第12話 キジトラの猫

 11月3日日曜日。海人は朝8時に網戸を勝手に開けて侵入してきた竜二によって起こされた。


「勝手に入ってくんなよ」

「こうでもしないとブッチしそうだから幼馴染が起こしに来てやったの! モーニングコール!」

「こういうのは女の幼馴染がやるんだよアホ」

「アニメ見過ぎ乙」


 Tシャツ短パンで寝起きの眠い目を擦り、伸びをして、首を左右に振ってぱきぱきと関節を鳴らした。どうにもバーチャル高校へ通うようになってから、海人は運動不足気味で肩こりで体に重たさを感じている。外に走りに行った方がいいんじゃないのかと、先日じいちゃんに言われたばかりだった。

 起こしに来た竜二も、海人と似たり寄ったりの寝起きの格好。朝ごはんなのか、わかめと刻んだカリカリ梅を混ぜ込んだおにぎりを、ビニール袋に6個も入れてきている。


「ほい、朝飯」

「いいの? これおばさんが握ってくれたおにぎりじゃないのか」

「うん、今日は朝飯一緒に食べるって言っておいたから海人の分もある」

「わかった、んじゃ麦茶とってくるからちょっと待ってて」


 そういって居間へ一度顔を出した。海人のじいちゃんとばあちゃんは農作業のためにそろそろ出かけるところだった。二人には、今日は竜二とネットダイブする約束があることと、竜二が朝ごはんを持ってきてくれたことを伝えておく。

 一度、何も言わずに友達に誘われたフルダイブ型のVRMMORPGのゲームをしていたら、休日に何で学校に行っているのかと聞かれたことがあった。どうも未だにネットダイブのことをいまひとつ理解していない様子だった。

 それから麦茶を二人分用意する。部屋へ戻ると竜二がすでにおにぎりの2個目に取り掛かろうとしているところだった。


「はええな」

「とりあえず朝飯食べながら今日の作戦なー」

「そだな。ダイブしちゃったら合流まで時間かかるかもしれないし、先に集合ポイント決めておいた方がよさそう」


 そろそろ寒くなってくる季節。朝の麦茶の一杯目が胃をキンと冷やす。竜二が持ってきてくれたおにぎりを頬張ると、存外に梅干しが酸っぱくてよだれがジワリとあふれ出る。すきっ腹にあっという間に1個目のおにぎりが消えた。

 寝起きの空腹がひと段落したところで、タブレットに学校の見取り図を映し出した。なぜか葦原いずもが持っていた学校の敷地の見取り図である。建物の位置はもちろん、大小3つある門の位置と、周辺のAIのカメラの位置まで全部載っていた。


「先輩何でこんなモン持ってるんだろうな」

「葦原先輩まじすげーだろ? それに美人だし」

「美人なのは認めるけど、あの笑みが怖い」

「ま、清楚系の小野小春がタイプの海人にはわっかんねーだろうなぁ。なんつーかこう、大人の女性って感じ?」


 両手で、見えもしないボディフォルムを描く竜二に、呆れ顔で相槌を打つ。ただのM体質なんだなと納得している海人がいた。次いで、なんで竜二がオカルト研究部に所属しているのかようやく頭の中で繋がる。


「竜二って葦原先輩目当てなわけ?」

「幼馴染とライバルにならなくって俺は幸せ」

「はいはい……」


 戯言はさておき、さてと学校の見取り図に目を戻す。いつも登下校に使っている正門の周囲にはAIカメラが5台も構えている。まず侵入ルートとしては使えないだろう。

 あとの2つの門というのが、一つはグラウンドへ直接出入りできる門、もう一つは裏門だった。グラウンドへの出入りが出来る門は正門ほどではないが、やはり普段人の出入りの可能性を考えてなのかAIカメラが3台。裏門も1台付いている。


「どう考えても、裏口の死角から入るしかなくね?」

「正門側とグラウンド側は無理だよなやっぱり……」


 トントンと画面を叩く。裏門の周辺は塀ではなく、金属製の柵のオブジェが設置されている。20㎝足らずの隙間から体を滑り込ませることは出来ないが、高さ2m程度。何か踏み台になるようなオブジェでも持ち込めば越えられない高さではない。

 アイテムストレージに丁度よさそうな何かないかと探るが、あいにく海人の方にはいい物がない。だが竜二のストレージには箱状のオブジェが入っていた。まるで忍び込むためにあつらえたかのような高さとフォルム。どこでそんなものを、と聞く前に得意げに竜二の方が口を開いた。


「葦原先輩に渡されたんだ」


 どこまで、何を見越しているのかあの先輩。門ではなく柵を乗り越えることを前提に見取り図を渡してくれていたらしい。どうにも厄介で食えない先輩だった。


「ま、とりあえずあとは見つからないように頑張るっきゃないな」

「なあ竜二、見つかったらなんて言うんだ?」

「俺が『学校に忘れ物しました』で、海人は『その付き添いです』でOK」

「ベタだけどそれしかないか」

「大丈夫、俺ちゃんと生物室に鉛筆のオブジェクトを忘れてきたから」


 それぞれ3つずつおにぎりを平らげ、さてと立ち上がる。竜二は自分の部屋のヘッドセットからアクセスするので、ここでいったんお別れ。ゴミをまとめて海人が台所に捨てに行く間に、彼はまた窓から出て自分の家へ帰って行った。律儀に網戸は閉めて行ってくれたので蚊は入って来ていない。


「んじゃあそろそろアクセスしますかね」


 時計を見るとそろそろ九時になろうかという時間だった。平日であればすでに登校して一時間目が始まっている時間だ。

 少し涼しい風が窓から入ってくる。瀬戸内は湿気が少ないので東京より暑くても快適だった。海人はヘッドセットを被ってベッドに横になる。そしていつもと同じように頭の右についているスイッチを押した。

 一瞬で昨日ログアウトした校門の外にログインする。周囲には誰もいない。こんなバーチャル高校の風景は見たことが無かった。しんと静まり返った街の風景に、気味悪さを感じて思わず背筋が伸びる。


「裏門に早く行こう」


 わざと口に出して自分に言い聞かせ、腹の底にあるぞわぞわした気味悪さを我慢しながら海人は裏門へ走って行った。裏門まで行けば竜二と合流できる。二人いれば怖くない。

 急く足で転ばないように叱咤しながら息を切らして走っていくと、竜二はすでに裏門の柵の横にへばりついていた。足元には段ボールのような踏み台。男子高生が乗ってもつぶれない段ボールとは、本来は何の用途のオブジェなのかさっぱり分からない。


「海人、だいじょうぶか」

「ホント誰もいないのな。薄気味悪い」

「人がいない学校ってやっぱなんか怖いよなー」


 怖いと言ったら馬鹿にされそうで言わなかったのに、竜二はあっさりとそれを認める。この素直さが逆に羨ましかった。


「オブジェは内側からアイテムストレージに収納して、もう一度出せば内側に設置出来るよな」

「脱出の時も踏み台必要だもんな。んじゃ入ろうぜ」


 まずは竜二が頑丈な段ボールのオブジェに乗り、柵の上辺に手を掛けて勢いをつけてよじ登る。50センチほどある段ボールの高さが幸いして、いとも簡単に彼は柵を乗り越えて中に入ることができた。ついで海人も同じように柵を越える。うまい具合に登ることが出来ず、段ボール箱のオブジェを蹴倒してしまった。

 ようやく上手く柵の上に体が乗った時、箱は蹴られて少し柵から離れたところに移動していた。ストンと海人の足が地面に着いたのを確認して、竜二が柵の外側に置いたままの段ボール箱に手を伸ばす。海人も自分が蹴ってしまった負い目を感じて柵から外に手を伸ばした。


「わりぃ。うーん、手届くかな」

「うん、もうちょい」


と、その時だった。


「おい、君たち」


 段ボール箱を取るのに夢中の二人の背中に、やけに重低音の渋い声が投げかけられる。

 文字通り2人は飛び上がった。地面から10センチほど。心臓が早鐘を打つ。どこかでは見つかるかもしれないと考えてはいたが、まさかこんなに早く見つかるとは。

 だが君たちと2人を指して呼ばれてしまえば弁解の余地はない。侵入目的は竜二の忘れ物で、海人は付き添いという言い訳を思い出す。お互いに顔を見合わせて、ゴクリと生唾を飲み込むと意を決して振り向いた。


「はい……」


 そこに人の姿は無かった。


「休みの日まで登校するとは、勉強熱心なことだ」


 ダンディな声の主は、金色の目をした一匹のキジトラの猫。パタンと太い尻尾が地面を叩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る