第37話 駄々っ子
「思い返せば簡単なことだったんだ。だってあんたが転校生としてきた日の前日が噴火の日だったもんな。しかも俺は実物を見てる、でも小野さんは間接的にしか見ていないって言うのは、小野さんはベッドの上から動いていないから。見るならテレビの画面の中やネットの中継画だけ」
桜木命の足元からふつふつと煮えたぎる溶岩が湧きあがってくる。
桜木命の本質は山。しかもまだ形が変わり続ける、未完成の山。彼、あるいは彼女はまだ性別すら判然としない、神様になる前のさなぎの状態と言ってもいい。
しかし父は天照大神の孫の
「どうだ、当たってるか?」
どんなに神格の高い神様が相手であろうと、
それを保証してくれるはずの桜木命は、しかしながらうつむいてただ屋上の床のコンクリートとにらみ合いをしていた。応えない様子にしびれを切らし、大国主命が腰に手をやって大きくため息を吐いた。
「三輪ちゃんの答えで正解。僕が見届けた、これでええな?」
されど、それでも答えはない。海人から見ると、未だ固い床とにらめっこを続ける桜木命は綺麗なポニーテールも崩れて散々な姿の女子高生だった。小春には小春の、理想象としての桜木命がそこに存在して、無力にも膝をついているはず。
その姿がどんな姿なのか少し聞いてみたいと思いつつも、今はただ無言のままの桜木命本人の様子を気に掛ける。不穏、という言葉がこの時頭の中をよぎった。
「いい加減答えんかい」
「嫌だ」
「はぁ?」
短い拒絶は、その意味を周囲が理解するまでにしばし時間を要した。
「嫌だ。私はこんなの認めない……!」
再び桜木命は立ちあがる。目からは血涙が流れ出でている。その様子はまるで歌舞伎の真っ赤な
ふんわりと桜木命の体が宙に浮かんだ。重力の摂理から切り離された体に、湧き出てくる溶岩が巻きついて次第に形を成していく。熱い溶岩の外側だけが固まり、ひび割れから赤い光を放つ石の巨人と化す。その中からくぐもった声が満天の夜空に響きわたる。
「嫌だ、嫌だ嫌だ!」
「駄々っ子か!」
溶岩の巨人は、その巨体から繰り出したとは思えないほどの速度で拳を突き出した。それを目視はしたものの、海人は避けることなどもちろん出来ようはずもなく、ただその場で小春の肩を抱いて庇う。
結局死ぬのかと思った一瞬の後、大国主命の背が目に入った。彼はその手に段ボール箱を一つ抱えてただ突っ立っている。しかしその段ボール箱は桜木命の溶岩の腕を吹き飛ばし、周囲にはしゅうしゅうと音を立てて冷え固まる岩の塊が転がるばかり。
何が起こったのか、理解が追い付かないのは桜木命の方もらしく、吹き飛ばされて無くなった腕を唖然として見つめていた。
「だん、ボール箱……?」
「これじゃ形が、やりづらいか」
それと声をかけて、大国主命は段ボールを宙に投げる。するとふんわりと形を変えて手元に戻ってきたのは一枚の白い、長い布だった。長さは優に2mを超え、絹に似た光沢で、よく見るとゆっくりと白銀に輝く。
「これ、竜二に貸してやったろ?」
「え?」
「ほら、学校忍び込むとき、何か踏み台のオブジェクトないかって言われたから形を変えて渡してやったんやけど、お前らときたらそのまま放置しよって。一応これ、嫁さんがくれた大事な
それがいったい何なのか?ということに気が付くまでにしばし時間を要する。大国主命の逸話はいくつもあるが、一番有名どころは
蛇やムカデのいる部屋で一晩過ごせと言われて、それを振るわせて鎮めるために使われたのは、のちに正妻となる
「あの段ボールが……?」
「便利やろ。いろんな形に変えられるように、ちょっと調整してみてん」
大国主命は言うと比礼を振って形を整えた。長い比礼をしなる鞭のように振るうと、突風と共に桜木命をとりまいていた溶岩の巨人は形も形も無く砕けて吹き飛んでいく。不思議と宙に浮いていた桜木命本人は吹き飛ばされず、ただ力なくその場に落ちてうずくまった。
服に付いた砂でも払うように造作もなくやってみせた大国主命は、落ちた桜木命を眺める。駄々をこね続けている生まれたての神の様子に、どうしたものかと思案顔をしていた。
「なぁ
ふと、あらぬ方向を見た大国主命は声をかけるが、しかしその方向に海人は誰の姿も捉えられない。
「どうにかしてくれ、お前ん所の末っ子やろ」
「申し訳ありません」
何もいなかったはずの空間に、ふわりと人影が立つ。ほの明るい光。背負っていたのは満開の桜の花の背景で、桜木命の桜吹雪よりも何倍もおごそかな雰囲気がある。その中に1人の女性が立っていた。
優しそうな面持ちをしてはいたが、いささか困り顔で、落ちた桜木命に手を差し伸べる。すると桜木命は泣きながら「ははうえぇぇ……」と抱きついて顔をうずめた。
「もすこし、分別付けてから出してきてくれ。こんなん人間がぎょうさんおるところで暴れられたらいくら僕とて敵わんわ……」
「申し訳ありません。天照大神様に何度か陳情したのですが、近年まれにみる神格だとかで。わたくしの手元からすぐにでも離して人界へ向かわせよと申されて」
「アンタのせいやないのは分かってる。大抵の面倒事は天照の思いつきのせいや。でもそのアホのせいで人間の子ぉらが迷惑したんやから、親としてちゃんと謝っとき」
木花咲耶姫は桜木命の背をトントンとたたきながら、深々と頭を下げる。
「人の子よ、我が子が大変申し訳ないことをしました。この通り、お詫び申し上げる」
慈愛に満ちた女神はただただ申し訳なさそうに、しかし手の内にようやく戻された子供を愛おしそうに撫でる手は止めなかった。その姿に、どこかで許せない気持ちも持ちながら、海人は『どうしようもない』という言葉が頭の中をよぎる。
何か返さねばと、海人は小春と顔を見合わせたが、だが「はい」という言葉以上には何も思い浮かばなかった。許せない気持ちもどこかにある、ただあの様子の女神相手にこれ以上何か怒る気分にもなれなかった。
「小野小春、そなたにこれを」
小春が手を伸ばすと、女神は彼女の手のひらに桜の花を一輪置いた。
「良いことがありますように」
フッと笑いかける顔はおごそかで、お礼を言う暇すら与えてくれない。小春が「あっ」と声を出した頃には、木花咲耶姫は桜木命を抱きかかえてすうっと空中に消えて行った。
満天の星空が夕焼け空に変わり、学校の屋上に静けさが戻ってくる。屋上には桜木命が暴れて砕けたコンクリートの欠片も無ければ、溶岩が吹き飛んでひしゃげたフェンスも無い。全ては元通り、もとのVRの学校の屋上に戻っていた。下の方から生徒たちが帰宅する声が聞こえる。
12月19日、2学期はあと一日を残すのみとなり、みな年越しの準備を始めていた。
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