第21話 ヒント
「おはよ三輪君」
アバターでは顔色の変化はあまり出ない。それでも競技会場の前の待ち合わせ場所に現れた小春は、幾重にも気落ちしている様子だった。
「おはよう、小野さん。あのさ」
「やあおはよう三輪ちゃん、小野ちゃん」
ガバっと後ろから腕で首を〆られる。この背の高さと男子だろうと構わずちゃん付けしてくるのは、葦原いずもしかいない。
「お、はようございます先輩」
元はと言えばこの先輩に関わったから桜城命に目を付けられて大変なことになったのではないか、と海人は憤慨する気持ちをグッと抑える。それすら今は言ってはならない。神様の目がどこにあるとも知れず、どこで聞かれているとも分からない。他の人には頼ってはならない約束なのだから。
出来ることなら察してほしいところだが、この能天気な芦原いずもはどこ吹く風。ぎこちない笑みの小春にも同じように抱き着いて遅い朝の挨拶をしていた。
と、海人はふと考える。桜城命が海人と小春を選んだ理由は何なのだろうか。
今までなんとなく漠然と、葦原いずもが尾行を指示したことが原因でこうなったように感じていた。ソレで目を付けられたのだろう、と。しかし実際のところ、それは桜城命本人によって否定されている。尾行したから逆恨みされたわけではない。にもかかわらず、なんとなく葦原いずもを恨みたくなるのは行き場のない怒りみたいなものなのかもしれなかった。
「どないした小野ちゃん。ちょっと元気ないやんか」
「そうですか? 何でもないですよ先輩」
そこまで分かるならもっと踏み込め!と言いたくなるのをグッとこらえて、後から来たもう一人の先輩と共に場内へとゲートをくぐった。
広がるのは広大なトラック。各種目で使われる器具が並べられている。まだ開始までには時間があるものの、選手たちが着替えて準備を整えている光景があちらこちらで目に入った。
「うわぁ、いいなぁ……」
はしゃぐまでとはいかないまでも、小春の顔に少しだけ笑みが戻ってくる。その様子を見て、海人は少しだけホッとしていた。
海人はどうしても競技会が見たかったわけではなかったが、やはり元々陸上競技をやっていただけあって自分がやっていた種目には目が行ってしまう。短距離100m。パァンと音がするたびに、ぴくっと動く足が何とももどかしかった。
昼休み、いったん
「小野さん」
その前に、と海人は小春の肩をトントンとたたて、なるべく落とした声を掛ける。
「お昼1時前に戻ってこられる?」
「いいけど、どうして?」
「その、昨日の件でちょっと……」
言うやいなや小春の表情が曇った。しかしすぐさま口をキュッと結び、小さくコクンと頷く。彼女もまた、あれから丸一日を悲観に暮れていただけではない様子だった。
「15分ぐらい前でいい? お昼急かすようだけど」
「大丈夫、問題ないよ」
「じゃあまた後で」
「うん、後でね」
ログアウトしてみると、リアルでは未だ目の前に竜二がいた。しかもVR空間にダイブしている海人が寝ているベッドに、付き添い人のように椅子を並べてベッドに伏せて寝ていた。あながち昨晩寝られなかったというのは嘘ではないのかもしれない。
「おい、竜二。飯食うぞ」
「うわおおう」
揺さぶるとびくっとして、半眼の竜二が顔を上げた。よだれで小さく地図を描いている。
「きったねーな」
「あれ? お帰り、もうお昼の時間?」
「はやく飯くわねーと、小野さんと話す時間がない。45分までになんか作って食う」
「手伝うよー」
男2人、台所へ行く。今日は土曜日、ばあちゃんはお昼は地域婦人会でいない。じいちゃんは友達の家へ将棋を指しに行っている。
何か簡単な物をと思って行くと、分かっていたかのように台所にはそうめんとネギと大葉とミョウガが丁寧に置いてあった。さすがばあちゃん。海人はお湯を沸かし始め、竜二がネギを刻み始める。
「小野さんどうだった?」
「やっぱちょっと元気なさそうだった。先輩がいて話できなかったから、ログイン早めて話しようと思って。だから早めに食うぞ」
出来たそうめんを大急ぎかきこむ。と言っても育ちざかりの男子二人にかかれば、そうめん400グラムと言えども一瞬で消える。薬味のネギも大葉もミョウガも、何も残らなかった。
「んじゃ行ってくるわ」
満腹になって一休みしたいところを重たそうに腰を上げて海人はヘッドセットに手を掛ける。他方、竜二もやおら立ち上がった。
「おう、小野さんによろしく。俺、今から公民館の隣の図書館行ってみるわー」
「今どきわざわざ紙の本探しに行くのか?」
大抵の本はネット上にある。閲覧も自由だし、他の人と貸出が被ることもない。情報を調べるなら母体数は多い方がいいはずだ。にもかかわらず離島の小さな図書館、もとい図書室へ行くのは合理性に欠ける。
海人の顔にはそう書いてあったのか竜二は振り返って、ああ、と端末を見せた。ネット図書館の履歴が無いわけではないのだが、どうも無難な学校の調べものの本ばっかりが並んでいた。
「ネット図書館もいいんだけど、アレ端末に履歴残るからさ。何か好きじゃないだよなぁ。万が一、葦原先輩にでも見られたら絶対におちょくられるし」
「一体どんな本を借りるつもりなんだよ……」
「子供向けの日本神話の本」
なるほどね、と頷くと竜二は軽くため息を吐く。それから彼はまた窓から出て行った。彼の靴は一体どこにあるのだろうか、と詮索はしない。蚊が入ってこないように網戸だけしっかり閉めたかだけを確認して、海人はもう一度ヘッドセットを付けてバーチャル世界へとダイブした。
時間は12時40分、約束より少し早目。にもかかわらず彼女はもうすでにそこにいて、待っていた。
「小野さん早いね」
「そうでもないよ」
不謹慎にも海人はこの時、小春がお昼ご飯をぱくぱくと食べている姿を想像していた。なんとなく可愛らしい、でも自分より早く来るのだから意外と早食いなのだな、と。
そんな妄想が一時頭をよぎりながらも、本来の話をしなければならないことを思い出す。他の人に話をしてはならない約束がある以上、あの葦原先輩にだって首を突っ込まれてはならない。なるべく手短に簡潔に、自分たちの気づきを知らせなければならない。
「あの話なんだけど、竜二と気が付いたことがあるんだ」
「気が付いたこと?」
小春と一緒に昨日の会話を順を追って思い出す。
「そうだった……、確かに桜城さんは生まれてすぐに天照大神に伴侶を見つけるように言われたって、言ってた! 言ってたね!!」
ぱぁっと小春の表情が明るくなる。アバターなのにもかかわらず、ここまではっきりと表情が変わるのは良いことだった。
午前中のしんどそうな横顔が少しでも晴れればと思っていただけに、大きな一歩を踏み出せたようで海人はこっそりと拳を握りなおす。
「でも待って。新しくできた物って何かしら? 多すぎて予想もつかない」
「そうなんだ。でも昨日の会話の中にも色々ヒントがあったんじゃないかと思う。だから一緒に考えてほしい、諦めないでがんばろう」
はたから聞いているとどんな告白の言葉だろうかと勘違いもしたくなる。ただ本人たちは至って真面目で、小春は力強く頷いた。
「大丈夫。私最初っから諦めてないし! それに私も桜城さんのことで思い出したことがあるの」
神様なのに苗字でさん付けで呼ぶのは何やら妙な気もしたが、小春がいっとう真面目な顔をしているので海人はうなずき返すだけにとどめる。
「桜城さん、神様だけどお母さんがいるのよ」
「え?」
「私、桜城さんに全ての部活の紹介をしたんだけど、調理部に入る理由っていうのが、『お母さんに美味しい物を食べさせてあげたい』だったの。神様にお母さんがいるって、けっこうレアじゃない? 付喪神とかは家族はいないでしょ? だからもしかしたら結構高位の神様なんじゃないのかなって思ったの」
「ああぁ……なるほどなぁ。言われてみればなんか普通の神様じゃない気がしてきた」
「天照大神に呼ばれたってことも、多分高位の神様である証拠じゃないかなと思うの」
海人はなるほど、と何度も繰り返しながら頷く。確かに一理どころか二理も三理もありそうな発見だ。
だが問題はその先。
「でも高位の神様なのに新しいってどういうことなのか、やっぱりわかんないね……」
「そこなんだよなぁ。矛盾してる気しかしない」
2人が同時にため息を吐く。そのタイミングがあまりにもばっちりと合いすぎて、思わず顔を見合わせて笑った。久方ぶりに笑ったような気がした。
「でもまぁ、いざとなれば……」
小春が少し眉尻を下げて笑った顔が、なぜかあきらめの表情に見えた。
「よう、お二人さん早いね」
その小春の言葉を遮って葦原先輩が戻ってくる。手を大きく振りかざし、海人の首をがっつり羽交い絞め。海人は瞬間、みぞおちがキリリと痛むように冷えた。今の会話、どこまで聞かれてしまったのだろうか?と。
しかし小春に背を向ける形でこそこそと話しかけた内容はといえば。
「どうや、ちゃんと小春ちゃんとお話できたんかい少年」
重大な秘密がばれなかった安堵と、助けを求めているのに気が付いてもらえなかった落胆とが、咄嗟に言葉を濁す。曖昧な返事を聞いただけで満足したのか、葦原先輩はにやりと笑って手を離した。
そこから午後は、ぼんやりと試合を見つつ頭の中はずっと同じことを考えていた。
新しい物、でも格式が高い神様の憑代になる物とは一体何なのか?と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます