第5節 青き守護獣、緋色の魔法使いに会う

 眠れなかったわけではないが、リトは朝から憂鬱な気分に陥っていた。


 ただでさえ深夜に起こされたのと病み上がりのせいで身体が怠いのに。

 なぜ自分の父は、朝一番に顔を出しに来るのだろうか。


「おや、お客さんかい?」


 相変わらずのにこにこ笑顔。

 警戒しないはずもなく、リトは思わず手を強く握りしめる。


 ただ、自分のそばに風の中位精霊——天狼がいるという事実が、いくらかリトの心を安心させる。

 すぐ隣に若い青年の姿で佇んでいたかれは長い尻尾を振りながら、にこやかにエルディスに微笑みかけた。


「朝早くからお勤めご苦労様だね。私は風の天狼だよ」


 リトの父はただの一介の魔術師ではなく、熟練の精霊使いエレメンタルマスターだ。

 間近で天狼を見てなにかを悟ったらしい。橙色の瞳をすっと細めてかれを一瞥した後、リトへ視線を移す。


「なぜここに精霊がいるんだい?」


 その疑問はもっともだろう。

 リト自身だって、突然の稀少精霊の登場に最初は驚いたものだ。


 しかしエルディスの問いかけに答えたのは天狼本人だった。


「私は遣わされたのだよ」

「誰に遣わされたんだい?」

「君は心当たりがあるだろう。君が、私を呼び起こしたのだからね」


 かれはラディアスに遣わされたと言っていた。

 それなら、天狼とラディアスは親しい関係にあるということか。

 精霊魔法の使い手でもある彼は精霊との相性がいいし、もしかするとこの天狼に気にいられたのかもしれない。


 それは解るの、だが。


 エルディスが天狼を呼び起こしたというのは、どういうことなのだろうか。


「何を言っているのか、私には解らないよ」

「それは驚きだね。君は彼を『にえ』として差し出したのではなかったのかい?」

にえ?」


 にえという言い方は言い得て妙だ。だが納得もする。

 天狼はカルスタ砂漠にラディアスを置き去りにした件について言及しているのだろう。


 ということは、かれの棲家はカルスタ砂漠の近くだったのかもしれない。


「あれほどに精霊力の強い場所に、魔法素質に長けた者を縛り付けていったから、てっきり私は、私へ捧げられた供物なのだろうと思い込んでしまったよ。違ったのかな」


 さすがのエルディスにも天狼が言わんとしていることが解ってきたらしい。

 不機嫌そうに瞳をすがめたまま、腕を組んだ。


「ふぅん。彼は生きているのか」

「生きているね。私が拾ったからね」


 ブンブンと長い紺青の尻尾を振りながら、嬉しそうに天狼が答える。それにエルディスは嘲笑しながら、ぽつりと言った。


「それは運が良いことだ」

「運? むしろ必然だろう。まぁ、どちらにしても、誤解なのなら意味のない話ではあるけどね」


 エルディスは天狼に贈るつもりで、ラディアスを砂漠に置き去りにしたわけではない。殺すつもりだったのは明らかだ。

 精霊なら心も読めるわけだし、たぶん誤解だとかれも解ったのだろう。

 それ以上、天狼は口を開かなかった。


「あれからラァラをどうした?」


 今、一番気にかかっているのはラァラの安否だった。

 睨み付けて問えば、エルディスはにこりと微笑む。


「ちゃんと部屋にいるよ。それより、身体の調子はいいのかい?」


 どの面下げて身体の心配をしてるんだ、この父親は。

 口から出かかった言葉を飲み込み、眉間に皺を寄せたまま言い返す。


「お前には関係ない」

「父親に向かってそんな言い方はないだろう? やはり、更正が必要だね」


 満面の笑顔になった父を見て、リトは背筋が凍った。


 今までの経験上、そして取り戻した記憶から、エルディスがこういう笑い方をする時はロクな目に遭ったことがない。


 ドクン、と心臓が波打つ。

 一気に距離を詰められて、反応が遅れた。強い力で手首をつかまれた。

 すぐに振り払えない。


 間を置かず、エルディスの口から魔法語ルーンが唱えられる。

 

 その羅列には覚えがある。忘れもしない、【忘却フォーゲットセルフ】だ。


 思わず目を瞑る。

 いやだ、もう忘れたくない。二度と呪いにかからないよう気をつけていたのに——!


(……あれ?)


 覚悟していた魔力による干渉をちっとも感じられず、リトは違和感を感じた。

 おそるおそる目を開ける。


 正面には目を見開き、驚きを隠せずにいる自分の父と。

 そして、隣には相変わらず機嫌良さげに尻尾を振って微笑む天狼だった。


 視線を風精霊へと移し、エルディスはきつく睨みつける。


「何かしたのかね?」


 なにか、してたっけ。

 戸惑いがちに天狼を見上げれば、かれは笑みを崩さないままだ。何を考えているのかつかめなかった。


「私の質問に答えてくれれば、私もその問いに答えてあげようかな」 

「ああ、構わないよ」


 精霊なのに、エルディス相手に駆け引きを始めた。

 父も目を丸くしていたが、もう気にしないことにしたのか頷いて答えている。

 動かしていた尻尾を止めて、天狼は首を傾げる。


「君はリト君をどうするつもりなんだい?」

「全部消し去って、初めからやり直すつもりだよ」


 まだ諦めていなかったのか。というよりも、色々あってうまくいかなかったから、もう一度記憶を封じようとしているのか。

 どちらにせよ、リトにとっては笑えない事実だ。


「成程ね。では、私も君の質問に答えようか。この空間には強い抗魔力が働いているようだ。だから、達成値を必要とする複雑な魔法が発動しにくくなっているのだね」


 強い抗魔力ってどういうことだろうか。そんなもの、魔法道具マジックツールを介さない限りは働かないだろうに。


「つまり、君は何もしていない、ということか?」

「ご名答だよ。私の得意分野は『破壊』と『解放』なのでね、抗魔力は管轄外さ。だから呪いはあきらめたまえ」


 ずっと隣にいたが、天狼は本当に何もしていなかった。

 いや、何もしようとしなかったのは抗魔力が働いていることに気付いていたから、なのかもしれないが。


 いずれにせよ、精霊はきまって嘘はつかない。いや、偽りを語ることはできないのだ。


 その事実を知っているであろうエルディスも、天狼にそれ以上は追及しなかった。

 代わりに深いため息を吐き、不機嫌極まりない顔でかれを睨みつける。


「……君は姿形は全く似ていないが私のよく知っている人物にそっくりで嫌気がさすよ」


 一体、誰のことを言っているのだろう。

 数百年も姿を眩ませていた父の交友関係など、リトは知るはずもない。

 共通点があるのは、ティスティルの王族や守護者であるカミル、自分の後見人くらいだろうか。


「そうなのかい? 是非今度その人物を紹介して欲しいね。私と気が合うように思えるな」

「断る。奴なんかこの目に入れたくもないからね」

「それは残念だ。……さて、そろそろあきらめてリト君を離してあげたらどうだい?」


 天狼に面と向かって言われたせいか、言い返せなかったらしい。物言いたげな顔でエルディスに見つめられる。

 精霊使いなだけに、精霊はある意味で苦手だったりするのだろうか。


 会話の流れにここでのっておかなければ、一生離してもらえないかもしれない。


 そう思い、リトは口を開く。


「離せ」


 語気を強くして言ったのが功を奏したのだろうか。意外にもあっさりエルディスは離してくれた。

 その様子を黙って見ていた天狼は、ふと思いついたように尋ねる。


「ところで、君ら人族は食事を摂るんだったかな?」

「そうだが、それがどうした?」


 なにを当たり前なことをと思ったが、かれは精霊だ。

 あまりにも話す言葉が流暢なので、時々忘れそうになるが。


「リト君と隣の彼と君と三人で、食事を摂ってきたらどうだい?」


 途端に背筋が凍った。


 突然なんてこと言い出すんだ。

 ロッシェも交えてだなんて、ややこしいことになるに決まってる。彼は彼で、エルディスに対しては好戦的になっているというのに。


「天狼、俺は三人なんて嫌だ」

「ふぅむ。でも、腹は減っているだろう?」

「幾ら空腹でもこいつと一緒に食事ができるわけないだろ」


 精霊って、心が読めるんじゃなかったっけ。

 いきなり突拍子もないことを言う天狼にリトはため息をつきたくなる。

 いや、むしろ表面的な心理を読めるからこそ、自分が空腹を感じていることに気づいたのかもしれないが。 


「確かに、君は相当彼を怖がっているようだしね。……だ、そうだよ? 何か食べさせてあげてはどうかな」


 実のところ怖いだけが理由ではないのだが、この際それ以上は何も言わないでおく。

 天狼の提案にエルディスはやや不満らしい。珍しく半眼になり、ため息まじりに言った。


「時間が経てば誰か持ってくるだろう」

「それなら、君は君の場所で食事をしてくるといいよ。腹が減っては戦もできぬ、と君ら人族は言うらしいしね」

「そうした方が良さそうだね。ただし、もし逃げ出すようなことがあれば、ラァラを使役しておまえの居場所を捜すよ」


 釘を刺され、リトは下唇を噛んだ。

 やはりラァラは人質らしい。取り戻したい気持ちは強いが、身体は本調子ではないしロッシェとも合流を果たしていない。

 今は我慢だ。


「逃げないよ。今の所はね」


 リトの心理を読み取ったのか、口角を上げて天狼が言い放った。

 なかなかに挑発的な態度に、思わずきょとんとする。


 完全に天狼のペースを不快に思ったのだろうか。


 眉間に皺を寄せ口を引き結んだまま、部屋を出て行ってしまった。

 笑っていないエルディスの顔を見たのは、この時が初めてだった。

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