第5話 フウラン

 月明かりのみに照らされた渡辺の自室にて、渡辺とフウランが同じベッドで横になって会話していた。

 フウランは仰向けになってあれやこれやと話したいことを片っ端から口にし、渡辺は頬杖をついてフウランの話に優しい顔で耳を傾けていた。


「あとね、あとね。羽ペンも覚えたよ。ふわふわしてて、とんがってた。みんなあれで文字書いてるってお姉ちゃん言ってた」

「ああ、そうだぞ。よく覚えたじゃないか」

「それからね。ボンドも教えてもらった」

「ボンド?」

「べちゃべちゃしてくっつくつの」

「ああ接着剤か」

「手にべたべたくっついて取るの大変だった。でも、くっついたの取るの楽しかった」

「わかるなぁ。剥がす時のペリペリした感触がなんかクセになるんだよな」

「じゃあ、おとーさんにたくさん塗り付ける」

「んー、それはちょっと困るかな」

「えー」


 そんな調子で二人の会話は続き。



 30分経つ頃にはフウランは夢の中にいた。


「おやすみ。フウラン」


 渡辺はすーすーと寝息を立てるフウランに布団を掛け直すと、改めて浴室へ向かった。



 *



 市川が準備してくれたのだろう。

 焚火で沸かせるタイプの風呂だったが、浴槽からはもくもくと湯気が立っていた。湯加減もちょうどいい。

 渡辺は心の中で市川に感謝すると、湯に身体を沈めた。


「ふぅー」


 暖かい温もりが体から疲れを吸い取っていく。

 それに引っ張れるかのように、心のしこりも口を衝いて出てしまう。


「とーさんって呼ばれるの、慣れないな」


 フウランとの出会いは、魔人ガイゼルクエイスとの戦いから2週間経った12月の初めだった。


「ナベウマ、その後どうだ? 部下たちとは仲良くやってるか?」

「……仲が悪いわけじゃないけど、やっぱり隊長隊長言われるのは調子狂う」

「ワハハハッ! 気負うな気負うな。指揮を任されているわけでもないんだ。お前さんは、やりたいようにやっていればいい」


 高笑いしながらドンッと背中を叩くオルガに、渡辺が鬱陶しそうな顔をするがオルガは気にしない。


「自分たちを地下牢から助け出してくれたお前さんを、あの人たちはヒーローの様に慕っている。皆お前さんに恩を感じてるんだ」

「俺がヒーロー……ね」


 視線を落とす渡辺。

 彼の胸中をオルガは察するが、渡辺を納得させる言葉が思いつかなかった。代わりに、別の話をして逃亡する。


「おっと、今日お前さんを呼んだのは、その話がしたかったわけじゃないんだ。こっちの件でな」


 オルガが自身の大きな体を横に退かすと、後ろから少女が現れた。両目を布で覆ったその少女に、渡辺は見覚えがあった。


「その子は城の地下牢に閉じ込められていた……確か、『禁じられたチート能力』の」

「うむ、『バロールの魔眼』の能力者だ。やはり知り合いだったのか。この子が自分を檻から出してくれた人を探していてな」


 フラフラと不安定な足取りで少女が渡辺の方へ歩き出す。


「あ、目が見えてないのに危ないぞ!」


 転びそうな少女の手を、渡辺が掴んだ。


「……て……あったかい……おとーさん!」


 少女が渡辺にタックルする勢いで抱き付いた。頭をぐりぐりと腹に押し込む。


「な、いきなり何だ?!」

「名はフウラン。お前さんがその子の父親らしい」

「はい?! ちょっと待て俺そんな――」


 オルガが顔の前で指を立て、静かにしろとジェスチャーする。

 すると、懐から手の平サイズの白い球体を取り出した。魔法石だ。

 魔法石とは、それ自体に能力を込めることができ、後に砕けば一度だけ込めた能力を使えるというアイテム。つまり、自身がその能力を持っていなくても魔法石を消費すれば使用できるのだ。


 渡辺はその魔法石の色から『精神感応テレパシー』の能力が込められていると判断する。どうやら声に出さず話したいらしい。

 オルガが魔法石を握力で砕くと、渡辺の脳内に声が伝わる。


『何だよ、この子の前じゃ言えない話でもあるのか』

『お前さんの娘じゃないのはわかっている。だが、その子がお前さんを父親だと言って聞かないんだ』

『そんなの本物の両親のところに連れていけば解決だろ』

『……そういえば、お前さんは知らなかったな。禁じられたチート能力のルーツとなった親は、その子供が物心つく前に殺されている』


 オルガが何を言っているのか。一瞬思考が追いつかず渡辺は唖然となった。


『禁じられた能力は強力だ。もし結託して反旗を翻されれば、王国は抑えるのに大きな痛手を被る』

『管理しやすいように数を調整してたっていうのか……胸糞わりぃ』

『フウランの場合、母親がそれに当たる』

『母親がいないのか……』


 渡辺はフウランの頭をそっと撫でた。

 フウランはそれが嬉しいのか、より強くギュウッと抱き付いてくる。


『なら父親は?』

『父親は、その子の引き取りを拒否した』


 その一言で、渡辺は足から崩れ落ちかけた。心臓がロープで絞め上げられたみたいな気分になる。


『は? 何だよ、それ』

『この子の目が怖いのだそうだ。もし、この子がふとしたことで目を開けば、自分が死ぬかもしれないとな』

『……自分の身を守るために……子供を捨てたっていうのか!』


 『バロールの魔眼』の能力。それは視界内に入ったすべての生物を死に至らしめるという恐ろしいものだ。

 渡辺もその危険性は十分理解している。理解しているが、だからといって子を捨てていい理由になるとは到底思えなかった。加えて目を背けたくなる事実は、渡辺が長い間忘れようとしていた忌まわしい記憶を引き出すカギとなり、拳を握らせる。

 オルガは渡辺のただならぬ様子に気づき声をかける。


「どうした?」

「…………何でもない」


 渡辺は腰を落として、目線をフウランの高さに合わせた。


「フウラン、俺が父さんだ」

「ん!」


 フウランが再び抱き付いてきたのを、今度はしっかりと迎え入れた。

 これが二人の出会いだった。



「……あの時は、思わずああ言ったけど……やっぱりダメだな」


 渡辺の思考が過去から現代へと戻る。


「父親を嫌ってる俺が、父親になれるはずない」


 渡辺は浴槽から出ると、さっさと体を乾かした。

 その後フウランが眠る自室ではなく、リビングにあるソファで就寝するのだった。



 *



 父親を思い出したせいだろうか。

 その夜、渡辺は夢を見た。


『面倒事を起こさないでくれ』


 先生の声。


『どうしてこんなことしたの! 人を石で殴るなんてこと、しちゃいけないって常識で考えたらわかるでしょ!』


 母の声。


『やめろよ! やめろって! お前、普通じゃねぇよ!』


 人を見下していたヤツらの声。


『何もわかってないガキが親に説教するな』


 父だった声。


 過去、自分の心へ突き立てられた声たちが真っ暗な闇の中で何度も響いていた。

 少し前までの自分なら、あまりの理不尽さに怒りの炎を燃やしていただろう。

 しかし、今は違う。


『何で父さんを殺したんだ! 僕たちが何をしたって言うんだよ!! 父さんは悪い事してないのに、何で!! 父さんを返してよお!!』


 あの少年の悲しみが忘れられない。

 自分自身が理不尽を強いる立場になってしまった。

 もう理不尽を否定する権利は無い。


    『キミの怒りはその程度なの?』


 ああ、またか。

 またあの声が聞こえる。

 誰なんだよお前は。

 俺が怒ろうが怒らまいが、お前には関係ないだろ。

 ほっといてくれよ。



『……ナベ……ワタ……ナベ……』


うるさい。


『ワタナベ……ワタナベ……』


だから、


「ほっとけって言ってるだろ!!」


 渡辺の大声がリビングに反響した。


「…………夢か……」


 ソファの上で飛び起き、自分が夢を見ていたことに気づく渡辺。


『渡辺、渡辺』


 しかし、相変わらず声は聞こえてくる。


『……なんだ、お前か』


 それが『精神感応』の能力によるものだとわかった渡辺は、頭の中で返事をした。


『悪かったな。もう起きてる時間だと思ったんだが、昨晩はお楽しみだったか?』


 その人物の相変わらずの軽口に、渡辺は呆れてため息を吐いた。


『なわけないだろ。それより何の用だ?』

『久々に長旅から街に戻ってきてんだ。どうだ? 会って話でもしないか?』

『生憎と、こっちは鍛えるのに必死なんだ、世間話をしてる余裕は無い』

『ま、どうせそう言うと思ったぜ。だったら』


 相手がある提案を切り出した。

 渡辺の表情が真剣になる。


『……そう来たか。それならいいぞ、久しぶりにお前の憎たらしい顔を拝むとしようじゃないか、ディック』

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