第5節 応急処置

「君に何とか出来るのかい?」

「知らないよ。僕は医者じゃない、ただの殺し屋だ」


 皮肉を返すことさえ面倒になってきて、条件反射で投げやりに言葉を返す。

 不穏発言した気がするものの、相手がエルディスならもうどうでもよかった。


「息子を殺すつもりじゃないだろうね」

「どうして僕が彼を殺さなきゃないんだ。殺るなら、あんただろ」


 身体が楽なように上着を脱がせてやりたいと思うが、ただでさえ低い体温をさらに奪ってしまいそうでロッシェはためらう。

 ひとまず前ボタンを全部外し、シャツのボタンも外して、胸に手を当てて心音を確かめてみた。

 自分の脈と速さや回数を比べながら数える。……やっぱり弱いし少ない。


「それは怖いね」

「心配要らないさ、僕はあんたと違って優しいから、苦しまずに逝かせてあげるよ。……毛布を二枚、柔らかいタオルを一枚、今すぐ寄越せ」

「解ったよ」


 とにもかくにも、保温が先決だろう。

 エルディスが素直に聞き入れたのは意外だった。一応心配はしているということだろうか。

 なんにしても、少しは動いて欲しいものだ。ただ突っ立って眺めているくらいなら、火トカゲでも呼び出して心機能を強化してくれれば助かるのに。


 だからといって今さら、任せる気にもなれないのだが。


「熱はない、というより気温が下がってる。あんた炎属性なのに役立たずだな、生命力を強めるのは炎の精霊だってのに」


 リトの足を持ち上げて、使用人に渡された毛布を下に置く。上体を抱え、毛布を引っ張るように広げて身体の下に敷いてやる。冷え切った足を丁寧にタオルで包んでから、もう一枚の毛布を身体に被せて包んでやった。


「それで、緩和剤ってどれのことなんだ?」

「リトアーユが持っているだろう?」


 さっきざっと調べた時には見つからなかった。もしかして錠剤じゃないのだろうか。

 彼の口振りでは聞いても知らなさそうだと思いつつ、聞き返してみる。


「取り上げてないのか。薬は見当たらないんだけど、形状が違うのかな。聞いてないのか?」


 と、そこまで聞いたところで、ずっと黙ってロッシェの動きを見ていたラァラが不意に口を開いた。


「飴玉」

「え?」


 思わず聞き返すと、翼の少女は濃い藍色の瞳を瞬かせ、そっと言い加える。


「なめると元気がでる、魔法の薬って言ってた」

「成程、薬じゃあないのか。それなら、多分これだね」


 予想外だったが、納得した。

 アクリルの小瓶に入った、ピンク色の小さな飴玉。リトが持ち歩く物にしては違和感を感じたが、薬代わりと言われれば納得もいく。

 上着のポケットから取り出して見せると、ラァラはほっとしたように頬を緩め、こくりと頷く。


「うん、当たり」

「有り難う、助かるよ」


 礼を言ってから、コルク栓を抜き飴玉を二つ取り出した。

 問題はこれをどうやってリトに服用させるか、だが——。


 少し考え、ロッシェは振り返ってエルディスを見る。


「僕の剣を寄越せ」

「なぜだい」


 向こうが抱く疑念は当然だろうが、説明が面倒くさい。

 というか、今はその時間さえ惜しい。


「意識がないんだ。このまま口に入れたら、窒息するだろう? 砕くんだよ」


 解らないのかよこの野郎、と念じながら返答すれば、エルディスはしぶしぶながらも三日月刀シミターを差し出した。

 礼を言う気分にはなれないので無言で受け取り、机の上に紙を敷いてその上に飴を二つ乗せる。

 柄を下に向け勢いをつけて砕こうとしたが、固くてなかなか難しい。何度か打ち付けて細かくすると、刃の先で大きな固まりをすり潰す。衛生面で問題大有りだと思うが、まだ新品の剣だからと考えないことにした。


「器と熱湯、寄越せ」

「さっきから、私に命令していないかい?」


 言われてみればそんな気もするが、だからといって言い方を改める気にもなれない。

 緊急事態だし、なにより会話するのが面倒くさい。


「煩い、早く寄越せ」

「とりつく島もないね」


 畳みかけたら、深いため息をつかれた。なんだかむかむかと腹が立ってきたので、睨みつけて言い返す。


「とりつく島なら、第一段階で既に破綻しているんだ。自業自得を今さらつべこべ言うなよ、鬱陶うっとうしい」

 

 使用人が持ってきた器に砕いた飴を入れ、熱湯を入れる。溶かそうと思って、さじがないことに気がついた。

 やっぱりこの男、眺めているだけで頭を使っていないようだ。


鬱陶うっとうしいとは心外だね」

「僕に鬱陶うっとうしがられているんだから、願ったりだろ? さじを寄越せ」


 いちいち反応しなくていいのに、構って欲しいのだろうか。

 自分としては面倒くさいし、会話する気になんてなれないのだが。つくづく、エルディスというこの男はよく解らない。


「また寄越せかい。解ったよ」

「あんたに頭下げるのなんて真っ平だからさ」


 不満そうにつぶやいて、エルディスは再び使用人に言って取りに行かせたようだった。

 手渡された銀色のさじで器の中身をかき混ぜて、溶け具合を確かめながら湯を追加していく。あまり濃くても、喉に刺激が強くて飲んでくれないかもしれない。


「そもそも、君は誰なんだい。今さらだけどね」


 言われてみると、自己紹介のタイミングをいっしたまま名乗っていないことを思い出す。

 どうせ今さらだし、名乗る気も起きない。彼の言い分は適当に無視しようと決める。


 器で手を覆い、冷め具合を確かめながらしばらくそのまま待つことにした。


「知ることに意味はあるのかい」

「答える気はなさそうだね」


 会話する気が起きず、エルディスの不満を右から左へ聞き流す。

 さじですくった薄紅色のぬるま湯をリトの口もとへ近づけ、ロッシェは彼の鼻を摘んだ。無意識に呼吸しようと開いた口へ流し入れてみるが、すぐに吐き出されてしまう。


 まあ、意識がないのだから仕方ない。


 無理に流し込んだりして気道へ入ってしまえば、余計に苦しませてしまうだろう。

 注射器と技術があれば経口は避けるのだが、生憎ロッシェは医者ではない。


 だからと言って誤嚥ごえんを恐れて飲ませなければ、リトはどのみち心不全で危険な状態になってしまうだろう。


 視線をさまよわせ逡巡しゅんじゅんし、ダメ元だと自分に言い聞かせて、ロッシェは器に口をつけ中身を含む。リトの上体を抱え起こし、さっきと同じようにもう一度口を開かせてから、口移しで強引に飲み込ませた。


 念のため、唇を重ねたまま少し待つ。

 完全に飲み込んだのを確認してから離し、口の端からこぼれてしまった液をタオルで拭き取ってやっていると、エルディスが低くつぶやいた。


「……何を、やっているんだい」


 今の行為に、説明は必要なのか。


「緩和剤を飲ませてるんだけど?」


 顔を上げずに答えたら、不機嫌そうに声が返ってくる。


「私はともかく、ラァラがショックみたいだよ?」


 空になった器に湯を注ぎ、冷ましてからロッシェはそれを一気にあおる。ひどく喉が渇いて呼吸が絡むし、口の中に残った甘酸っぱい後味が気になったのだ。


 たしかに、年頃でリトの恋人でもある彼女としては、親子ほども歳差のある同性に目の前で彼氏の唇を奪われたのだから、ショックだろう。自分としては、まったくそういう意識はないのだが。


「救命処置に恋情は関係ないだろう。僕にそういう趣味はないから、心配ご無用」

「そうかい。少し驚いただけだよ。深い意味はないけどね」


 取り繕ったようなエルディスの返答を聞き流しつつ、ロッシェはふと不思議と楽になった呼吸に違和感を覚える。


 黙って小瓶の飴玉を眺めながら考えた。

 もしかしたら、いつもの過呼吸発作が起きかけていたのだろうか。収まったのは、この飴玉の残滓ざんしを飲み込んだからか。


 改めて診れば、リトの脈はたしかにさっきよりも正常に近くなっていた。

 頬と唇にほんのり赤みが差し、身体もいくらか温かくなっている。


 アクリル瓶に詰められたピンクの飴玉をもう一度観察してから、ロッシェは紺碧の瞳を巡らしエルディスに視線を向けた。


 きっと、この男には話しても無駄だろう。

 それでも、自分一人の心の内に納めておくには少しばかり、重すぎる。 

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