第19話 不可視の攻撃
夜の黒と炎の赤でコントラストがつけられた景色の中、フィルバンケーノが一歩一歩前進する。
足取りは酔っ払いの様にフラフラで、瀕死の状態なのは誰の目にも明らかだ。
そんな死にかけの存在が、10万の人類軍と200万の魔人を混乱の渦に陥れていた。
フィルバンケーノから広がってきた山火事が手前の森にまで達した。
平原の雪がみるみる内に溶けていって熱湯に早変わりし、その下に隠れていた草木から火の手が上がる。
「ウギャアアアア!!!」
敵前逃亡した魔人も街に侵攻しようとした魔人も、等しく肉が焼ける音を奏でながら踊り狂っていた。
それは人間も同じで、顔や手を露出させている戦士、特に弓兵と砲兵が地べたに転がって苦しみを訴えていた。顔の皮膚をごっそりと引き剥がされたんじゃないかと思うほどの激痛に見舞われ、もはや戦闘どころではなかった。
「だ、大丈夫か?!――うっ!!」
苦しむ仲間に『回復魔法』を施そうと駆け寄った騎士が目を背けた。顔や露出した手が、赤くぷつぷつと腫れ上がって爛れていて見るに堪えなかった。
「わ、わあああ!! みんな川から離れろお!!」
今度は川の方から恐怖の声があがった。
アルカトラズ山からフィラディルフィアへと流れる川が氾濫していた。山からの雪解け水が川を増水させていて、溢れた川の水が魔人も人間も戦車も押し流していく。しかもその水は沸騰しており、容赦なく人を茹で上げてくる。
地獄絵図。
夜空から地上を見下ろしていたディックの脳内で、自然とその言葉が湧き上がってきた。渡辺も何十kmも離れた山の中腹に光が点るのを見て、危機感を募らせていく。
「アイツを斃さないと!!」
渡辺はフィルバンケーノを直接見ないようにしつつ『
「クソッタレ! こうなったら無理にやり!!」
「待て!!」
自らの身が焼かれることも顧みず渡辺が直接攻撃を仕掛けようとするのを、ディックが制した。
「考え無しに突っ込むのは感心しねーな! まずは冷静に野郎の攻撃を分析するべきだ! 一度退散するぞ!」
「ッ――わかった!」
逸る気持ちを下げた拳に押し込めて、渡辺はディックの言葉に従った。
二人はフィルバンケーノから離れて地上に降り、近くの岩陰に身を寄せた。パチパチと木々の水分の弾ける音がリズムを刻んでいたが、空にいた時とは比べ物にならない程涼しかった。山火事の真っ只中、しかも足元を沸騰している水が流れている中で涼しいという表現もおかしいが、渡辺とディックの防御力からすれば問題にはならない。
「楽にはなったけど、火が酸素を食ってるな……ここも長居はできないぞ」
「…………」
「ディック?」
「一つ、分かったことがある。この攻撃はヤツを中心に放射状に広がっている」
「なっ! そうなのか?! てっきり俺は周りの温度をひたすら上げてるのかと思ったけど」
「岩陰に入った途端、熱が弱まっただろ? それが何よりの証拠さ。ヤツを見ようとした時、特に目が熱くなるのもそれで合点がいく」
「なるほど……ん? 待てよ、放射状に広がってるってことは街がやばくないか!」
フィルバンケーノが山地という高所にいるのに対して、街は平地にある。このままでは街にも熱が注がれてしまう。
「いや」
ディックは冷静に街の方に視線を向けた。『
「『障壁』が発動してる。あれなら街は大丈夫だ」
「そ、そうか」
『障壁』は、城郭内に仕込まれた魔法陣を介して発動する『物理反射』と『魔法反射』両方の特徴を併せ持つ巨大なドーム状の守り。その頑丈さを、渡辺は身をもって経験している。あれならば簡単には破られないだろうと安堵する。
「心配すべきは、平原にいる仲間たちの方だぜ。このままじゃ10万の兵力が1人相手に全滅させられる!」
*
「はい、お婆さん」
「おーおー、ありがとよ」
マリンから豚汁の入った器を受け取った老婆が深々と頭を下げる。マリンは「いえいえ、お気遣いなく」と言って一礼した。
「次の方、どうぞ」
老婆が去るのを見送ったマリンは、次に並んでいた男から器を受け取ると、それにおたまで掬った豚汁を加えて渡した。
隣ではミカも同じ様に働いている。
あれからマリンとミカは食事の配給の手伝いをしていた。
マリンたちの協力は騎士たちにとって、とても有難いものだった。
現状、全人口の約半数260万人がフィラディルフィアで必要最低限の生産活動を維持しつつ避難生活を送っているが、早速国民の胃袋を支える台所から悲鳴があがっていた。
飲食店や御者たちの協力もあって食事を作る人間、運ぶ人間の数は足りている。足りていると言っても、コップの水が表面張力で零れない程度のギリギリな状態ではあるが。
それよりも配給を行う人間の数が遥かに不足していた。
「マリンさんにミカさん、人も落ち着いてきたからあがってもらっていいよ」
昼頃に話していた騎士からそう告げられた。
「あ、でしたら最後に使い終わったお鍋やおたまを洗っておきますね」
「いいのかい? いやぁ何から何まで手伝ってもらっちゃって悪いね」
「気にしないでください。こんな時こそみんなで協力し合わなきゃって思いますから」
マリンの横でミカもうんうんと頷いている。
「ありがとう。その思いに是非甘えさせてもらうよ」
「はい!」
マリンは屈託ない笑顔で返事をした後、ミカと共に近くの水場へと調理器具を運んだ。
「あ、お姉ちゃん。汗すごいよ」
ミカがポケットからハンカチを取り出すと、マリンの首筋に当てた。ミカの気配りに、マリンは微笑みを返す。
「ありがとうミカちゃん。料理の熱気のせいかな。実はさっきから熱くて……あ、ミカちゃんも汗かいてる」
今度はマリンが自らのハンカチを持ち出し、ミカの額の汗を拭った。
「ふふっ、お返し」
「えへへ、ありがと!」
ミカとマリンは互いの優しさに頬を緩ませ、作業を始めるのだった。
一方で、アリーナ会場内にいる市川は、気づけばシートの上で寝ていたデューイに布団を掛けていた。きっと慣れない空間で過ごしたために疲れてしまったのだろう。
「……早く帰れるといいね」
「ユイ姉ちゃん。大丈夫?」
フウランが市川の背中をつついた。
「うん、大丈夫だよ。フウランちゃんは寝なくて大丈夫?」
「……うん。マリン姉ちゃんたちが戻ってくるまで起きてる」
フウランの頭がこっくりこっくりと縦に揺れている。本当は寝たい気持ちで一杯なのだろう。それでも起きようとしているのは、二人の身を心配してか。
(フウランちゃんも周りの人たちの様子から何となくわかってるのかも。今がどれほど恐ろしい状況なのか。なら、私はその不安を少しでも和らげないと)
市川は座った姿勢のままフウランを抱き寄せた。
「お姉ちゃん?」
「二人で、一緒に待とうか」
「……うん」
大丈夫。きっと魔人と戦っている人たちが、渡辺君が、私たちを守ってくれる。
この時、アリーナ会場にいた誰もが気づいていなかった。
会場の壁に取り付けられていた温度計の赤い液体が、上へ上へと上昇し始めていたのを。
*
「火の勢い! なおも止まりません!」
「重傷者多数! 全員火傷を負っているとの報告!!」
「クソ何がどうなってるんだ!!」
「軍全体がパニックに陥っています!! もはや統制が取れていません!!」
アルーラ城にある指令室では、男女らの焦燥感に駆られた声が飛び交っていた。彼らは戦場と指令室の声を繋ぐ架け橋であるが故、戦場から直に伝わる悲鳴に不安を煽られていた。
「魔人は一旦無視だ! 重傷者優先で塹壕の中へ避難させろ!!」
その不安を打ち消さんと千頭が声を荒らげた。
「塹壕?! それで謎の攻撃から逃れられるんですか?!」
「いいから早く伝えるんだ!!」
「は、はい!!」
千頭は朝倉から戦場の燃え広がり方を聞き、ディックと同じ答えにまで思考を辿り着かせていた。
この攻撃は放射状に広がっている。
ならば、とりあえずフィルバンケーノから死角になる位置に移動すればいい。それで一時凌ぎにはなる。
「……気になるのは、個人差があるところだ。ただの熱放射なら全員が等しく焼けているはず。ところが実際は軽傷者から死亡する者からまでいてムラがある。魔人は等しく重傷を負っているみたいだけど……」
単純に装備の露出度の違いか、と千頭は考えるが、それなら全身を覆うタイプの装備をしている者は等しくダメージが少なくなるはずだが、そうはなっていない。
千頭がまた脳みそをフル回転しようとする。
そんな時だった。
「えっ?」
伝令の一人である男から素っ頓狂な声があがり、千頭の集中が阻害された。今度は何だと身構える千頭だが、男はなかなか報告してこない。
「おい、そこの! どうした!」
ただでさえ焦っている千頭は痺れを切らして報告を促す。
「は、はっ! すみません。伝えるべき内容ではないと思い報せませんでした」
「重要な情報かそうでないかはこっちで判断する。一体何だ」
「それが……南区の転生者居住区で火事が発生したと」
「火事?」
「はい、家一軒がいきなり燃えたそうです。おそらく居住区の者が避難する際にガスを閉め忘れたのでしょう。それに引火して――」
「千頭さん! 東区第三魔法ギルドの建物から火が上がっていると報告が!!」
「同じく! 西区百本剣山近くの住居で火災が発生!!」
「こちらでも避難所になっている南区の第五アリーナが燃えているとの連絡あり!!」
突然降って湧いた矢継ぎ早の報告に、千頭は血の気が引いた。
「まさか……敵に侵入された?」
当たってほしくない予想に、千頭の呼吸が乱される。
「東区第七アリーナでも建物から火が!!」
「――ッ!」
そこは、マリンたちが避難している場所だった。
*
燃え上がるアリーナの出入り口から、たくさんの避難者たちが互いに押し合いながら飛び出してくる。
その群衆に向けて、マリンとミカは市川、デューイ、フウランの三人の名を懸命に叫ぶも返事はなかった。
しばらく時間が経っても同じだ。
アリーナから脱出する避難者たちの数が減ってきても、彼女たちは中から出てこなかった。
「ッ! こうなったら!」
「ま、マリンお姉ちゃん?!」
マリンが水場の方へと駈けて行った。
先ほど洗い終わったばかりの鍋に水を多く注いだかと思えば、それを頭からかぶって全身をビショ濡れにした。
「そ、そんなまさか!」
「3人を探してくる!」
アリーナの出入り口に向かって走り出した。途中、協力した騎士の呼び止める声が聞こえてきたが、マリンはそれを振り切って黒い煙を吐き出しているアリーナの口へと侵入した。
「わ、私だって!!」
及び腰になっていたミカは、頬を両手で叩いて気合を入れた。そしてマリンと同様に水を被ると、アリーナ会場の中へと入って行った。
*
「ダメです! 炎上の拡大が止まりません!!」
なおも指令室ではバッドニュースが次々に舞い込み、その対応に千頭は追われていた。
「燃え移りそうな民家を倒壊させて燃え広がるのを止めるんだ!!」
「既にやってます! ですが建物そのものが発火していて止められないんです!」
「な! くっ、感知班は何をやってる! 敵を見つけられないのか!!」
「そ、それが敵の反応や侵入した形跡も見られないと!!」
「ッ!!」
そんな馬鹿なと千頭は眉間にシワを寄せ、額に手を当てた。
(街に敵はいない?! なら何で街が焼かれてるんだ!!――はっ!!)
千頭はにわかには信じ難い答えを導き出す。信じ難いが他にあり得る要素は見当たらなかった。
「……フィルバンケーノだ。ヤツが街を燃やしている!!」
「「 !!!! 」」
指令室が騒然とした。
そんな中でも、朝倉は一切慌てることなく凛とした態度で、みんなが思ったであろう疑問を口にする。
「フィルバンケーノの位置から最も遠い火災現場まで90km相当の距離がある。そんな遠く離れた場所にまで攻撃が届くと? それに『障壁』だって破られてはいないのよ?」
「君の言い分はもっともだ。もっとも過ぎて僕もつい頷きそうになる。でもね、実際に起こってる事態の辻褄を合わせるには、このデタラメしかないのさ!!」
「そう……となると、尚更敵の攻撃の正体を明かさなきゃいけないわけね」
朝倉の言う通り、結局考えるべき問題はそれだ。この謎を解かなければ戦場も街も焼かれる一方だ。
「……っ!! 千頭さん!!」
「! 火事だったらもういい! 現場の判断に任せ――」
「違います! 感知班からの連絡で……フィラディフィア全域で気温が38℃にまで上昇していると!!」
「なっ!!」
真冬の季節。平均気温が5℃にまで下がるフィラディルフィアでは絶対にあってはならない数字に、千頭たちはもう何度目かわからない驚愕の表情をした。
非常事態に追われていてまったく気づかなかった。千頭の首筋や額は汗でグッショリと濡れていた。この場にいる朝倉や他の者たちも暑さで汗を流している。
「39℃……40℃! こ、このままでは街にいる人々全員が熱でやられます!!」
その時、千頭の脳裏に最低最悪なイメージ湧き上がった。
今現在、フィラディルフィアにいる260万人全員の死。
(……僕のミスだ。フィルバンケーノを街のそばまで引き付けるべきじゃなかった……アルカトラズに陣を敷くべきだった? だがあそこはあくまで鉱山街であって魔人との戦闘を想定した造りになっていない。さらに山を越えた先に拠点を構えたら? 無理だ。魔人がいつやってくるかわからなかった時にそんな博打は打てなかった。補給線の確保だって険しい山で現実的じゃない……)
他に選択肢はなかった。
降りかかる重圧から逃れるためか、千頭はそんな言い訳に貴重な思考回路を割いていた。
「アナタ少し良い子になり過ぎね」
「ッ!!」
まるで自分の思考を見透かしているかのように、朝倉が言ってきた。千頭が振り向けば、相変わらず淡々とした不愛想な顔がそこにあった。前々から思っていたが、彼女の心臓には毛でも生えているのかと思わされる。
「革命が成功する前までのアナタは、何を得て何を捨てるかハッキリ決められる人間だった。それは人として残酷だと捉えられるのかもしれない。けれど、冷淡に物事を俯瞰できる昔のアナタの思考でなければ拓けない道もあるはずよ」
「朝倉さん……」
千頭はゆっくりと頷いた後、目を閉じた。
余計な情報は全てシャットアウトする。雑音も雑念も脳細胞から弾き出す。助けを求める人の声も、死にゆく人の声にも、今は耳を傾けない。とにかく見えざる攻撃の正体を明かす。それだけに全神経を捧げる。まずはもっと正確な情報が必要だ。外に行く必要がある。
千頭は部屋から全速力で飛び出し、バルコニーへと向かった。
外に出ると、早速湿り気を含んだ暑さが体に染みついてきた。
「やっぱり……『障壁』があってもフィルバンケーノの方からジリジリと焼けるような熱気を感じる」
目を細めつつ、アルーラ城の高所から遥か北の戦場を見据える。北側の景色は完全に赤と灰色の2色のみで埋め尽くされており、改めてその規格外な攻撃範囲に舌を巻かざるを得ない。
次に千頭は街全体を見渡した。電気の明かりがほとんどない真っ暗な街の中にポツポツと灰色の煙を吐いている光が確認できる。
「街の被害は外ほどじゃない。完全ではないけど『障壁』が威力を弱めているのか」
ここだ、と千頭は思った。
『障壁』の影響をわずかに受けているという点が、この攻撃の最大の特徴。ここのカラクリさえ解ければ。
(記録にあった通りなら、魔人の力は『魔法反射』の影響を受けない。それなら『物理反射』の視点で考えるべきだ。放射状の攻撃、個人差のある火傷の負い方、一見法則性が無いように思える街の燃え方、気温の上昇……。考えろ考えろ千頭 亮。『物理反射』が影響するならそれはきっと地球でも通用する法則なんだ!!)
よく見ろ。
よく見るんだ。
千頭はジッと燃え上がる戦場を見つめた。
「……待てよ……見えてる?……ああ……ああ!! バカか僕は!!」
考えてみればそれはあまりにも当然な話だった。転生してから14年間何故その発想を持たなかったのか、千頭は自分の頬を平手打ちしたくなった。
だがそれは今度にとっておく。今は一刻も早く伝えなくては。
急ぎ指令室へと戻ってきた千頭は声を張り上げた。
「『障壁』を解除させろ!!」
「――はっ?」
耳を疑うような命令に伝令役が身体を硬直させる。
「『障壁』が“温室効果ガス”と同じ作用をもたらしてるんだ! 早くしろ!!」
「は、はいいぃ?!!!」
地球用語がわからない異世界産まれの伝令役は、言われるがまま『障壁』を発動させている騎士たちに指示を送った。
それにより街を覆っていた黄味がかった半透明の膜が、空気に溶けるようにして消えていった。
間髪入れず、千頭は『
「クソッ! やっぱり近づけねー!!」
その頃ディックは『
『ディック君! 聞こえるか!!』
『千頭? って、何で『精神感応』が使えてる?! お前まさか『障壁』を解いたん――』
「フィルバンケーノの攻撃の正体がわかった!! ヤツの攻撃は――赤外線だ!!」
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