第35話 割って入った人の正体

「さてと。それで? 私の正体は分かったか?」


 桜木命はまた夜を背景にほんのりと色づく桜の花びらを背景に背負っていた。

 実は後から分かったことなのだが、この桜の花びらを見えているのは海人と小春で、竜二は一切見えていなかった。用務員さんは「それが二人が選ばれた共通点なのかもしれないね」と、一人で納得していた。


「桜木命、お前の正体は……」

「私の正体は?」

「えーっと、うーっと」


 威勢よく指を指して前に一歩出た竜二は、それでも退かずにカタカタと震えていた。現実リアルの方で出会ってしまっていたら、もしかしたら脂汗を滲ませていたかもしれない。そういった機能がないアバターだからこそ、震えるだけで済んでいた。


「わっかんねぇ海人、どうしよう」


 振り返った竜二は半べそをかいていた。

 だがそれは海人も同じで、小春を守りたい、しかしながら回答が全く思いつかないでいた。


――くっそ、くっそ、クッソ!!


 右の拳で強く太ももを叩く。アバターなので痛みはない。だが叩いても答えが飛び出てくるわけでもない。よく観察しろと言われたのを思い出して、今目の前に立つ桜木命を見据えたが、余裕たっぷりに構える黒髪ポニーテールのクラスメイトは、小野小春の容姿に似て非なるその顔を意地悪そうに歪めているだけだ。


「なぁんだ。結局辿りつけなかったのか。じゃあ小野小春か三輪海人、どちらか私と幽世かくりよに来てもらおう。どちらが来てくれる?」


 ちょいちょいと手招きされると、海人と小春のアバターが引っ張られるように一歩前へ出る。同時に竜二だけが無理やり後ろへと放り出される。その扱いは酷く乱雑で、吹っ飛んだ竜二はゴンと重たい音を立てて屋上のドアノブに頭をぶつける。派手に干渉エフェクトが飛び散った。


「竜二!」

「大丈夫?!」

「二人とも、そんな些細な人間は相手にしなくても良いぞ」


 にやにやと笑う桜木命に、小春振り返りざまにすごい勢いで睨み返した。


「いいわよ、私が行ってあげる。でもね、私の友達に酷いことをしたの、これから延々と毎日文句を言い続けてあげるわ。その覚悟があるなら私を連れ去りなさいよ!」


 自ら桜木命の方へと2歩出ると、桜木命は勝ちを確信したように高らかに笑った。


「いい! それでこそ、伴侶というもの! 私も母上には伴侶にはしっかりした者を選ぶようにと言われてな。父上は優柔不断な方だったらしくて、そういうのは当てにならん。毎日嫌味を言うぐらいのもので丁度良いわ!」


 差し伸べる手は白く輝いていた。小春が慎重に歩を進めていく。

 海人はダメだと声を上げようとしても、それを止めるだけの力がない、説得力のない自分を責めるしかない。小春を止めるならば、正解を出すか、あるいは自分が桜木命の手を取るしかない。

 頭の中にしばらく会っていない両親の顔がちらついた。そしてじいちゃん、ばあちゃん、竜二の両親にもよくしてもらった。色々な、これまで出会ってきた人たちの顔が浮かんでは消えていく。これが走馬灯なのかと思った時、体が勝手に前に出て、小春と桜木命の間に割って入ろうとしていた。


「お前が来るのか?」


 にやりと笑った桜木命の顔には『それでもよい』という文字がありありと読み取れた。


――ごめん、小野さんを守るにはこれしかない!


 走り込みながら光る桜木命の手に、海人は右手を重ねようとした。


「ちょいと待ちやぁッ」


 爆音とともに誰か海人を付き飛ばす。同時に小春も後ろへと引っ張られ、桜木命に至っては屋上の端のフェンスまで体が吹っ飛んで行った。

 まるで雷が直近に落ちたかのような音に、海人は驚いて耳をふさぎ目を閉じて転がる。


「僕の縄張りでよくまぁそんなことをしてくれるやないの。天照に許可取り付けてきたわ。このアホンダラァ!!」


 音の中心に立っていたのは芦原いずもだった。

 ショートカットの目つきがやけに悪い美人の先輩は、いつにもまして機嫌悪そうに桜木命を睨み付けている。ドスのきいた声はまるで高校生とは思えない。

 彼女に庇われる形になった海人と小春は、なぜここに自分たちの先輩がいるのか理解が追い付かずにその背に思わず疑問を投げかける。


「先輩?!」

「ぎりぎり間に合ったみたいやな。すまんなぁ、テストの点数悪くて担任に怒られてたんや」

「そうじゃなくって、何で先輩ここに入れるんですか?!」

「僕の庭やから?」

「え? ええ? ここ、神様の世界と繋がってる通り道ですよね?!」

「うん、そやけど?」


 矢継ぎ早の質問に芦原いずもは答えているようで、全くもって答えになっていない。斜に構えた芦原いずもは、ただただ目の前に転がっている桜木命を睨み据えていた。

 その桜木命はというと、しばらく仰向け大の字に転がっていたが、むくりと起きあがって目の前のどぎつい関西弁の先輩を睨み付ける。ゆっくりと立ちあがって膝を払うと、怒りの表情のまますたすたと芦原いずもの目の前まで戻ってきた。


「邪魔すんな大国主命!」

「ダアホ! 天照から聞いてへんのか! この茶番は終わりにせぇ!」

「聞いてない、私が命じられたのは幽世かくりよ現世うつしよの境にいる人間の中から、伴侶を見つけて新たに人とのえにしを結べというご命令のみ! お前みたいな負犬国津神のことなんか知らん!」

「大先輩に向かってよぉそんな口が利けたもんやな?! 親の顔が見たいわ!」

「母上の悪口を言うな!」


 叫ぶと両手を伸ばし、芦原いずもに掴みかかる。足を大きく開いて踏ん張ると、桜吹雪と纏わせた溶岩が足元から湧きだした。

 その熱さを直に感じ取って、海人と小春は思わず距離を取る。本来感じないはずの熱を、この空間に置いては感じることができる。それはつまり触れればやけどでは済まない可能性があるということ。


「こン、アホがー!」


 掴みかかられた芦原いずもは、しかしながら投げ飛ばされることは無かった。足元を溶岩に絡め取られながらも、やけどをしている雰囲気はなく、むしろ桜木命のブレザーの襟を掴んで逆に放り投げる。

 また大きく吹っ飛ばされた桜木命を横目に、さらさらと盛り上がる溶岩の流れを蹴飛ばして、フェンスの向こう側へと落としてしまった。


「なんで、なんでお前が邪魔するんだ! ただの国津神だろうが!」

「僕とお前じゃあ年季が違うんだよ、年季が」


 ぺりぺりと音を立てるように、芦原いずもの皮がむけていく。そこには精悍な顔立ちのみずら頭の男が立っていて、しかし目つきの悪さはたしかに芦原いずもその人だった。


「大国主命……?」

「そうそう、出雲大社のな。縁結びで有名やろ? 豊芦原中国とよあしはらのなかつくにを平定したから『芦原いずも』。ええ名前やと思うんやけど」

「いや、そうじゃなくって……先輩も神様なんですか」

「まぁそんなところ。僕はゆったり高校生活満喫しているだけだから安心せぇ。コイツのことはこの間の神在祭かみありさいあたりから天照とか天津神に散々手を引かせるように文句つけてるんだが、のらりくらり躱されててな。しゃーないこうして出張ってきたっちゅーわけ」


 すっかり芦原いずもの皮を脱ぎ去った大国主命は、未だに怒りの表情で睨み続ける桜木の命の前に仁王立ちになった。

 さしもの桜木命もこれには分が悪いのか、ギリギリと歯噛みをして下から睨み付ける。


「ええか、人間は勝手に連れ去ったらアカン。相手に『行きたい』と言わせない限りは本来、神は巫女の手を引いてはならんという決まりがある。お前はそれを盛大に破った。天照が何を言うたのかは知らんが、人間に祀ってもらわんと神様続けられへん僕らは、その一点だけはちゃんと約束守らなあかん」

 

 完全にそれは説教だった。

 齢ン千年、山あり谷ありの人生を歩んできた大先輩から、生まれてまだ間もないくせにべらぼうな神格を持ってしまった若輩の神への指導。だったが、指導される側は酷く不服そうにしている。


「分かったか! 分かったらちゃんと返事をせぇ!」

「……クッソ、でかいツラしやがって。でも結んだ誓約うけいはどうにもならん」

「誓約だと? お前らそんなものを結んだのか?!」


 慌てた雰囲気の大国主命が振り返って海人と小春の二人を見るので、2人はおずおずと頭を縦に振る。


「どんな誓約だ……?」

「今日までに桜木命の本体を見破れなければ、俺か小野さんのどちらかが桜木命の伴侶になって幽世かくりよに行くって」

「そんなもん普通の高校生が分かるわけないやろうが!」


 鬟頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら大国主命は満天の空に向かって吠える。それを見て桜木命はにやりと笑った。


「誓約は絶対だ。それはどれだけ神力が強かろうと、曲げられない」


 くつくつくつと笑う声が静かに地面を這ってくる。海人と小春はその不気味さに、互いに手を握って一歩下がった。

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