第18話 熱殺崩糾

 フィルバンケーノは頭部をポリポリと掻き、ダルそうに目尻を下げた。天を突いていた髪もやる気の無さを象徴するかのようにだらんと垂れ下がり、最初に会った時と同様、前髪が両目を隠していた。

 先ほどまで迸っていた闘争心はどこかへ消えたのかと思われたが、一つだけそうではないと主張する箇所があった。

 下がった髪の隙間から覗く瞳だ。

 視力を失ったはずの瞳だけは火を灯して輝いていた。


「……わからねぇ。上司の命令で仕方なく戦ってるとか言ってたヤツの台詞か? それ」


 フィルバンケーノの理解し難い感情に、渡辺は自然と疑問が口から零れた。


「嫌々従ってるのは事実さ。人間を殺りたくねえもんは殺りたくねえし、メンドくせえ。けどな、見ちまったんだアイツの目を……どこかに救いを求めているような目だった。あんな弱腰なアクアリットを今まで見たことが無ぇ。俺ぁそれで直感したのさ。この戦いはこれまでとは全く別の意味を持ってるってな」

「意味だって? 人間を殺すことに何の意味があるってんだ!」


 渡辺からすれば身勝手でしかない発言だ。当然激昂する。

 だが隣にいたディックは冷静でそのもので、今の言葉を正確に捉えようとした。


「この戦いが魔人の繁栄に繋がるってことか?」


 ディックの問いに「さてね」と、フィルバンケーノはかぶりを振った。


「俺自身それが何なのかはわからねぇさ。わからねぇが多分、俺たち魔人にとって重要なもんだ。だからそれを邪魔されるとあっちゃ、俺も『メンドくせー』なんて言ってられないわけよ」


 フィルバンケーノの黒い部分の体毛が、薄っすらと赤色を帯び始めた。


「っつーわけで、行くぜ。オメェら」

「「ッ!!」」


 攻撃か。と、渡辺もディックも身構えるが、フィルバンケーノは突っ込んで来ない。例のビームも放ってこない。

 然もありなん。フィルバンケーノの両手足の肉は露出して鍬で耕されたみたいにグチャグチャだ。どう見ても戦える状態ではない。


 防御力も下がっているだろう。ヤツに残されたのはよく回る舌だけだ。

 渡辺は赤い剣を作り出すと、フィルバンケーノの全身を“観の目”に収めた。これでどんな反撃があろうと反応して躱せる。あとは隙を突くのみだ。


 渡辺はフィルバンケーノを見た。

 見て、剣を構えて、地を蹴ろうと脚に力を入れて、


「――?」


 渡辺がパチパチと瞬きをする。

 長く目を開けていられない。

 何故か、異様に目が乾く。


「な、何だ。目がおかしい」


 それはディックも同じらしく、目を細めていた。

 渡辺にも同じ症状が出ていることからフィルバンケーノが何らかの攻撃を仕掛けているのは間違いない。だが、その攻撃を視認できない。


「チィッ! こいつ何を――ウッ!!」

「ッツ!!」


 目の渇きが決定的なものに変化した。

 目が熱湯をかけられたかのように熱いのだ。

 目だけではない。顔全体そして両手が、火で炙られているみたいに熱を持ち始めた。


 フィルバンケーノが徐に一歩前へ踏み込む。

 すると、周囲の草や木が突然燃え上がった。

 

「「うぐうう!!」」


 渡辺とディックの感じていた熱量が数十倍になって、目玉が沸騰しそうな感覚に襲われる。


「や、やべえ!! 渡辺、一旦引くぞ!!」

「ああ!!」


 二人は目蓋を閉じながら『風魔法』で数百メートル上空へと逃げる。それでもなお、顔や手に感じる熱はへばり付いたままだ。


「!……おいディック、下見てみろ」


 目が少し落ち着いたところで、渡辺が森を見下ろして言った。


「……マジかよ」


 ディックは眼下に広がるその光景を目撃して改めて思い知らされた。

 五蘊魔苦の力を。


 まるで湖に一石投じて生じる波紋の如く。火が通常ではあり得ないスピードで燃え広がっていた。


「どうやったらこんな芸当ができんだ!!」


 少なくとも炎ではないというのは渡辺もディックも共通の認識だ。森に火が付き始めた瞬間、フィルバンケーノは炎を出していなかった。敵はさっきまでとは別の、何らかの方法で熱を放出している。

 ディックが攻撃の正体を探ろうとフィルバンケーノに視線を移した。


「ッ!!」


 その時だ。また目が内側から弾けそうになって堪らず目を閉じた。


「ディック! 大丈夫か?!」

「だ、ダメだ!! フィルバンケーノを直視できねぇ!!」

「なっ!!」


 渡辺とディックの意識に、これまで経験したことのない恐怖が混ざり込んでくる。それは直接的な攻撃による死の恐怖とはまた異なるものだった。正体不明の存在がいつの間にか傍に這い寄っているような、気が付けば殺されていたような感覚。

 “わからない”という“恐ろしさ”が二人の闘争心を蝕んでいた。


 だが、正体を知っていたとしても直接的な恐怖に襲われるだけであることは、魔人たちが体を張って証明していた。


「この生命力の流れは!!」

「に、逃げろ!!! フィルバンケーノ様の『熱殺崩糾ねっさつほうきゅう』だあああ!!!」

「どけええ人間共おおお!!!」

「中に! 街の中に入れさせろおお!!!」


 魔人たちが急に騒然とし始めたかと思えば、ある者は戦場から逃げ出し、ある者は騎士たちを無視してフィラディルフィアへ乗り込もうとしてきた。街に近づく魔人たちは騎士から攻撃を受けても、そんな些事は二の次だとばかりに気にも留めない。

 魔人軍は、戦場から離脱する軍勢と街へ侵入しようとする軍勢、真っ二つに分かれた。


「遠くで山火事が起きたと思ったら、いきなりどうしたってんだよ連中は!!」

「わからない! とにかく奴らを街の中に入れさせるな!!」


 城郭の上にいる砲兵たちが、大砲で近づく魔人を片っ端から砲撃で吹き飛ばしていく。


「次の発射薬を!」

「お、おい」

「何してる! 弾はもう用意できてんだ! 早く発射薬を――!!」


 目に飛び込んできた。

 発射薬を入れてある袋に、手のひらサイズほどの火が付いているのが。


「と、飛び降りろお!!」


 砲兵たちが城郭から飛び降りたのと同時、爆発が起こった。

 それも一ヶ所ではなく、10km以上に亘って配備されていた大砲全部が一斉に爆炎に飲み込まれた。


「城郭の大砲がすべてやられただって?!」


 部下からの報せに、千頭は自分の耳を疑った。


「は、はい! 突然火薬が燃えたとのことです!」

「……フィルバンケーノめ、水蒸気爆発で生き残ったのも驚きだが、ここまで広範囲に影響を及ぼす能力を持っているなんて! 急いで『第一障壁』を作動させるんだ! 街に被害を出すな!」

「ハッ!!」


 千頭の指示により、黄色味を帯びた半透明な膜がフィラディルフィア全体を覆った。


「朝倉さん、フィルバンケーノに攻撃したような素振りは?」

「無いわ、ずっと歩いてるだけよ」

「くっ、一体何なんだこの攻撃は!!」

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