第33話 小春の願い
「小野さん……?」
「言葉は聞こえてるわ。反応はこのモニターに出るから、見てあげて」
そう言って渡されたのは少し古い型のタッチパネル式のタブレットだった。
『来てくれてありがとう。ちょっとびっくりしたかもしれないけど、小野小春です。はじめまして^^』
画面に流れてくる文字は明朝体で、いつも明るい彼女の雰囲気からは程遠い。竜二も隣で驚いたまま何と声をかけたらいいのか分からずにオロオロとしている。
男子高生二人が混乱しているところを見て、小春の母親はハッと気が付いて彼女を睨んだ。
「小春、もしかして二人に病気のこと伝えてないの?」
一拍おいて流れてきた画面の明朝体は『見てもらった方が早いかなぁと思って』という一言だった。
小春の母親は大仰にため息を吐く。
「二人共ごめんなさいね。小春は脳からの信号が手足とか口とか、動きが上手く体に伝わらない病気なの。だけどネットの方には繋げられるからVRの学校には問題なく通うことが出来るのね。初めてお友達が来るって言うから、ようやく病気のことも言える友達ができたのかと思ってたら……」
「いや、俺たちはいいんですけど、小野さん……大丈夫なんですか?」
「自分で意識的に動かそうと思わない限りは大丈夫よ」
海人はカバンの中に入っている菓子折りを出して母親に渡す。ありがとう、と答えた小春の母親は何も言わずにベッドサイドのテーブルに置いた。彼女が口に出来るのかどうかは分からなかった。
『あのさ、アクションゲームで混乱状態になると、スティック倒したのと逆方向に動いちゃうシステムあるでしょ? 私の体、あんな感じだから喋れないの』
ああ、と納得すると同時に、通りで彼女を保定する器具が多いことに合点がいった。思うとおり、と言っても咄嗟に動いてしまうこともある。それゆえいわば無意識に暴れないように、彼女はベッドに拘束されているのだろう。
その姿からは、学校で会うアバターの雰囲気はほんの欠片ほどしか感じられない。陸上部で走り回る健康的な雰囲気は全くなく、白い拘束具に掴まれた腕も貧弱なほど細かった。
「なんか込み入った話があるんですってね。下でお茶してくるから、終わったらメール入れてちょうだい」
小春の母親はそれが至って普通であるかのように、早々に部屋を出て行く。残された海人と竜二は、驚いたまま何と声をかけてよいのか分からずしばらくパイプ椅子に座して沈黙していた。
そんな二人を小春はなるべく笑みを作ろうとしてくれているのだろうが、痙攣する頬の筋肉が元は可愛らしい彼女の顔をただひきつらせていた。
『ちょっとショッキングだった?』
「いや、ごめん。なんか、びっくりしちゃって」
『だよね。50万人に1人ぐらいの発症率なんだってこの病気。小学生のころに手足が上手く動かせなくなって、中学2年ぐらいからは言葉も上手く出せなくなっちゃってさ』
「呼吸とかは大丈夫なの?」
『そっちは大丈夫。不随筋は勝手に動いてくれるんだけどね。随意筋はどうしても神経伝達が上手くいかないの』
「不随筋? 随意筋?」
「竜二、それ今回の生物の試験範囲だぞ……」
「え……」
ネット内であれば小春はここで「くくく」と声を殺して笑ったことであろう。だが、上手く笑えない彼女はなるべく笑わないように筋肉を抑えつけて、その分タブレットに明朝体のwが6つも並んだ。
「小野さん、このタブレットにどうやって文字を出力してるの?」
『ああ、脳に直に電極突っ込んでるの。学校にもそこから出かけてるのよ』
頭を固定された小春の首筋からは、何本もケーブルが出ていた。そのうちのどれがそれに相当するのかは分からなかったが、確かに小春はタブレットの中に文字を書いている。
明朝体の固い文字の中に、ようやくいつもの小春の片鱗を見つけ始め、海人は安堵の息を漏らした。
「それで直接会って伝えたい事って?」
「そうだよ、俺たちそれを聞きに来たんだ。ネットの中じゃ言えないようなこと?」
話しかける声が少し震える。小春の病状を見て、海人は彼女が何を言い出すのかさらに予想が付かなくなっていく。
彼女に会う前は、もしかしたらネット上では絶対に伝えられない情報、桜木命の何か決定的な情報を掴んだか、あるいは桜木命の正体を暴く方法を思いついたのかと思っていた。どこに目があるか分からないネット上では、いくら情報を遮断しても絶対はない。だからこその
ところがどうやら、小春の顔を見てそれが違うのではという思いに取りつかれる。夕日が差し込む病室で、小春はタブレットに入力を始めた。
『話って言うのはね。もし、桜木さんの正体が分からなかったら、私が
その文字列が現れるに従って、タブレットを握る海人の手が震えた。
何と、反応していいのか分からず、そしてそれを入力している本人を直視することもできない。竜二も同じように、ただその並んだ文字列を凝視していた。
しばらくしてその文字が消え、次の文字列が現れる。
『病気のこと、見てもらった方が早いと思ったの。私の体ってご覧のとおり、自分じゃ何一つできないんだよ』
『だから行くなら私が適任だと思って、それを二人に納得してもらおうって思って、直接来てもらったの。ごめんね』
『それに“
『わたし、こんな思い通りにならない体なんか要らないもん』
矢継ぎ早に流れる文字列をただ流し見て、海人と竜二はひたすら引き留める言葉を探した。察するに、彼女はすでに諦めている。桜木命に抵抗することを、もはややめてしまっている。
しかも彼女にとってそれは、単なる喪失ではない。むしろ、新しい体を得る機会。一つの始まりの可能性すらある、神様からのお誘いだった。
『だから、もう二人とも考えなくて大丈夫。私が行くから』
彼女はそう言って無理にでも笑顔を作ろうとして、やはり頬が痙攣した。それからつぅっと目から涙がこぼれた。
その瞬間、海人の中で何かがパチンと切れた。
思わずタブレットを叩き捨てようとしたが、竜二に止められ、そしてこれが無いと小春と全く意思疎通できないことを辛うじて思い出す。
「持っててくれ」
怒声を含んだ言葉を吐き出しつつ、タブレットを竜二に押しつけて海人は小春の頭のすぐ脇に立った。ベッドサイドにあるティッシュを1枚引き出すと、流れたままの彼女の涙を拭いて捨てる。
「嘘つくんじゃねぇよ、泣いてんじゃねぇか」
『それはだって、友達になれたのになぁって』
「嘘付け。友達置いてくなアホ。ちゃんと俺たちを頼れ、自分の気持ちに嘘つくんじゃねぇよ馬鹿!」
言葉が終わる前に、小春の目に涙があふれて決壊した。
後ろではオロオロと竜二がタブレットを持ちながらも、うんうんと頷いている。
「ちゃんと、ちゃんと自分の要望を言えよ。小野小春、委員長だからっていい子ぶってんじゃねぇよ」
拳に力が入る。
大声は廊下まで響き、何事かと慌てた看護師が部屋に入ってきた。
『行きたくなんかない』
流れる涙と同じように、タブレットに文字が流れる。
『もっと二人と遊びたい、学校だって行きたい、やっと友達ができたのに。行きたくないよ』
「だったら俺たちが何とかしてやる。いや、小野さんも一緒に何とかするんだ、考えるのを止めちゃダメだ」
「そうだよ、まだ諦めんな!」
それ以上は看護師に止められ、一旦退室を求められてしまった。10分ほどして部屋に入ると、涙も鼻水も全部綺麗に拭き取られ、呼吸が落ち着いた小春が最初にあった時と同じようにベッドの上に鎮座していた。
看護師からは病院では大声は出さないことと、小春をあまり刺激しないようにと釘を刺される。
「俺たち諦めねぇぞ」
『あと4日間だけど』
「4日間もあるって考えようぜ」
目配せで互いに気遣うと、海人と竜二は今日のホテルへ行くために病院を出た。12月の日の入りは早い。16時を過ぎ、辺りは暗くなり始めていて、関東の空っ風が男子高生二人に強く当たった。
「なぁ竜二」
「なんだよ海人」
大荷物を持ちながら2人は駅の方へと歩いていく。近所の小学生が公園へ遊びに行くのか自転車でついーっと追い越して行った。
多くの人が行きかう商店街、宿泊のために新横浜まで戻る。同じ電車を今度は反対方面に乗るが、行きとは景色が何もかも違って見えた。
「俺、小野さん助けるためなら普通じゃなくてもいいや」
「あ、俺も俺も! ちょっとかっこよかったぜ海人」
竜二は拳をこつんと海人の肩に当てた。
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