第13話 決戦前夜
避難警報が発令されてから3日間、着々と戦争の準備が進んでいた。
フィラディルフィアやバミューダでは数百ヶ所に点在するシェルターや丈夫な建物への避難が進む。アルカトラズや小さな村々の人々も、住んでいた土地を離れてフィラディルフィアへと集まった。
これからどれだけの期間、戦争状態が続くかわからない。2週間か1ヶ月か、それ以上になるかもしれない。国は備蓄していた食糧を開放し、長期に亘る避難生活にも耐えれるように体制を整える。
国を守る騎士たちは各々指定された配置に就き、武具のメンテナンスや仕掛けた罠のチェックをする。
異世界ウォールガイヤの人類の歴史の中で、4度目となる魔人の侵攻。
“今度こそ、魔人に打ち勝つ”
騎士の多くの者たちが、そんな強い意志を胸に抱いていた。
そして、決戦前夜。前線では、いよいよ魔人との戦闘が開始される頃。
フィラディルフィアからは街明かりが消え、静けさが空気に染み渡っていた。まるでゴーストタウンの様だ。
「ぃよう、ババア」
「ディックか、何の用だ?」
ディックに呼び止められて、エメラダが振り返った。そばにはグスターヴ、モンデラ、刀柊の姿もある。四大勇者が揃い踏みだ。彼らは南方からやって来ると想定される魔人アクアリットの軍勢を任されている。なのでフィラディルフィアの南口から出てバミューダへ向かおうとしていた。
ディックは手に持っていたライフルの銃口をエメラダへ向けた。
「行く前に、今の俺の強さを見てってくれよ」
「私に稽古をつけてほしいと? もう親離れしたんじゃなかったのかい?」
「別に親だから頼ってるわけじゃねーよ。気に食わねーが、俺の戦い方に関しちゃやっぱりアンタが一番わかってるからな。無駄な動きとか戦い方のクセとか、そういうの洗い出してもらいたいんだよ」
言われてエメラダはフッと笑う。
「初めてじゃないか、お前の方から稽古を申し込むなんて。昔は私から逃げ回っていたというのに」
「もう昔とはちげーよ」
「だな……いいだろう。見せてみろ、お前の実力を」
エメラダが懐から魔法石を取り出すと、それを砕いて『
ディックとエメラダが銃器を手に構えた。
それを横合いで見ていた刀柊が口を開く。
「
言葉の宛先は、ディックの横にいた知世だった。
知世はコクリと頷いて、腰の鞘から刀を抜いた。
「よかろう。其方が歩み出した新たな道、妾に示すがいい」
刀柊も刀を抜く。
2組の親子が向かい合う形となり、そして月明りの下駆け出した。
*
同じ頃。
マリンたちが住まう家のリビングで、渡辺が剣のメンテナンスをしていた。椅子に座って、砥石でミスリル製の剣身を研いでいる。
「ショウマ様……」
リビングにマリンがやってくる。
渡辺は手入れ作業をピタリと止めて、マリンに顔を向けた。
「マリン、まだ避難してなかったのか。市川たちはもう行ったぞ」
「……あの、私も戦場へ連れて行ってく――」
「ダメだ」
即座にマリンの言葉を遮る。
「わ、私不安なんです。ショウマ様にもし何かあったらって思うと、とても避難所でジッとなんてしていられないんです!」
珍しく反抗するマリン。無理もない、今回ばかりは本当にいつ死んでもおかしくないのだから。しかし、渡辺の意思は揺らがない。
「心配してくれるのは嬉しいさ。でも、魔人の、特に五蘊魔苦のヤツらの力の規模は未知数だ。後方部隊にいたって巻き込まれる可能性は十分にあり得る。……俺もマリンに傷ついてほしくないんだ。わかってほしい」
「…………でも」
「これは命令だ」
「――!……はい」
マリンの胸の内が悔しさで溢れる。自分は本当に無力だと痛感させられる。
「おとーさん」
扉の影からフウランが顔を出した。
「――! フウラン、避難所に行ってたんじゃないのか」
「ご、ごめん渡辺君。フウランちゃんが渡辺君に会いたいの一点張りで」
フウランの背後から市川が遅れてやってきた。
「おとーさんも避難、しよ」
フウランが両手を前に出しながら渡辺の方へヨタヨタと歩き出した。渡辺は剣をテーブルの上に置くと、急いでフウランの両手を掴みに行った。
「へへっ」
手を握られてフウランは嬉しそうに口元で弧を描く。
「……フウラン。俺は避難所には行けないんだ」
「どーして? みんな集まってるよ?」
「これから行かなきゃいけない所があるんだ。行かないとたくさんの人が困る」
渡辺とは一緒にはいられない。フウランは顔を伏せて唇を結んだ。
「いつ帰ってくるの?」
「そうだな……ひと月はかかるかもしれない」
まだまだ親に甘えたい年頃のフウランにとって辛い長さだ。フウランはさらにシュンと肩を落とす。
「……ごめんな、フウラン。でも」
渡辺がフウランの頭の上に手を置いて優しく撫でる。
「帰ってきたら、たくさん遊んでやるから」
「ほんと? ずっと? 毎日?」
「ああ。その頃には俺ももう遠出する理由は無いからな」
「約束!」
ヒシッとフウランが渡辺へしがみ付いた。
「……約束だ」
その後、家の外で渡辺はフウランがマリンたちと共に避難所の方へ向かっていくのを見送った。歩いていく途中マリンが顔を振り向かせていたが、渡辺はそれから逃げるように視線を逸らす。
「約束……か。守る気も無い約束するなんて、俺も大人だな」
渡辺はフウランとの約束を果たす気は無かった。魔人との戦いで生き残ったとしても、ゆっくりマリンたちと過ごすつもりはなく、独りでひっそりと生きていこうと考えていた。誰かに自分が傷つけられて、自分が誰かを傷つけて。そんなやり取りに渡辺は嫌気が差していた。そこから逃げようとしていたのだ。
結局、かつて自分が父から受けた悲しみと同じ思いを渡辺はフウランに与えようとしている。
「……フウランにはマリンたちがいる。きっと俺がいなくたって大丈夫だ。それに……俺が父親である必要はないだろ」
母親しか知らないフウランは、父親からの愛情に飢えてるだけなんだ。愛情を与えてくれる人なら誰でも。俺じゃなきゃいけない理由なんて無い。
渡辺は再び剣のメンテナンス作業に戻ろうと踵を返した。
「よう、ナベウマ」
するとオルガがいた。
「何の用だよ」
「少し話さないか」
面倒そうな顔をする渡辺を前に、オルガは気後れせずグイグイ迫った。
渡辺とオルガは家のウッドデッキに腰を下ろすと、闇夜から自分たちを見下ろしている月を眺める。
「懐かしいな。こうしていると、ミカが来たばかりのあの夜を思い出す」
あの夜とは。オルガがトラックに轢かれてではなく、自殺によって転生したという事実を初めて知った時だ。
「あの夜に、成人したら酒を飲み交わす約束したの覚えてるか?」
「覚えてるよ」
「必ず、飲もうな」
「……まさかそれを言いにわざわざ来たのか」
「ダメか?」
「別に構わない。ただ意外と暢気してるなと思っただけだ。アンタはもっと事を重く受け止めてると思ってた――」
渡辺が言葉に一拍置く。
彼が次に言う内容は、恐ろしさのあまりずっとオルガに訊こうと思っていて訊けなかった真実だ。
「オルガ、俺がこの世界に初めてやってきた日に言ったよな。『魔人には勝てない』って」
「言ったな」
「昔の俺には意味がまったくわからなかったけど。魔人ガイゼルクエイス、アイツと実際に戦ってみてわかったんだ」
渡辺は月からオルガへ視線を移す。合わせて、オルガも渡辺に顔を向ける。
「25年前、ルーノールが魔人を撃退したって話があったけど、本当はそうじゃない。ただ魔人が勝手に撤退しただけなんだろ? 前回の襲撃では魔人の気まぐれで人類は滅亡を免れたんだ」
「……その通りだ」
渡辺は下唇を噛む。
25年前に魔人を撃退などできていなかった。つまり人類は、一度も魔人の本気を目の当たりにしたことがないのだ。それは敵の底知れなさを意味していた。
「今ならあの頃のオルガの気持ちがわかる。けど、何だろうな。今のアンタはそんなにビビってない……というか悲観してないように見える」
「……そうだな」
オルガは腕を組んで目を閉じた。何かおかしいのか口角が上がっている。
「俺は変わった。いや昔に戻ったと言うべきだな。思い出したんだ。この世界に来たばかりの頃の気持ちを。俺は俺と関わったすべての人々を守りたい。だから関係ないのさ。敵がどれだけ強かろうが、俺のなすべきことは変わらない。ただ全力で大事な人々を守るだけだ」
オルガは目を開き、その視線で渡辺の瞳を射抜いた。
「もちろん、お前ものこともな」
「――ッ!」
あまりにも純真で真っ直ぐな目。渡辺はそれを振り払うかのように顔を背けて声を震わせる。
「何でいつも俺に構うんだよ……アンタからしたら俺なんて口の悪いガキでしかないだろ!」
「確かに、口の利き方には難ありだな。だが、そんな事はどうだっていい。お前さんにはまだまだたくさんの可能性がある。だから見守ってやりたくなるんだ」
「……可能性なんて……無い。俺はただの人殺しだ」
「……お前さんはまだ若い。大なり小なり失敗して当然だ。それに失敗は次の可能性の元。ナベウマ、今の後悔を希望に繋げられるかどうかは、お前さんの考え方次第なんだぞ」
「っ……そんな簡単に割り切られたら苦労なんてしないんだよ!」
渡辺は立ち上がって、足早に家の奥へと逃れようとした。
「ナベウマ」
オルガの呼び止めに、渡辺は歩みを止めた。
「酒の約束、忘れるなよ」
「…………」
何も言わず、渡辺はオルガの前から姿を消した。
*
「いよいよですね。お母様」
「ええ、シーナ。ついに決着の時よ」
アルーラ城のバルコニーから、フィオレンツァとシーナが視線を遥か彼方へと投げていた。
しかし、それは街を見下ろしているわけではなく、二人の視線はもっと遠くに向けられていた。
フィラディルフィアを超え、海の街バミューダを超え、果ては海の底へ。
そこにいる者へ向けて、フィオレンツァは言う。
「さあ、これまでの100年に終止符を打ちましょう」
言われた者は海の底から、フィオレンツァへ顔を向ける。
「……100年など、俺たちからすれば刹那に等しい。それで何が変わる。何が変えられる。お前たち人類は誕生した瞬間からそうだ。驕りが過ぎる」
魔人長アクアリットが物憂げに呟いた。
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