原初の終焉 後編
ビルの屋上で初老の男と神が見合う。
夜の星空の下、神が瞳をギラリと刃物の様に光らせているのに対し、男は不敵な笑みを浮かべている。
「お初にお目にかかります神様。私は――」
男が頭のシルクハットを取って挨拶しかけたところ、神は男を置いて道路を挟んだ向かいのビルへと飛び移っていった。
その先でさらに隣のビルへと飛んでいき、神は男から遠ざかっていく。
「ふぅー、いきなり逃亡とはご挨拶ですねぇ。お茶くらい出してもらいたいものです。仕方ない」
男が跳躍する。それもビル2、3つを軽く飛び越えるほどの跳躍力であっという間に神へと迫る。
「私が代わりに持て成しましょう」
白い手袋をした男の拳が、神の脇腹へ放たれた。
神は直撃を受けて飛ばされ、遠くのビルの屋上に叩きつけられる。
だが、何事もなかったようにすぐに立ち上がると、また逃亡を再開した。
「おや、ご満足いただけなかったようで。ならば、こちらはいかがでしょう?」
ゴウンッ! という鈍い音が鳴った。
逃げる神が男の方を見れば、ビルの屋上などでよく見かける貯水タンクが一直線に飛来してきていた。
貯水タンクが、神に直撃して弾けた。
「キャアアアア!!!」「うわ! 空から水が?!」
そこはちょうど幹線道路の真上で、人々が行き交っていた所に大量の水が降り注がれる。加えてタンクが停車中の車の上に落下し、追加で悲鳴があがる。
「やはり頑丈ですね」
およそ10,000リットルの貯水タンクの直撃を受けてもなお、平気な顔して遠くへ行く神を見て愉しそうに言った。
市街地を抜けた神は、山の麓へと向かった。
そして延々と続く一本道のハイウェイ――高速道路に着地する。
多くの車が走っているのもかまわず、神は道路上を疾走し始めた。
「どこまで行っても私からは逃れられませんよ。諦めて魔法なり生命力なり使って抵抗した方が建設的です」
男もやってきて高速道路に足を着ける。
「それとも……私の能力は既にお見通し、というわけですか?」
「うわああぁ!!!」「道路に人がいる!!」「危ねえ!!」
運転手たちが道路上にシルクハットを被った男がいるのに気がつくと、クラクションを鳴らして急ブレーキをかけた。
この影響で後続の車も続々と急停止していく。
数台の車が接触する大事になっていたが、男は気にも留めず神を追いかけていった。
ポツポツと雨が降り始める。
いつの間にか夜空は雨雲に覆われており、小雨は短い時間で激しい雨に変化した。ゲリラ豪雨だ。
神が走行車線と追い越し車線の間を駆けていき、次々に前を走る車を抜いていく。その後を男が追いかける。
二人の走る速度は優に時速200kmを超えており、明らかに人間離れした身体能力を有していた。
「急に降り出してきたねー」「だな。天気予報はやっぱり外れ――って、おい?! 今男が走って行かなかったか!!」
同様の会話が、シルクハットの男が通り抜けていく度に発生する。
どうやら、人々は神の姿は視認できておらず、男の方だけ見えているようだった。
「やれやれ雨は困りますねぇ。一張羅が汚れてしまいますよっと」
走る速度は男の方が速い。
距離を詰めた男は、神へと殴り掛かった。
男の攻撃に対し、神は雨で濡れた道路の上をスノーボードみたく滑って左へ避ける。そのまま走行車線を走っていた大型トラックの真下を姿勢を低くして通り抜けると、再び走り出した。
「なんとまぁ器用に逃げ回る。ならば」
男も走行車線側へ移動する。
すると、ガードレールが設置されている方へ手を伸ばした。
バキンッ!!
男の手がそれを掴み取った。
動物飛び出し注意の標識だ。
男は標識を投げる。
標識はブーメランの様にグルグルと回転しながらガードレール上を飛行し、前方にあった鉄柱へ減り込んだ。鉄柱には各サービスエリアまでの距離を示した看板が固定されていたのだが、その鉄柱が男の投擲により道路の方へ倒れていく。
さながら鉄柱は斧の柄部分、看板は斧の刃部分の様だった。
この光景を目の当たりにした運転手たちは、もはや恐怖のあまり叫び声をあげることもできず神に祈るしかできない。
その神が急加速して斧の刃の下へと滑り込むと、腕を振り上げて斧を道路外へと押し退けた。
「予想通り過ぎて笑えますなぁ」
男の勝ち誇ったような声と同時に、神の頬に拳が入った。
神は真横に低空飛行していき、前を走行していたクレーン付きトラックの荷台に衝突する。
「な、何だあ?!」
後ろからのドンッ!という衝撃に、トラックの運転手の心臓が止まりかける。
クレーン付きトラックはなおも走行を続けて、トンネルに入った。
トンネル内部は人口の白い光に満たされ、真昼の様に明るい。
神は荷台の上で立つとクレーンを関節部分で折って引っこ抜いた。
「――あ、え、ええええ?!!!!」
バックミラー越しに、荷台で起きている事態に運転手は度肝を抜かれた。
無理もない。彼の目には折れたクレーンがふよふよと宙を浮いている魔法の様な世界が映されていたのだ。
神がクレーンを横に向けて構えると、クレーンの先端がトンネルの壁に擦れ火花が散る。
「ふっ」
神の迎え撃つ姿勢を前に、男は鼻で笑うと加速し、壁や天井などを蹴ってトンネル内を乱反射するようにして神へ迫った。
左からの蹴りを、クレーンで弾く。
今度は右からの拳、次は左斜め下からの肘。
縦横無尽に何十発と向かってくる攻撃から、神はクレーンを駆使して自らの身を守る。
そうしてる内、トラックがトンネルを抜けた。
神は、アルミホイルみたくグシャグシャにひしゃげたクレーンを捨てると、道路外へと跳躍した。
そのまま下を流れる浅い川へと着地し、川に沿って海へと向かっていった。
「まだ逃げますか。そろそろ追いかけっこも飽きてきましたよ」
小さくなっていく神の背を眺めながら、男は肩を竦めてやれやれとポーズを取った。
*
川を南下し続け、無人の港に出る。豪雨と強風で荒れる太平洋へとやってきた神は、追い詰められる形で埠頭の先端で足を止めた。
「やっと止まってくれましたね」
男の声に神は振り返る。
「逃げられないということを理解していただけたようで何よりです。では、世界に望まれぬ神には退場してもらいましょうか」
男が神へと歩みを進める。
それを拒むかのように、空の雨雲が光った。
「ッ!!」
男は直感的に身の危険を感じて飛び退いたところ、自分がいた位置に雷が落ちた。それは容易く埠頭の一部を砕き穴を開けた。
雷の威力を目撃した男は、驚きから一転して嬉々とした表情をする。
「はっはあ!! 使いましたねぇ! 生命力を!!」
胸ポケットから四角い黒い板を取り出し、それを神へ突きつける。
「これで私の勝利が確定し……!!」
男の表情がまた驚きに戻る。
驚愕する男へ追い打ちをかけるかの如く、落雷が連続で降り注がれた。
「どうなっている! どうして私の能力が発動しない?!」
男は雷の雨をかわしながら、神を凝視するが、神は何もしていなかった。ただジッと立ったまま冷ややかな視線を送り続けているのみ。
「ハッ!!」
雷が当たりかけ、男は思わず大きく飛び上がってしまう。
空中で身動きは取れまいとばかりに、一発の雷が男へ落ちる。
「この程度ごとき!」
男は先ほどの四角い板を、盾の様に扱って雷をガードした。
このままでは追い込まれるだけだ。とにかく反撃しなくては。
そう思って男が神の方を向いた時だった。
神の背後で、海が大きく盛り上がった。
「何ですかそれは!!」
山の様に膨れた海から、海水が触手状になって伸びた。
雷と同様、絡みつこうとする触手を四角い板で弾こうとするも数が多く捌き切れない。
男は両手足を触手で拘束され、瞬く間に盛り上がった海の中へと引きずり込まれた。
深海10m、20m、40m…………100m。
男はどんどん海の奥深くへと沈んでいき、体が水圧で押し潰されていく。
通常、港近くの水深がここまであるはずがない。
にもかかわらず、男がこの深さまで沈んでいるのは海底が動いて谷が造られたからだ。
何故だ……何故ヤツには私の能力が通じない……。
自分の死が決まった状況でも、男は能力が通じなかった理由を考えていた。
……さっきの雷と、この海を流れる生命力の感じ……異なっている……そうか、そういうことか! 雷も海もヤツ自身の能力ではない! ヤツは能力を見せていなかったのか!
「……ふははは」
男は笑う。
「認めましょう。神様、アナタの勝ちです……ですが……次はどうなるでしょうねぇ…………」
それを最後に男から発せられる音は無くなった。
神は埠頭から海の景色を眺める。
さっきまでの嵐が夢であったかのように、雨は止み、雲は消え、夜空には星が瞬いていた。盛り上がっていた海も崩れて平らになっていき、普段と変わらぬ様子で夜空を全身に写している。
その夜空の隅には、シルクハットがぷかぷかと漂っていた。
「…………」
神は黙って顔を上げる。
その目は遥か遠くを捉えていた。
「――異世界転生も……終わりか……」
―― 異 世 界 転 生 終 焉 門 ――
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