第4節 緩和剤のゆくえ

「リト!」


 最初に叫んだのはラァラだった。

 異変に気付き駆け寄ろうとするが、エルディスは彼女の腕を放そうとはしない。必死の表情で少女は彼を見上げ叫ぶ。


「パパ、放してっ」


 エルディスはなにも言わなかった。

 先ほどの真剣な表情を潜め、愉悦の笑みを口もとに貼り付かせ、つぶやく。


「だから言ったのに」


 明らかに確信犯の顔だった。それを見て、ロッシェは胸の内に黒いものが這い上っていく感覚を覚える。

 愉しげに笑うエルディスに圧倒されたのか、ラァラは腕を取られたまま言葉を失い、彼の顔を見つめた。


 そろそろ友人の身体を支えている体勢が、きつくなってきた。

 退行して背が縮んだとはいえリトは元々背が高く、華奢ではあるが剣士としてそれなりに身体を鍛えてもいる。だからと言って床に転がすのは気が引けるし、腕力に自信のないロッシェとしては男一人を軽々と抱えることなんて無理な話だった。できることなら、なるべく早くベッドに寝かせてやりたいところだ。


「だから言ったのにね」


 エルディスの口調を真似ながら、肩を貸すようにして支え直す。何が面白いのか、その様子を愉しげに眺めていた彼は口を挟んでくる。


「とりあえず、部屋に案内するから武器を捨てて貰えないかな?」


 まぁ、当然の流れだろう、とロッシェは心の中でつぶやく。

 従う理由はないが、彼がラァラを解放しようとしないのはこちらへの牽制なのだろう。そう判断し、様子見も兼ねてエルディスに言い返す。


「素直にハイと言うとお思いで?」

「リトアーユをそのままにしておけないだろう?」


 何を言っているんだ。意味が解らない。というより、会話が噛み合っていない。

 小さくため息をつき、ロッシェはエルディスを睨みつける。


「勿論。でも、武器を捨てさせる意図には賛同しかねるからさ」


 そう言うと、今度は意味深に笑われた。続けて腕を掴まれたまま俯いているラァラを、橙色の瞳で示唆しさする。


「彼女を使い魔にされたくはないだろう?」


 相手の五感と身体を支配する【使い魔ファミリアー】は、魔族ジェマ特有の魔法だったか。

 子どもとはいえ相手はか弱い翼族ザナリールで、女の子だ。本気だとすればつくづく忌まわしいが、こちらとしてもそれを防ぐ手立てはない。


「それは、悪趣味なことで。……らじゃ、ここは素直に従った方が賢明かな」


 本当に今すぐくびり殺してやりたい、と心中で呪いを吐き捨てる。

 睨んだ目はそのままに、ロッシェは三日月刀シミターをベルトから外してエルディスの足もとに投げ捨てた。

 ついでにリトの剣も外し、放り捨てる。


「これで満足かい?」


 まったくむかつく奴だ、という心の声が通じてしまったのかもしれない。

 緋色の魔法使いはますます愉しそうに口角を上げ、ささやいた。


「ああ、満足だよ」







 促されるまま別の部屋へ行くと、そこは客間のようだった。

 壁際にベッドがあったのでそこへリトを横たえることができ、ロッシェはひと息をつく。


 だが、安心するにはまだ早い。

 彼の白い肌も薄い唇もすっかり血の気を失い、脈は弱く呼吸も弱くなっている。

 額にてのひらを当て熱を確かめつつ、ロッシェは翼の少女の腕を掴んだまま自分の背後に立つ緋色の魔族を睨みつけた。


「ところでさ、彼の身体をきちんと診てくれるんだろうね? お父さん」

「私にどうしろと?」


 出方をうかがっているのか本気で解っていないのか、どっちだ。


 抵抗する素振りもなく大人しく捕まっているラァラの様子を見れば、彼女は無表情に眠るリトを見つめていた。彼女はたしか魔法を使うことができなかったはずだ。


 だとすると、この場でリトを回復できそうな手段を持ちそうなのが出来の悪いこの父親しかいない、のか。

 最悪ともいえるこの事実に気づいた途端、ロッシェは苛立ちを通り越して目眩を覚えそうだった。


「精霊が心臓を止めようとしているんだ。君がなだめて治療したまえよ。曲がりなりにも精霊使いだろう?」


 高位の精霊使いなら、会話くらいはできるものだろう。

 当然のスキルだと思い提案すれば、エルディスは不思議そうな顔で首を傾げ簡単に答える。


「ラト君じゃあるまいし、私にはできないよ」


 この、役立たず野郎。——と、喉もとまで出かかったが、ロッシェは何とか飲み込んだ。

 リトの襟もとのボタンを外してくつろげ、靴を脱がせてベルトを抜く。身体を圧迫し脈と呼吸を阻害しそうなものを、できるだけ取り外してみた。

 測ってみると、幸い脈拍はさっきより回復してきているようだった。


「治療できない癖に、主治医を殺したのか、あんた」


 イライラをそのままに吐き捨てたら、彼は今思い出したというような顔で目を瞬かせた。


「そういえば、彼は主治医だったね」


 何がそういえばだ。病症に詳しい医者を砂漠に置き去りにしておいて代わりの医者も呼ぼうともせず、自分にはできないとかどの面下げて抜かしやがるんだ。


「このまま治療せず彼の心臓が止まっても、別に困らないって聞こえるんだけどさ。そこん所どうなんですかね、お父さん」

「困るに決まっているじゃないか」


 聞かずとも答えは解っていたが、遠慮するのもなんだか腹が立ってくる。


 リトの頬と首周りを挟むようにして手を当て、脈拍数と体温を確認しながら、ロッシェは口を開いた。


「ふぅん、じゃ、どうにかする気持ちはある訳なのか」

「当たり前だろう?」


 先ほどからのらりくらりと本題をかわそうとする態度が、ひたすら鬱陶うっとうしい。

 魔法の中には怪我だけじゃなく病気や障害を治癒するものもある。熟練した精霊使いならそのあたりを組み合わせて何とかできそうなものなのに、彼はどうせ口先だけで気持ちがないのだろう。


婉曲的押問答えんきょくてきおしもんどうなんかしてる状況じゃない、脈が弱くなってる。どうするんだ、あんたのせいだろ」


 言葉だけで何とかできるなら困らない。どうにかする意志も能力もないのなら、父親面するな、と胸中で吐き捨てる。


「うーん、どうしようか。ラト君から、緩和剤を持たせていると聞いているけど、それ以上は知らないなぁ」


 返ってきたのは大して身にならない台詞だったが、緩和剤の情報が出た。


 ロッシェはリトの上着をめくって、ポケットをひとつひとつ確かめてゆく。隠し武器や何かの道具が出てきても気付かないフリをするつもりだったが、緩和剤の形状が解らない以上探しにくい。

 外ポケットもひとつずつ丁寧に探ったものの、出てきたのは小瓶に入った飴玉と財布だけ。

 記憶を失っている間にどこかで落としたのか、それとも別宅と一緒に煙になってしまったか。だとしたら最悪だ。 


「つくづく、僕以上に最低な父親だ。あんた、僕に頭を下げろ。僕が何とかしてやる」


 こんなやり取りをしている間も、リトの顔色は戻らず体温も低いまま。放って置くと容態は悪化していく一方なのは明らかだ、とロッシェは内心気持ちが焦っていた。医者ではないしどうすればいいのか皆目見当つかないが、出来る範囲でどうにかするしかない。  

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