第22話 戦いの後の彼ら
暗い海の底。石の玉座に腰掛ける魔人アクアリットが言った。
「フィルバンケーノがこの世を去った」
言葉は超音波となって水中に伝播し、左右に立つ側近の二人に伝わる。
「――それは真ですか!」
側近の一人である女の見た目をした魔人が信じられないといった顔をする。もう片方の側近の男も、女ほどではないが意外そうな様子だ。
「あのハチ野郎がおっ死ぬとはね。いやはや人間もバカにできない。アクアリット様よ。この展開でも俺たちは戦いに出るなって言うのか?」
男が飄々とした態度でアクアリットに問いかける。
「そうだ。俺たちがわざわざ出なくとも、他の3つの要素がやってくれる。大人しく戦争が終わるのを待て」
「……へーい」
側近の男女はアクアリットの意図が汲めず納得がいかない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。
「…………」
アクアリットは静かに目を閉じた。
すると彼の瞼の裏に、フィルバンケーノが最期に目の当たりにした光景が映った。ディックの金色の視線がこちらを射抜かんばかりに向けられている。その眼光の鋭さは、記憶を介して観ているだけだとわかっていても、気圧されてしまうほどのものだった。
(……放武色は深青……正面からのパワー勝負で負けるはずがない。だが実際は押し負けた……もう一人の隻眼の男も、色無しとは思えない力を発揮している……刻印の力か?……この二人こそが俺たちの探し求めていた存在なのか?)
胸の奥でほのかに湧き上がる希望。それに引っ張られて絶望も感じる。正反対な感情の共存に、アクアリットは不快そうに眉間にしわを作った。
『やっぱり面白いわ、人間ってやつはよ……お前もそうも思わねーか、アクアリット』
(……フィルバンケーノ、お前は何も知らない……それこそが滅びへの道だ……)
*
「ん……うーん……」
「ッ!! お姉ちゃん!!」
マリンが重い目蓋を持ち上げると、早々にミカが飛びついてきた。
「ミカ、ちゃん?」
口には無色透明で管付きのマスクが取り付けられており、声がくぐもった音になる。全身は靄がかかったみたいに感覚が鈍く、マリンは今にも閉じてしまいそうな目蓋を懸命に開けて辺りを見回した。窓から入る日の光が室内を満遍なく照らしている
既視感があった。
そうだ。前に入院した時の部屋に似ている。
ここは病院か。
そこまで理解が進めば、状況の理解は早かった。
火事の中で、気絶した自分をエマたちが病院まで運んでくれたのだ。
「姉ちゃん!」
「ねーちゃん、起きたの?」
そばにはミカの他にフウランとデューイもいて、慌ただしく駆け寄ってくる。
「良かった、三人とも無事で……市川ちゃんは?」
「大丈夫、生きてるよ! ちょっと前に意識も取り戻して元気に話してたし! 『マリンさんが起きたら、ありとうって伝えて』って!」
「そっか……ふぅ」
マリンはホッとして息を吐き、強張っていた肩から力を抜いた。
「エマさんとアイリスさんは?」
自分たちが助かったのは彼女たちのおかげだ。お礼が言いたくてマリンはミカに尋ねた。
「えっとね……二人はディックのところに北区の病院にお見舞いに行ったよ……」
何か気になることでもあるのか。さっきまで明るかったミカの表情に陰りが差す。
「……まさか、彼危ない状態なの?」
「え? あ、ううん!! かなり酷い火傷は負ったらしいけど命には別状ないって!!」
ミカはあたふたと両手を宙でバタつかせて否定した。
「そう、ならいいけど。……北での戦いは、どうなったの? ショウマ様は?」
ディックが倒れたのなら戦況は大きく変化しているはずだ。渡辺の身にも何かあったかもしれない。マリンの胸中は不安でいっぱいだった。
「数時間前にフィルバンケーノってヤツは倒したよ。今は残った敵と戦ってる。……ショウマは……」
言いにくそうに言葉を詰まらせる。子供たちを一瞥した後、マリンの耳元まで口を近づけた。
「……ディックと同じ病室に運ばれたよ……意識がないんだって……」
「――行かなきゃ」
マリンがマスクを外し、両方の腕全体を使って起き上がる。
「だ、ダメだよ! 気絶してたんだよ?! まだ寝てなきゃ!」
「私は平気。こんなマスク付けてるから大事に見えるかもしれないけど、呼吸もいつも通りだから」
ベッドの脇に置かれていた自分の靴を履き、マリンは病室の外と通じる扉に向かってスタスタと歩き出す。さっきまで意識を失っていた人物とは思えない足取りだ。
「ほ、ホントにもう元気なんだ……」
マリンがスライド式の扉を開ける。
「あ、マリンさん!」
「市川ちゃん!」
扉を開けた先には市川が立っていた。それを見たミカは、両手で頭を抱える。
「そんなあ! 市川さんまで目覚めてばかりですぐ動いちゃう系なの?!」
「ミカちゃんから意識が回復してないって聞いてたから、様子が気になって……マリンさん大丈夫ですか?」
「うん。市川ちゃんは?」
「私も大丈夫です」
マリンも市川も、互いの元気そうな顔を見て笑みを溢した。
「……もしかしてどこかへ出かけるところでした?」
「実はね……」
マリンは渡辺が他の病院に運ばれたことと、容態を伝えた。
「……私も行きます。ベッドで寝てなんていられません」
「ゆい姉ちゃんが出かけるなら僕も行くー!」
「おとーさんに会うの? なら私も」
「うーん、やっぱりショウマのこと話したらこういう流れになるよね……私だってマリン姉ちゃんと市川さんが問題無さそうなら行きたいけど……ホントに身体は大丈夫ってことで良いんだね?」
ミカの確認に、マリンと市川は力強く頷いた。
その後、二人は医者から退院の許可を貰って病院を出た。医者としても意識も足取りもハッキリしてるならベッドに縛り付ける理由はないと言ってくれた。ただ急性の一酸化炭素中毒は後日に症状が出る場合があるから、その時はまた病院に来てほしいとのことだった。
病院を出たマリン、ミカ、市川、フウラン、デューイは全員で手を繋いで輪になる。
ミカ曰く、自分たちが今いる場所は東区の真ん中辺りで、渡辺やディックがいる病院は北区にあるらしい。距離にすれば50km以上はあり、移動にはかなりの時間を要する。
だがしかし、『
マリンが『
区間を跨ぐ『瞬間移動』の使用は治安維持の関係上国の法律で禁じられている。破れば罰金もしくは牢屋行きだ。だがそんなちっぽけな罰則など、今のマリンたちにはどうでも良かった。どうか渡辺が無事でいてほしい。頭にあるのはそれだけだった。
あっという間に、5人は目的の病院の前へ降り立つ。透明なガラス板のドアを押し開け、現代地球の病院と遜色ない内装の空間に騒々しく突入した後、マリンはすぐさま受付で身分証明書を提示し渡辺の病室を尋ねた。
受付の者が、勢いにタジタジになりつつも答えれば、彼らは再び走り出す。
(ショウマ様、どうか無事でいて!)
そして、その病室の前まで来ると引き戸に手をかけ、開いた。
部屋の両脇にベッドが2台あり、片方のベッドの傍らには彼女たちがいた。
「騒々しいと思ったらマリンか。元気そうで何よりだけど、院内では静かにしなよ」
エマがマリンたちを横目に言った。
そばのベッドではディックが上半身を露わにした状態で横たわっており、腕には点滴が施されている。
「ショウマ様!」
「やれやれ、聞いちゃいないね」
エマは呆れて首を横に振った。
彼女たちの前にいるのがディック。なら渡辺は反対側のベッドだ。
マリンたちがエマたちとは逆側のベッドに慌てて近づいてみれば、ショウマの寝顔がそこにあった。
「……ショウマ様……」
ディックと同様に渡辺も半裸だ。
腕や胴体には包帯が巻かれ、所々シート状の物体が糸で縫い付けられている。
「顔面やら火傷の酷い部分を『
「…………良かった…………ショウマ様は生き残ったんだ……」
マリンは安心感により両足から力が抜けて床にぺたんと座り込んだ。
ミカや市川も緊張の糸が解れた様子で、表情を柔らかくする。子供たちについては、状況がわからずあたふたしている。
「ディックも命に別状は無いんですよね? 二人とも無事で安心しました」
「…………」
「エマさん?」
エマからの返答がない。
マリンはゆっくりと立ち上がって、ディックの方へと歩く。
「アイリスさん?」
「…………ぐすっ」
「ッ!」
マリンはハッとなった。
アイリスはその場に座り込み。膝を抱えて泣いていた。
あのいつでも元気の良かったアイリスが、顔をぐしゃぐしゃにして涙を流していたのだ。
何をそんなに悲しんでいるのか。
エマが表情に影を落とし、静かに呟く。
「……残念だけど、こっちはちょいと無事とは言い切れないかな……」
「っ…………そん……な……」
マリンは彼女たちと横並びになって、やっと気づく。
彼が勝利と引き換えに失ったモノを。
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