第3節 黒曜姫、動く
「そういうことでしたの。身内のこととはいえ、所長も大変でしたわね」
一通りの話を聞き終えた黒曜姫はそうコメントし、紅茶が入ったカップにようやく口をつけた。
ほっとひと息つき、リトも女王に倣って紅茶を飲んだが、すでに冷めきっていた。せっかく淹れてくれたのに、話すことに必死すぎてすっかり手付かずになっていた。城仕えの者に申し訳ない気持ちになる。
すでにラディアスは兵士たちに医務室へ運ばれて、ライズは彼に付き添って行ったため、今はロッシェとともに女王と対面している。
その前に伝言を終えたらしいリンド姫は、戻ってきて黒曜姫の隣に座り、途中から一緒に話を聞いていた。
ラディアスとどのようにして知り合ったか。実父であるエルディスがいつ帰ってきて何をしたのか。
ロッシェとの関係についても突っ込まれたが、彼が旅の途中でティスティルに立ち寄った際に出会い、しばらく旅を共にしていた、と適当に濁した。一応嘘ではない。
「エルディス様の件に関しましては、こちらで対処しますわ。所長が幼少の時に起きた事件は記録に残っているでしょうし、後見人の学園教授もおそらく事情を把握していらっしゃると思います。ですが、」
女王が不穏に言葉を切った。
やけに語尾が強かったのがさらに不安をあおり、顔を上げると、鋭い光をとじこめた
「どうして、もっと早くわたくしに報告してくださらなかったのですか?」
「も、申し訳ありません……」
返す言葉もない。リトは素直に頭を下げた。
黒曜姫に責められても仕方がない。
彼女にも、後見人のセリオにも、誰にも相談せず自分だけでどうにかしようとしていたのだ。
一人だけで害を被るならまだしも、リトは隣国にまで逃げて援助を受けている。
宰相のルウィーニばかりか、ライヴァンの国王にまで迷惑をかけてしまったのだ。
「フェトゥース国王陛下やルウィーニ殿には、あとできちんと挨拶と謝礼を致します」
「それは当然ですけれど、今は置いておきましょう。記憶を封じられていた期間のことは仕方がないですもの。ディア兄様はもちろん、所長だって今回の被害者です。わたくしが言いたいのは、もっと早くに相談して欲しかったということですのよ?」
「相談、ですか?」
頭を上げて、リトは黒曜姫を見る。彼女は戸惑った彼の顔を見ると、怒った顔から一変して口もとを緩めた。
いつものふわふわした微笑みとは違い、泣き出しそうな顔。
ラディアスが時たま見せる、あの切ない表情に似ていた。
「わたくしはそんなに頼りないですか?」
ズキン、と胸が痛んだ。
なにか言わなければ、と頭の中でぐるぐると言葉を探す。
「いえ、そんなことは……」
「今回の件だけではありませんわ。年齢退行した時も、所長はわたくしには事後報告でしたわよね? 後処理も独断でしたし、あなたは自分の力だけで解決してしまいました。ある日突然、以前よりもはるかに幼くなったあなたのその姿を見て、わたくしが何も感じないとでも思いましたの?」
これは、やっぱり怒っているらしい。
首を動かしてロッシェを見れば、彼は清々しいほどの満面な笑みを浮かべていた。
「そうだよねえ。あの時、君は僕にも事後報告だったわけだし? 偶然僕の仕事仲間が関わっていたから、黒曜姫よりは早く知ることができたわけだけどさ。僕ら仲良しな友人だと思ってたのに、水臭いよねえ」
言葉の端々に皮肉が入っている。
というか、なぜロッシェまで怒っているんだ。
あの時は緊急事態だったし、ライズの生死さえ不明だったのもあって誰かに相談している時間さえ惜しかった。
居合わせた者達で解決が可能だったから、第三者の力を借りる必要なんてなかったのだ。まあ、ラァラ経由でたしかにジェイスには来てもらったけれど。
いや、それもただの言い訳か。
「申し訳ありません、女王陛下。たしかに退行した時点で相談すべきでした。ですが、カミル様は把握していたので陛下もすでにご存じだと思っていたのですが」
「なぜ、そこでカミル様が出てきますの?」
「え? だって、カミル様は開発部の名誉顧問ですよね?」
柔らかな黒曜姫の笑顔がピシッと音を立てて固まった、ような気がした。
瞬時にしまったと思う。
何がいけなかったのが厳密には分からないのだが、地雷を踏み抜いてしまったような気がしたのだ。
そして、その勘はたぶん当たっている。
隣のリンド姫も引きつった顔をしているからだ。
「いつ、だれが、カミル様を名誉顧問にしたのですか? わたくし、そんな話全然聞いていなくってよ」
「——え?」
青天の
呆然としていると、女王は次々と畳みかける。
「
「無茶言わないでください、女王陛下」
言えない。今では過去のこととはいえ、自分も名誉顧問の言いなりだったなんて。
口が裂けても言えない。
「まあ、いいですわ。あの方には開発部を私物化した代わりにたっぷりと働いてもらいますから」
「と、言いますと?」
「エルディス様は所長でも敵わないほどの精霊魔法の使い手ですもの。兵士を向かわせても捕まえることはできませんわ。彼を逮捕する仕事はカミル様にしていただきましょう」
黒曜姫はひとつため息をつくと、いつものふんわりとした微笑みに戻った。
その様子を見て、隣のリンド姫はクスリと笑う。
「姫さま、とりあえずは一件落着ですね!」
「まだ終わってはいませんのよ、リンド。でも、そうですわね。カミル様に任せておけば問題はないでしょうし、ひとまずは安心ですわね」
いくら魔法耐性の強い身体を持つエルディスでも、ティスティルの守護者であるカミルには敵うわけがない。
逮捕されたエルディスは王宮で公正な裁きを受けることになるのだ。
もうリト自身や大切な友人達に危害が及ばなくなる。今回、心の傷を負ったであろうラディアスだって、平穏に暮らせる。
ようやく、リトは父から解放されるのだ。
そう思うと、なんだか身体の力が抜けた。
ソファに体重をあずけたまま、リトはため息をつく。
その時、黒曜姫は艶やかな唇を開いた。
「所長、そしてレジオーラ卿。あなた方には改めてお礼を申し上げますわ。ディア兄様を連れてきてくださりありがとうございました」
宝石のように煌めく
顔を綻ばせる主君に、リトは何も言えなくなる。
だって、最初は通報さえしなかったのだ。それはあくまでラディアスの意思を尊重したのであって、今も後悔はしていないけれど。
それでも、こうして改めて女王直々に礼を言われると、罪悪感を覚える。
「いえ、本当はもっと早く連れて来れれば良かったんですけど」
「それはそうかもしれませんけど、今こうして帰ってきてくれたんですから良かったんじゃないですか?」
リトの消極的な言葉に答えたのはリンド姫だ。
彼女はいい笑顔で、キラキラ輝く蒼い瞳を向けていた。二人にというよりは、彼女の瞳はロッシェにまっすぐ向かっている。
「レジオーラ卿。あなたはやっぱりラディアス様を連れ戻してくださったんですね」
わずか数秒の間を置いて、ぽかんとしていたロッシェが首を傾げる。
「何のことだい?」
「いえ、こちらの話です! あれから五年ほどになるのに、今叶えられたかと思うととにかく嬉しくて」
五年ほど前って、もしかして自分がロッシェと出会う前の話だろうか。
リトにはよく分からなかったが、ロッシェ自身にも心当たりないらしい。腕を組んで首を傾げたまま考え込んでいる。
黒曜姫とリンド姫は目を合わせて笑っているし、二人にだけしか解らない話のようだ。たぶん本人に教えるつもりはないのだろう。
なんにせよ、女王陛下もリンド姫も喜んでくれて良かった。
リトはそう思い、冷めきった残りの紅茶をひと息に飲み干したのだった。
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