第10話 五蘊魔苦
ファミレスの一件から数日が経過し、2月に入った頃。
「っとうちゃーく!!」
晴れ渡る空の下、ニット帽を被った金髪おさげの少女が、褐色の体を元気良く『大』の字に広げた。
「久々の街だー!」
そこはフィラディフィア東区の大通りのど真ん中であり、何人かの道行く人たちの注目を集める。しかし、少女はそれを気にも留めなかった。
少女は茶色のダウンベストに、モスグリーンなショートパンツと、見る人に活発な印象を与える格好をしている。
「ははは、ずいぶん機嫌が良いようだね」
その少女の後ろから、男が声をかける。男は緑かかった青色の薄手ジャケットを羽織り、首にはマフラーを巻いている。ズボンはベージュのチノパンと地球でもその辺で見かけそうな服装だ。
「だってだって、一ヶ月ぶりの街なんだよ?!! 新しい服買えるし、スイーツも食べれるし! 寝袋じゃなくてふかふかのベッドで寝られるし、虫も寄ってこないし、モンスターには襲われないし、街サイコーだよ!!」
「うーん、少し前まで盗賊をやってた僕からすると外の方が落ち着くんだけどね」
「それなら早く慣れないとね! 千頭はもう街の住人なんだから!」
少女が両手をブンブンと小刻みに上下させて言うのに対し、男は「ああ」と前向きな返事をした。
「ホントに久しぶりだなー。お姉ちゃんたち、元気にしてるかなー」
少女は男と共にある家へと向かう。
*
その家というのが、渡辺の住む家だった。
少女は門を開けて庭まで入ると、庭で洗濯物を干しているマリンの姿を見つける。市川がその手伝いをしており、周りにはフウランやデューイの姿もある。
加えて、ウッドデッキではジェニーとメシュがくつろいでいた。
「んー? あー、ミカちゃんだー」
ジェニーが、少女の存在に気が付いて、手をぷらぷらと振った。
「ミカお姉ちゃん?! ホントだー! ミカお姉ちゃんが帰ってきた!」
フウランと同じ歳くらいの男の子であるデューイが、ミカへダイブするように飛びついた。遅れて、フウランも両手を前に出しながらヨタヨタ歩きでミカへ近寄る。
「よーしよーし! 二人とも元気してるみたいだねー!」
ミカは二人にハグをして頭を撫でた。
それからマリンの方へと視線を移す。
「マリンお姉ちゃーん!!」
ミカもデューイに負けないくらいの勢いで、マリンの胸へと飛び込んだ。
「はふぅ、柔らかい、甘い匂いがするよぅ」
ミカはマリンの胸に顔を埋めて、2つの豊満な感触を堪能する。
「も、もうミカちゃんてばくっ付き過ぎ」
「だってだって、お姉ちゃんに会えなくてずっと寂しかったんだもん!」
ミカはさらに顔埋めてグリグリする。
ここまで甘えん坊のミカも珍しい。今回の仕事はそれだけ大変だったんだろう。マリンはそう思ってミカの頭をぽんぽんとする。
ちなみに、ミカが「お姉ちゃん」と呼んでいるが、二人に血の繋がりがあるではない。単純にミカがマリンの様な姉が欲しかったことから、最近そう呼ぶようになっただけだ。
「私もミカちゃんがずっと心配だったよ。ミカちゃん無茶するところあるから。旅先では怪我しなかった?」
「えっ!」
ギクゥッ! という音が顔から飛び出してきそうな表情をする。
「し、してないしてない。私だって、ほら、自分の命欲しいし」
「……本当に?」
不自然な反応に、マリンは怪しんでジト―っとした目でミカを見る。
「ホ、ホントウダヨ?」
カタコト。
「いいや、思いっきり無茶してたよ。僕が『行くな』って命令してるのに『情報を集めるためだー』って敵のすぐそばまで近づいていた」
「ちょ、ちょっと千頭ぃ!」
気が付けば、庭には千頭という名の男も入ってきていた。
「おー、千頭も現れたー」「顔を合わせるのは革命以来だな」と、ジェニー、メシュから声が上がる。
「ショウマに怒られてチョップ浴びせられるからバラさないでって言ったのにい! 何で言っちゃうのさあ!」
「命令に背いた罰さ。これで少しは懲りるんだね」
「ま、マリンお姉ちゃん……」
ミカがマリンに、渡辺には言わないでと目で訴える。が、
「ダメ。ショウマ様に言う」
「うぅ……」
これから自分の身に降りかかるであろう悲劇に、ミカは肩を落とす。
「すみません、千頭さん。ミカちゃんが迷惑をかけてしまったみたいで」
「いやいや。彼女の無茶のおかげで知れた魔人の情報もいくつかあるから、役に立ってくれたことに変わりは無いよ。さて、もう少し世間話でもしたいところだけど僕も久々に顔を合わせたい人がいるからね、おいとまするよ」
千頭がマリンたちの前から立ち去る。
「はぁ……」
なおも落ち込み続けるミカ。
「あのぅ、ミカちゃんがしてたっていう仕事ってどういうのなの?」
そんなミカに、市川がおずおずと訊いた。
「んー、えっとね。偵察ってやつ? 魔人の生態とか能力の調査をしてたよ。特に“
「ごうんまく?」
「あれ、市川さん知らないの? 結構ホットな話題だと思うけど」
意外そうにするミカへ、マリンがフォローを入れる。
「市川ちゃん、今の生活に慣れるのでいっぱいいっぱいだったから、あまり魔人の事は知らないの」
「なるほどなるほど。じゃー、ここはミカちゃんがばっちりレクチャーしましょー!」
オー!っと腕を上げるミカに、デューイとフウランがパチパチと拍手を送る。もっとも、子供たちは何の話かすらわかっていない。
「魔人にはね。大きく分けて5つの種族がいるんだ。魚っぽいヤツ、獣っぽいヤツ、鳥っぽいヤツ。虫っぽいヤツ。人に似たヤツ。で、それぞれの種族にボスがいて、騎士団はそいつらをまとめて“五蘊魔苦”って呼んでるの」
「種族のお偉いさんみたいな?」
「うん。でね、これが本当に強いヤツらっぽくて――」
ミカは話を続ける。
まず獣の魔人たちを従えてる、魔人ガイゼルクエイス。コイツは市川ちゃんも聞いたことある名前じゃないかな? 2ケ月前、ショウマが闘って勝てなかった相手だよ。
コイツは25年前にもフィラディルフィアに攻めてきてて、その時はあのルーノールでさえも撃退するのがやっとだったんだ。
次に魔人エーアーン。金属の翼を生やしたヤツで鳥の魔人。
25年前にガイゼルクエイスと一緒に街を襲ってきた魔人なんだけど……えーっと、今から109年くらい前かな? エーアーンは昔、バミューダ港も襲ってて、それで人類は魔人っていう恐ろしい生き物の存在を知ったんだ。
“勇者”っていう考え方が生まれたのもこの時代で、それだけ人は魔人に対抗しようと必死だったんだね。
「……バミューダ港って私がみんなと初めて会った街だよね?……あんなに綺麗な海の街で、たくさんの人が亡くなったんだ……」
「うん……でもね。バミューダ港にはもっと酷い襲撃があって。エーアーンが襲ってから32年後に、魔人アクアリットが大津波を起こして街の半分を海に沈めたんだ」
「――ッ!」
街の半分が海に沈んだ。一体どれだけの人々が溺死したのか。
ミカから伝えられたショッキングな事実に、気弱な市川は気を失いそうになる。
それをマリンが後ろから肩を掴んで支えた。
「だ、大丈夫?」
「すみません……ちょっとビックリしちゃって」
「わわっ! ごめん! 驚かすつもりはなかったんだけど」
市川の気弱さ加減を忘れていた。ミカはもう少し言葉を選べば良かったと悔いる。
「い、いいの。平気だから続きを教えてほしいな。これから渡辺君が何に立ち向かわなくちゃいけないのか。ちゃんと知りたいの」
「市川さん……うん、わかったよ!」
魔人アクアリットはね、魔人全体の長なんじゃないかって予想されてるんだ。
ディックがショウマを助けに行った時、ガイゼルクエイスがアクアリットから指示されているみたいだったらしいから。
ひょっとしたら、このアクアリットって魔人さえ倒せば全部終わるのかもしれない。
あと2体の魔人だけど、コイツらはこれまで戦った歴史がないから、まだまだわからない部分が多いよ。
魔人フィルバンケーノ。虫の魔人の長みたいだけど、当のフィルバンケーノ自身はどろどろの蝋を纏ったスライムみたいな感じで全然虫っぽくないんだ。
「最後に、魔人ヴィルトゥーチェってヤツ、こいつはもっと正体不明で、見た目はただのトレントなんだよね」
「トレントって?」
市川が首を傾げる。
「木だよ。歩く木のモンスター」
「珍しいモンスターさんなの?」
「全然。東の森の奥に行けばたくさんいるよ。レベルも大体100から150くらいでベテランの騎士からしたらそこまで怖くない。だから謎なんだよ」
「そうなんだ……」
ここまでミカの説明を聞いて、市川はこれから起こる戦争を少し理解できた気がした。
魔人ガイゼルクエイス、魔人エーアーン、魔人アクアリット。この3体の魔人が持つ力はきっと自分の想像を遥かに超えるものだ。魔人フィルバンケーノと魔人ヴィルトゥーチェもおそらく同等の力を持っている。
そう考えてしまうと、市川は不安で堪らなくなる。本当に人類は生き残れるのか。最悪の結末が脳裏を過ってしまう。
「あー、お話中のところごめんよー」
緊張の空気がパンパンに膨れつつあったところを、ジェニーの気の抜けた声がガス抜きをした。
「フウランちゃんとデューイ君がー、お腹減ったってさー」
ジェニーの方を市川たちが見やれば、デューイがグゥゥとお腹を鳴らしていた。隣ではフウランもお腹を擦っている。二人とも物欲しげに市川へ顔を向けていた。
「そっか、もうおやつの時間だったね。ミカちゃん説明してくれてありがとう。おかげで何と戦わなきゃいけないのか、わかったよ」
「どういたしまして!」
ニコッと笑うミカ。
その笑顔に釣られて市川も自然と微笑む。先程までの不安な気持ちが嘘のようだ。
「それじゃあ二人とも、今からクッキー作るよ、ついていきて」
市川が言うとデューイとフウランはわぁっとはしゃいで、市川と共に家の中へと入って行った。
ジェニーとメシュも、
「待ってー、私もお菓子作りたい―」
「む、ジェニーが作るなら俺様も手伝おう」
「えー、メシュくん料理下手じゃん。大人しく見物してればいいよー」
「フハハハ! 遠慮するな! 俺様とジェニーの仲じゃないか! さあ行くぞ!」
ドタドタと以上のやり取りをしながら、市川たちの後に続いていった。
そんな彼らの背中を見て、マリンは平和を感じずにはいられなかった。
できることなら、こんな日が毎日続いてほしいと切に願う。
「ミカちゃん私たちも行こうか――ミカちゃん?」
マリンは動揺した。平穏を願ったばかりだというのに、横にいるミカの表情は平穏からはかけ離れた不穏なものだった。
ミカは不穏の表情をゆっくりとマリンに向ける。
「……あのね、さっきまでは子供たちがいたから言えなかった話があるんだ……」
言えなかった話とは何だろうかと、マリンは考える。子供たちの前では言えない内容らしいが、過激な話をするミカはあまり想像できない。
しかし、今日これまでミカがしてきた仕事の内容を考えれば、マリンはすぐその答えに行き着くことができた。
「あ……」
不意に、マリンは身体を震わせた。
ミカはその様子を見て、マリンは自分が何を言おうとしてるのかわかってしまったのだと察する。
「うん、そうだよ…………魔人が……来る」
*
総勢およそ1000万体。
異世界ウォールガイヤの人口の倍の数。
大量の魔人たちが、一歩一歩地を踏みしめて、人間界へと侵攻を開始していた。
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