさ」
多角カメラのアプリコードが5つ。中には先ほど桜木命が指差した動作がはっきりと記録されていた。
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