第5節 迷子の夢魔はライヴァンの宰相に会う
リトアーユ=エル=ウィントン、という人物を知ったのは、今より4年ほど前だっただろうか。
以前から名前は知っていたものの、実際に会って知り合ったのはその時が初めてだ。
黒髪黒目、闇属性の
けれど、実際の印象は想像していたものとかなりギャップがあり、驚いたことを今でも覚えている。
それにしても、いくら
原因に心当たりは無くもないが、それにしても稀有な人物であることに変わりはないだろう。
加えて言うならば、フェトゥース国王の執務室に朝一番に乗り込んだのが書務官でも側近でも近衛兵でもなく、他国の
——と、国王に手を引かれて連れてこられた渦中の人物を眺めながら、ルウィーニは考える。
ひとまず自己紹介だろうか、この場合は。
「いらっしゃい、リト君。私はルウィーニ=フェールザン、きみの手を握っているのはここライヴァンの国王、フェトゥース=ロ=ラルヴァザートだよ」
フェトゥースはルウィーニの言葉にホッとしたように頬を緩め、リトの手を放して肩に添え、そっと押し出した。
「ルウィーニ、やっぱり貴方は彼を知っているんだね。彼はどうやらロッシェを頼って来たらしいんだが、追われているようなんだ。貴方に、任せてもいいかな?」
お人好しの国王陛下は見知らぬ闖入者を拘束することも衛兵に引き渡すこともせず、自ら手を取ってここまで連れてきてあげたようだ。
その優しさは微笑ましいと思うが、これからの彼を待ち受けているのは、臣下たちによるお小言の嵐だろう。
それを想像し、ついでにそれを聞き流す国王陛下をも想像して、ルウィーニは小さく苦笑する。
良くも悪くも最近はこの国王、腹違いの曲者兄貴に似てきたらしい。
「ああ、任されるよ。もしこの件で何か言ってくる者がいたら、すべては俺が把握しているから俺に問い合わせるようにと言っていいからね」
快い返答に国王は頷き、優しくぽんぽんとリトの肩を叩いた。
「そういえば僕は、君の名前を聞くのを忘れていたようだよ。リト君、ここは安全な場所で彼は信用できる人物だ。すぐにロッシェも来てくれるだろうし、何も心配はないよ」
「……うん。ありがとう、国王陛下」
リトの返事にフェトゥースはにっこりと人懐っこく微笑み、それからルウィーニを見る。
「それでは、宜しく頼むよルウィーニ。僕は執務に戻るから、何かあれば報せてくれ」
凡庸だ頼りないと陰口を叩かれながらも、なかなかの好人物に育ったようだと思い、ルウィーニは口元を和ませる。
リトが飛び込んだのが国王の執務室だったのは、きっと天の采配した幸運に違いない。
「彼を連れてきてくれてありがとう、フェト国王。感謝するよ」
フェトゥースはその言葉に嬉しそうに笑って、そして執務へと戻っていった。
そして、この現実はつまり、そういうことなのだろう。
「あぁ、とうとうやられちゃったのかい」
万感の思いを込めて呟けば、記憶をなくした
「何のことだ?」
保険が一度限りというのは、やっぱり助けにはならなかったらしい。
少しの後悔ち申し訳なさを感じつつ、ルウィーニは椅子から立ち上がってリトのそばまで近づいた。
「長くなるから後で説明するよ。きみは今、記憶がないんだね?」
「うん。主治医ていう人がそう言っていた」
主治医、ということは、最近彼の家に住み着くようになったティスティル王兄のラディアスだろう。
彼がずっとリトの父親を警戒していたと聞いてはいたものの、そこまで深刻に受け止めていなかった自分の甘さが悔やまれる。
彼は今、無事なのだろうか。
仮にも王族、現ティスティル女王の兄だ。
まさか手に掛けたりはしないと思うのだが。
「ディア君だね。その主治医君とは、どこで会ったのかな」
少なくても知れる範囲の情報を得ようと思い尋ねると、リトは目を瞬かせて答えた。
「エルディスの屋敷」
潜入したのか、それとも監禁されているのか。
一緒に来ていないということは、来れないということなのだろうか。
記憶のない彼にどのように聞けば知りたい情報を得られるだろうかと逡巡し、ルウィーニは質問を重ねる。
「そうか。……彼は、きみになにか持たせたりしたかい?」
「リボン」
幼い子どものように単語だけを答え、リトは袖をまくってルウィーニに見えるように腕を掲げて見せてくれた。
丁寧に巻き付けられ固く結ばれているリボンは色褪せている。
見覚えはないが、魔力を織り込んだ布であるということはなんとなく解った。
おそらく、そのリボンはラディアスは肌身離さず持っていたものだ。
この状況でリトに持たせた物だとすれば、探索魔法回避の何かの効果を持つ
であれば、ラディアスは一緒に来られなかったのではなく、リトの父親に行方を掴ませないため敢えてリトを一人で行かせたとも考えられるか。
「……ん。了解、ありがとう。それは絶対外さないで、大切に持っていなさい」
じっと自分を見上げてくるリトの頭に手を乗せ、ぐいぐいと撫でてやった。
彼は戸惑うように肩を竦めたものの、嫌がる様子はない。
素直な瞳が一度、瞬く。
「解った」
「よし、いい子だ」
にこりと笑ってみせ、ルウィーニはリトの袖を直してリボンを元のように隠してやった。
それから机へ戻り、紙とペンを取り出す。
「それじゃ、早急にロッシェを呼び寄せてあげるよ」
リトは頷くと、不安と期待が入り混じったのか身体を強張らせ、拳を強く握っていた。
それでもルウィーニをじっと見返し、口を開く。
「ありがとう」
元の彼にとっては悪友のような親友という間柄だとしても、記憶のない今のリトにとってロッシェは見知らぬ他人だ。
あの曲者とゼロ状態のこの青年が、果たして上手く会話ができるのか……正直なところ、一抹の不安が拭えない。
ここまで来たらもう、人事を尽くして天命を待つ他に、方法はないだろう。
数行の短い手紙を書いて折り畳んで指先でかざすと、一瞬のうちでそれが炎に包まれて消滅する。
精霊たちが手紙をあずかり、届けに行ってくれた証拠だ。
これで一作業。
それと確認しておきたいことは、もう一つ。
「ところできみは、記憶を取り戻したいと思っているかい?」
彼が記憶を封じられるに至った経過は、今の時点では知る術がない。
もしかしたら、思い出した途端にひどいショックを受けるような、辛い目に遭ってきたのかもしれない。
リトを知る周囲の人たちが記憶を取り戻して欲しいと望むのは当然であるものの、それが最善であるかどうかは、実際に思い出してみなければ解らないのだ。
問いかけられ、リトはしばし俯いてなにか考えているようだった。
ややあって顔を上げルウィーニを見返した黒い瞳は、不安を映して揺れている。
「うん。取り戻したい、と思ってる」
きっと、彼も怖いのだろう。
それでもそう願うということは、彼はここに至るまでの間に会ったであろう見知らぬ旧知に親しみを感じ、彼らとの関係を取り戻したいと思っているからに相違ない。
その望みと決意があるのなら、きっと自分が試そうとしている方法で、上手くゆく。
「解った。それじゃ、その準備をしておこう。ロッシェが来るまで、きみは俺の傍を離れちゃいけないよ」
「うん、解った」
手を差し出したら、リトは素直にルウィーニの手を取った。
その仕草は本当に幼い子どものようで、自身にも息子がいる立場としては妙な庇護者意識をかき立てられる。
自分以上に子ども好きなロッシェのことだ、この分ならきっと大丈夫だろう——と、思いながら、ルウィーニはリトを連れて部屋を後にしたのだった。
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