第6節 あめ玉にこめられた主治医の想い
「何か言いたいことがあるのかい?」
会話に飢えていたのか、エルディスが早速食いついてきた。
さっきまでならその一言を聞いただけで胃がむかむかしていたのに、今は妙に気分が凪いでいる。皮肉を言う気になれないのは、おそらくこの飴玉の鎮静効果だろう。
「……もう、心配ないと思う」
そう言うと、傍らに立つラァラは安堵したように身体の力を緩める。
ロッシェは視線を再び眠るリトへと戻すと、また声をかけられた。
「容態が落ち着いたのかい」
信じられないくらいにね、とエルディスの問いかけに、心の中で答えを返す。
これは何だろう。
【
いずれにしても、一介の薬師が調合できる代物ではない。
「…………。あんた、ディア君に感謝しろよ」
言ったところで、どうせ彼は感謝などしないだろう。それでも言わずにはいられなかった。
エルディスは首を傾げ、どういうことだいと問い返してくる。
「これはただの飴玉なんかじゃない、幻薬だ。副作用のない、即効性の魔法薬だ。こんなの、簡単に作れるものじゃない」
医師としてのラディアスも、王兄としての彼も、面識がなかったロッシェはほとんど知らない。
ただ、彼と一緒に暮らすようになってから、リトが変化したことには気付いていた。
甘くなった、臆病になったと時たま苛立ちを感じはしたが、裏を返せばそれは優しくなった、とも言えるわけで。
造り出された物は、時に当人よりも雄弁に、作り手の性質を証しする。
リトが優しくなったのはきっと、ラディアスの優しさが彼に感化を与えたせいなのだろう——と、胸に突き刺さるように痛感した。
途端、無性に悲しくなってきて涙ぐみそうになるのを、じっと堪える。
「ふぅん。珍しいものなんだね」
返ってきたのは、どうでも良さそうな感想だった。再び腹立たしくなってくる。
この男、まるで以前に対峙した
「珍しい、じゃないよ。世界中探したって他に替わりは見つけられない、リト君のためだけに調合されたものだ。……飴玉に誤魔化して、奪われないようにまでしてさ」
「そうかい。彼らしいね」
その言葉は、果たして本心からきているのか。
今の説明の意味も、ラディアスの想いも、なにも解っちゃいない癖に。
どうしてこんな男のために、彼が殺されリトが苦しまなければならない。
「もう、助けられないのか」
「すでに七日経っている。生きている方が奇跡だよ」
砂漠に、七日。
正常な状態であれば、たとえ魔法が封じられていたとしてもなんとか生き延びているかもしれない。
だが、掛けられていた呪いは——。
改めてラディアスに強いられた状況と、彼がたどったであろう数日間を想像し、その惨さに目眩を覚えた。
やはりこの男、
「そうだろうね。あんたは彼を殺したかったんだろうし」
「私は彼が嫌いだからさ」
治っていた胃のむかつきが、ぶり返してきた。
会話を続けるのが苛立たしくて、そろそろ終わらせてしまいたくなる。
「この瓶に入っている分がなくなったら、もう薬は望めない。それだけは、覚えておきたまえよ」
「言われてみれば、そういうことになるのだね」
それならそれでいいと思っているんだろう、このタヌキ野郎。——と、口にする直前、悲しそうにラァラがぽつりとつぶやく。
「リトも、ラトのあと追っちゃうのかな」
ああ、きっと。
リト自身の意思がどうあれ、そうなってしまうのだろう。
そう考えたら、なんだかどうしようもなく哀しい気分になった。
リトとラァラ、いっそ二人ともライヴァンに連れ帰ってしまおうか。
案外悪くないそんな思いつきを頭の隅に残しつつ、立ち上がる。
せっかく容態が落ち着いたのだし、エルディスにはリトから離れてもらって、少しでもゆっくり休ませてやりたい。
「とにかく、体温が正常になったからもう心配ないさ。あんた、自室に戻れば?」
苛つく気分を声にのせて言ったら、不気味な笑みを浮かべエルディスも負けじと返してくる。
「それならその武器を寄越せ」
これ、私物しかも買ったばかりの新品なのだが。
放りっぱなしだった
何様だ貴様。
「僕の口調、真似ないでくれるかな」
「じゃあ、寄越しなさいと言われたいのかな?」
何が、言われたいのかな、だ。
好人物を装うその偽笑顔、
「どうせ言われるなら、くださいを希望するけど。ま、どっちだっていいさ」
ロッシェにとって、対人であれば武器があってもなくても特に問題にならない。相手が手練れの剣士ならともかく、魔法職であれば尚更だ。
こんなことなら手ぶらで来るんだった、勿体ない。
そう思いながら、鞘に収めた剣をエルディスの足元へ放り投げた。
彼はそれを拾い上げ、それからロッシェを見て薄く笑う。
「さて。診察も終わったようだし、君にはこの部屋を出て貰おうかな」
「あんたの方が出て行きたまえよ」
言われるとは思っていたものの、素直に従うのも癪だし腹も立つ。
そんなことを考えながら言い返せば、ふと無意識に口の端を引き上げていたことに気が付いた。
今の自分はおそらく、脅しつける表情になっている。
「君を息子と一緒にしておけるわけがないだろう?」
負けじと凄みのある笑顔になるエルディスに、ロッシェは表情を取り直す。
紺碧の瞳を伏せがちにし、口もとに指を当て、曖昧に微笑んでみせる。
「一緒でいいじゃないか。こんな仲なんだし」
「それはどんな仲だい?」
さすがに苛立ちが募ってきたのか、地味に声のトーンが低くなるエルディスよりも、隣のラァラの方が実は怖いオーラを放っているのは……気づかないことにした。
「教えてあげない」
うっすら微笑んで答えてやると、さすがに向こうも苛ついてきたのか、偽笑顔が崩れた。
「とにかく、君は出て行け」
やはり素顔は冷たくで残酷なんだな。
なんとなく満足したので、ロッシェは一つ瞬きし、諦めたような顔を作ってみせた。
エルディスには脅しに屈したように思われたかもしれないが、別にかまわない。
「かしこまりましたよ。で、どこへ行けと?」
笑みを消したままのエルディスに、視線で部屋を出るように促される。
さっさと終わらせてしまいたい。そんな心理なのかもしれなかった。
「隣の部屋でいいだろう?」
「壁越しの逢瀬とか、まさに扇情的なシチュエーションじゃないか」
もっと引き離されるかと思っていたので、少し安心した。ついでに、また余計な一言をつい口から出してしまったが。
案の定、先立って歩こうとしていたエルディスは振り返り、凄みのある声で言い放つ。
「早く来い。君は面倒くさいな」
ざまを見ろ。これであんたも、僕の気持ちが解っただろう。
思考を脱線させながら、ロッシェは口もとに笑みを貼り付けたまま、目を伏せる。
「ああ、よく言われるね」
七日間の付き添いに、慣れない転移魔法での移動。
いざ乗り込んでみれば予想以上に最悪の状況だし、肝心のリトは心臓発作だ。
なんとか致命的な状態は脱したものの、予断を許す容態でもない。
エルディスに強いられて鍵付きの部屋に閉じ込められると、ロッシェはすぐに行動を起こした。
鍵を検分し、罠や仕掛けがなく魔法製でもないことを確認する。
武器は取り上げられてしまったが、エルディスは衣服や身体の検査までは考えつかなかったらしい。彼は貴族出身の
ロッシェはベルトの裏からピッキングツールを取り出し、鍵穴に差し込んだ。
ものの数秒でカチリと鍵が外れたのを確認すると、さらに強く押し込んで中のピンを破壊する。
これで鍵は、開きっぱなしのまま閉めることができなくなった。
次いで、ドアノブに糸を回して結びつけ、その先に鈴をぶら下げる。
エルディスが深夜に襲撃してくることはないだろうが、用心のためだ。
そのあと、上着と靴だけ脱いでベッドに潜り込む。
期待はしていなかったが、食事を出してもらえそうな様子はない。
明日のために早く寝てしまった方が得策だろう。
万が一の時にすぐに動けるよう着衣はそのままで、布団を被り目を閉じる。
さすがに疲労がたまっていたのか、空腹感よりも眠気のほうが強かった。
異変が起きればいつでも起きられるように神経だけは研ぎ澄ましつつ、ロッシェは意識を闇へと沈ませたのだった。
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