第30話 何があるのか?

 録画データは竜二が家に持ち帰り、以前芦原いずもにもらった学校の見取り図のファイルと重ね合わせて角度の算出をした。夜にその詳細がデータ送信されてきた。さすがに期末テストまであと4日、家を抜け出すことは控えた方がよいと判断したらしい。

 同じように送られた小春から、3人の会話ログの部屋に『桜木さんの大事な人ってお母さんかな?』という書き込みがあった。


「母親が大事って、なんかこう、すごく幼い感じがするんだよなぁ」


 一応期末テストの勉強をしながら、海人は椅子によっかかって天井を見上げる。半年以上会っていない自分の母親を思い浮かべてみたが、どうしても会いたくてしょうがない、さびしいという感覚にはならなかった。

 海人は父親と母親の仕事の都合で行く海外を拒否した。かといって、自宅に残って一人で東京の高校へ行くことも嫌だった。中学の知り合いがいない高校へ進学したかった。それゆえ選んだのが仮想科の高校だった。

 知っているのは竜二だけ、それも最初は嫌だったぐらいだ。ただ、そんな中で将棋部に入ったり、竜二に釣りを教えてもらったり、色々と面白いこともあった。意外と充実した高校生活を送れていたはずだった。そのはずが今は、何やら危機的状況に巻き込まれている。


「なんかこう、落ち着かないんだよな」


 丸まった背を伸ばすと首の当たりで骨がぽきぽきとなった。肩こりが酷い。会話ログに『じゃないかな』と書き込んで、そのままベッドに倒れ込んだ。

 次の日、竜二が重ね合わせた録画データを持って、あのVRサロンに用務員さんを尋ねて行った。今度は小春も一緒だった。彼女の私的なサブアバターは丸くデフォルメ化された三毛猫だった。


「やぁ、期末テストの勉強は進んでいるかい」


 渋くてかっこいい声のリボンつきうさぎアバターの用務員さんの開口一番は、どちらかというと嫌味に近かった。竜二から渡されたデータを見て、また紅茶を優雅に飲みつつふりふりピンクのうさぎアバターは腕組みをして考え込んでいる。

 竜二と海人はまたブラックコーヒー、小春はキャラメルマキアートをそれぞれ口にしていた。


「確かによく気が付いたね。ただこの見取り図、どっから手に入れたのか聞いても? 一応職員でも持っているのは限られているはずなんだが」

「え、えっと、先輩から……」

「先輩?」

「2年の芦原いずもって先輩から以前もらいました……」


 アバターも声も小さくなりながら竜二が答えると、用務員さんのうさぎアバターはピタッと動きを止める。


「ああ、なるほどね」


 うんうんと頷くと、それ以上は何も言わず、詳細な角度の方にまた目線を落とした。


「この見取り図だと、あの仮想空間がどこにあるのかまでは分からないことになっているが、関東だってのは知っているね?」

「はい、入学の際に季節の移り変わりについて説明がありましたから」


 小春はふわふわのマキアート泡を少しずつスプーンですくって楽しんでいる。ほとんど面識のない大人におごってもらうのに、躊躇なく高い物を選ぶあたり、彼女は意外と神経の図太いタイプだということに海人はこっそり驚いていた。


「うん、正確には東京の自由が丘という設定で作っているんだ」

「何でですか?」

「実際に行動できる範囲はそんなに広く取ってないけれど、空間として視認できる範囲はかなり精密に再現するように注文されていてね。正確な立地を限定させないと、リアルに近い遠景を再現するのは難しいからだよ」


 地図アプリで自由が丘周辺を呼び出して、本来は住宅地が並ぶところに国立第3仮想化高校の敷地を重ねて置いた。すると随分と広い範囲の住宅地が高校の敷地に置き換わる。ただぴったりと地図は一致した。

 そこに今度は竜二が算出した桜木命の見ている方向を書きこむ。やはり西南西、多摩川の方へ向いていた。


「そうだな、方向としては多摩川の向こう側だと、 東急電鉄田園都市線の鷺沼駅や神奈川県の子どもの国なんて施設がある」


 直線を延長させてみると、確かにちょうどそのあたりに線はかかった。しかしながらそれと大事な人というキーワードは全く関連が見当たらず、4人は地図を見て沈黙をする。

 小春の言うとおり、素直に推理するなら桜木命にとっての大事な人とは母親と考えて間違いないだろう。だが桜木命が八百万の神であるならば、桜木命の母親もまた神であるはず。

 そうなったとき、鷺沼駅やこどもの国に宿る神というのは全く想像がつかない。さらに天照大神から呼び出されるほどの高位という点からは遠のいてしまう。


「となると、やはり多摩川を見ているというのが有力かもしれないね」


 用務員さんは地図上、学校から南西を斜めに流れる大きな川を指差した。竜二は「多摩川?」とあまりピンと来ていない様子だったが、元々東京に住んでいた海人としてはそうだよなぁと首を縦に振る。


「多摩川ってそんなにでかい川なの?」

「大きいよ、東京と神奈川の県境流れてるの」

「あれ、小野さんってもしかして関東の人?」

「あ、うん、神奈川なの」

「へぇ~俺元々東京にいたんだ、世田谷」


 他愛ない会話の中で、ふと小春が実は元々住んでいたところに近いところに住んでいたのではないかと海人は思ったが、実のところ彼女は出身地をクローズにしている。こんな踏み込んだ話でもしない限りは、本来はどこに住んでいるかなどの情報は公にしたくない側の人だったはず。

 それが思いもよらぬタイミングで知ってしまって、海人はなんだか複雑な気分だった。


「多摩川、はっと、とりあえずWikipediaでも参照してみるか」


 うさぎアバターの用務員さんは無造作に空間にブラウザーを広げ、設立から40年以上経つ老舗のオンライン百科事典を開いた。万葉の時代から歌に詠まれるほど記録が残っていたらしく、意外と歴史がある河川だったことに気が付く。

 その中に多摩川の「たま」というのが霊魂を表わすという表記を見つけて、用務員さんは画面スクロールする手を止めた。


「武蔵の国、現在のまぁ東京神奈川埼玉あたりの総社すべやしろである大国魂神社おおくにたまじんじゃに禊の水を提供していたのか。だから霊魂たまの川、たまがわ」

「なんか、近くないっすか?!」

「大国魂神社って、どなたをお祀りしている神社ですか?」


 竜二と小春は自分でもブラウザーを広げ、競うように大国魂神社と入力して検索する。出てきた神様の名前は――大国主命。


「オオクニヌシノミコトって、確か男神……よね?」

「そうだ、スサノオノミコトの子孫で、国造りをした神様だな」


 同じように自分のブラウザーで確認した用務員さんは、違和感を覚えて首を傾げていた。

 実際に大国魂神社へ行ったことがある海人は、以前行った際の写真を自分の画像ストレージの中から探す。小学校の時、何かのお参りの際に行ったはずだが、記憶がとても曖昧でいつだったか分からず、どんどんとストレージを過去へとさかのぼって行った。


「オオクニヌシ自体は国津神だ。天照大神に国譲りをした神様だもんな」

「じゃあ奥さんは? 可能性があるなら、そっちかも」

「オオクニヌシの奥さんは諸説あるけど、有名なのはスセリヒメノミコト、スサノオの娘」

「日本神話ってそういうところすごい設定よね……」


 竜二と小春はそこまで遡ってみて、いったん顔を上げる。何かがずれていた。

 同じく、ストレージを遡ってみたものの画像を探し当てることができなかった海人も、何かがおかしいと首を傾げる。


「桜木命が見ているのは、恐らく母親の女神の何か。ところがオオクニヌシは男神であるから、違うのではないかな?」


 用務員さんはため息を吐いた。それに、と言葉を続ける。


「父親の方については憎んでいるような事も言っていたと、聞いた気がする」

「そういえば……そうだった」


 がっくりと肩を落とす。正解を見つけたように思って手繰り寄せたものの、似ていたがやはり違っていた。

 いい線行ってたと思ったのになぁ、と竜二は天井を仰ぎみた。


「とりあえず方向だ。地図を、目を凝らして小さな寺社などを探してみる必要があるな」


 用務員さんに時間切れを告げられて、3人はVRサロンを出た。用務員さんから地図のコピーを受け取り、うさぎアバターがしゃなりしゃなりと去っていく後ろ姿を見送る。


「明後日から期末試験でそれどころじゃないのにな」


 呟くと、海人は自分が未だに普通の高校生活を送っているような気分になることができた。人並み程度の高校生活が今は全くと言ってもいいほど遠のいている。それな、と同意するのは竜二で、はぁーっと大きなため息が聞こえた。


「あのさ」


 その2人に小春が声を掛ける。

 丸い三毛猫のアバターは前で手を組み、まるで祈るようなポーズをしていた。


「あのさ、2人とも」

「ん?」


 その手の中には紙のオブジェクトが握りしめられていた。紙のオブジェクトにはバーコードが書き込まれている。


「これ、私が居る場所」

「住所?」

「お願い、テスト休み期間中に、リアルの私に会いに来てほしい。話したいことがあるんだ」


 小春はそう言ってログアウトして行った。

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