第3話 バーチャル体育の時間

 午後一、海人のクラスは体育だった。

 体育と言っても実際に体を動かすわけではない。バーチャル空間での気晴らしみたいな授業だった。

 実は初めての仮想科の中高を実装するにあたって、一番揉めた教科が体育だったらしい。実際に体を動かす必要がないし、そもそも意味のない教科ではないかと問題になったわけだ。

 しかし結論から言うと仮想科には全ての学校学年で体育が実施された。リアルの体を動かさないので無意味かと思われたが、動きのイメージを脳に訓練させることに多少なりとも意味があるということで決着がついた。ただし体育祭は実装されていない。


「せいれーつ!」


 男の体育教員の声が晴れた空に響き渡る。自然の天候を表現するために時折わざと雨を降らせるのに、体育の授業があるグランドの上だけはいつだって晴れだ。

 体育は雨だと休みになるのが楽しみなのに、なかなかどうして中高生の心理を理解してくれないバーチャルのいらぬお節介設定はこうした通常ではありえないことをしてくれる。自然の雰囲気より大事なものがあるじゃないのか?と海人はため息を吐きながらだるそうに並んだ。


「今日はハードル走だからな。歩幅の合せをしてから、自分の歩幅と高さにあったハードルのレーンを選ぶようにしろ」


 体育の教員が手元のモニターで操作すると、高さの違うハードルがきれいに整列する。レーンの数は5つ。

 おめーの足みじけーだろー!などと言いあいながら、男子たちは一番最初のハードルからスタートに向けて歩幅を調整する。他方、女子は団子みたいになってずるずると移動する。男女混合の体育とはいえ、どうしても男女で分離しがちで、女子はゴショっと固まりがちなのが常だった。

 海人は男子の集団の後ろの方で適当に合わせながら、女子集団に目を向けた。いつだって女子は集団になってぐだぐだと動くのだが、この時は異様だった。すらりと伸びた白い足が印象的なやつがただ一人、首を傾げて女子集団に迫っていたのだから。

 もちろん、あの桜城命である。


「変なやつだけど、女子も仲間外れにすることないのにな」


 目線に気が付いたのか、海人の出席番号が1個後ろの村田が声をかけてきた。


「だよなー、変なやつだけど」

「変だけど、でもかなり可愛いよな」


 村田はにへらっと笑って見せた。それが何だか嫌で、海人は「だよな」とは答えなかった。しかし確かにかわいい容姿だと、むしろ好みドストライクの容姿だったのだが、それだけは言わないように口を力強く噤む。


「あいつ、女子たちに何言ってんだ?」

「さぁ? 海人おまえが聞いてみろよ」


 せっつかれると、やらざる負えない雰囲気みたいなものが漂ってきて、村田以外の他の男子までにやにやと笑った。男子は皆、謎の美少女転校生に興味津々、だが変なやつっぽいので誰も声をかけようとしない。だから、誰かが墓穴でも掘って特攻をかけるのを待っていたのだが、丁度海人がその役割に推し込まれる形になった。


「ちょ、お前ら、何笑ってんだよ」

「がんばれよ、海人くーん」


 そこまで言われて引っ込むほど海人の方も意気地がないわけでもなく、しゃーねーなとボソっと捨て台詞を吐いて、なぜかドン引きされている桜城命の方へ駆け寄った。その人影に、声をかけられる前に桜城命の方が気が付いて振り返る。黒髪サラサラストレート、低めのポニーテールにしてうなじが見えた。


「どうしたの桜城さん」

「えっと……」

「あ、俺、出席番号25番の三輪海人」


 ほら、とバーチャルの学生証画面を開いて見せた。学籍番号、学年クラスと出席番号、名前に顔写真が表示される。タブ切り替えで選択科目や所属している部活まで見られる。まるでゲームのステータス画面だが、あいにく戦闘力は書かれていない。


「どうしたの? 女子が超ビビってるけど」

「ハードル走というのが分からないので訪ねようと思ったのだが……」


 それでなぜそんなにビビられるのか不思議だが、それよりもハードル走を知らないというのも珍しいなと海人は少し目を見開いた。


「ハードル走って、あのハードルを飛び越えて走るやつだよ。やったことない?」

「ハードルというものをそもそも知らぬのだ」

「とりあえず誰か男子が走るのを見てからやってみたら?」


 ぽんと手を打って、桜城命の顔がぱっと明るくなった。


「確かにその通りだ、そなたは賢いな。助かった礼を言う」


 和風美人は海人から目線を外して最初の走者の動向を注視し始めた。やけに古風な言い回しをするものの、なぜか妙に似合う。ただ、どうにも目線に抉るように鋭さ感じて、静かに二歩、後ずさりをした。

 何人かが走り始めたところで海人はようやく任を解かれたと、自分も列に戻ろうと歩き始める。と、その背を叩く女子がいた。


「ちょっと、三輪君!」


 小野小春だった。海人は慌てて背筋が伸びた。桜城命のポニーテールがかわいくないわけではないが、やっぱり小春の方が似合っている気がしたから。


「何、小野さん」


 声が思わず上ずって、少ししどろもどろになる。遠目の男子には気が付かれなかった様子にホッとして目の前の彼女の方へ目線を戻した。まさかの小春から声をかけられて、海人の頬が若干緩む。


「桜城さんのこと、男子の方でちゃんと見てあげてよ。溶け込みづらそうでこっち来ちゃったみたいだから」


 どうして桜城命のお世話を言いつかってしまったのか、理由が咄嗟に掴めずに海人は一瞬ぽかんとした。しかし意中の人からお願いされたことを無下に出来るような彼でもない。


「え? いや、うん……分かったけど……」


 小首を傾げながら、何で?とも聞けずに、曖昧に首を縦に振る。よかったお願いね、と小春に微笑まれると断れず、まんざらでもない。

 海人が自覚無く頬を緩めていた時、背後で悲鳴が上がった。それは女子のもので、同時に何かが倒れるような音がした。

 咄嗟に振り替えると、大量の白い半透明の立方体が飛び散っていた。

 相互干渉エフェクト、バーチャルの人体同士が激しく接触した時に、緩衝剤としての役割を持つエフェクトだ。つまり体育の授業中に誰かと誰かがぶつかったということ。体育の先生が駆け寄る。

 だがそれよりも、海人には干渉エフェクトの中に紛れる桜の花びらの方が目についた。


――また、桜?


 倒れているのは桜城命と出席番号22番の北条さつき。どうやら、順番というものを理解していない桜城命が横入りで走り込んだらしい。大丈夫か?という声が聞こえるところをみると、相当激しくぶつかったのだろう。激しい接触事故ときは脳と体の認識齟齬が起こりやすく、リアルの体の方、特に脳へのダメージが心配される。

 桜城命の方は、接触にびっくりしたのか尻餅をついたまま目をパチクリとさせていた。こっちは大丈夫そうだ。一方、北条さつきの方は衝撃が大きかったらしく、未だグラウンドに人形のように横たわっている。恐らく衝撃から体を守ろうとアバターが一時停止しているのだ。

 一分ほどして再起動した北条さつきは、だが想像していたよりもすんなりと立ち上がった。いや、すんなりというより、何かに取りつかれたかのように、フワッと一瞬体が浮いたのではないかというような動きだった。それから彼女は薄い笑みを浮かべて桜城命を指し示す。


「とほかみえみため」


 彼女の口から発されたのは、その一言。次の瞬間、北条さつきのアバターは光の粒子になって消え去った。

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