第4節 ライズと緋色の魔法使いの攻防

 実のところ、ライズにも理想的な親子関係というものがよく解らない。

 割と高名な貴族の長子として生まれて育てられたものの、両親や弟たちとソリが合わず、挙げ句の果てに勘当されてしまった自分は結構不幸な身の上だとは思う。


 ——が、そんな自分から見ても、この男はサイアクでサイテーな父親だ。


「君は私の息子を知らないかい?」


 どの面提げてソレを言うんだよ、と心の中で突っ込む。

 意味深に笑う眼前の壮年魔族ジェマを、ライズは負けじと睨みつけた。


「知ってたって、教えるわけないじゃないですか」

「そうか、君は知らないか。では、他の所員に聞いてみるとしよう」


 返答は想定内だったらしく、彼はあからさまにこちらの言い分をスルーして、開発部の研究室内をぐるりと見回した。

 注意深くライズもエルディスの視線を追う。


 壁際にはいつの間に取り出したのか鈍く光る大鎌デスサイズを構えるスティル、その隣で腕を組みつつ静観の態度を取っているレイゼルが見えて、内心慌てた。


「ちょッ……他の人たちは知りませんから、手出しするのはやめてください!」


 一見すると無口でクールなスティルだが、実は短気な彼を怒らせると血の雨が降るんだってことに気づいていないらしい。

 数日前も目を離した隙に、理不尽なクレームをつけてきた依頼人と言い争いの末に決闘を始めていて、場をおさめるのが大変だったのだ。

 リトと二人がかりでなければ、止められなかったかもしれない。


 自己中心的な性格と汚いやり口は腹立たしいけれど、一応彼はリトの父親だし、あまり荒事にはしたくないっていうのに。


「じゃあ、君は知っているということだね」


 脅しが効いたと思ったのだろう、エルディスは機嫌よさげに注意をこちらへ戻してきた。

 視界の端に見えるスティルの動向を気にしつつ、ライズは殊勝を装って上目遣いに彼を見上げる。


「……知ってますよ、オレがやりました。だから、他のみんなは知りません」


 知る知らぬの話なら、実の父親だとかいう彼よりも自分の方が遥かに、リトとは付き合いも絆も深い。

 記憶があろうとなかろうと、親友という立ち位置をそう簡単に手放す気なんてない。


「リトアーユをどこへやったんだ?」

「言えません」


 大柄な上態度もでかい彼は対面していると普通に威圧感があって、やっぱりこわい。


 それでも今は一人じゃないしだってあるから、媚びたり屈したりする気はなかった。

 じりじりと迫ってくるエルディスから距離を取るため、ライズ自身も少しずつ後退しながら、最奥の机と距離を測る。


 ——やばい。もうそろそろ、後がないかも。


 足の踵が机の脚に触れ、限界を察してライズは下がるのをやめた。

 壁と机と専門書の山に囲まれた狭い空間に追い込まれた彼に、エルディスは手を伸ばす。

 しかしライズが白衣のポケットから取り出し掲げた物を見て、ピタリと動きが止まる。


「これ以上近づいたら、昏倒してもらいます」


 これがあまり強くない自分が出せる、唯一の切り札だ。


 小さな月形の小瓶に入れられた液体は、【銀酒シルヴァリキュール】という名称の幻薬、つまり魔法薬だ。

 少量を薄めて麻酔や鎮静剤として使用するのが一般的な使い方だが、原液を揮発させれば強烈な麻痺薬になる。


 その薬は、ここ開発部内でも特に薬品や幻薬の開発を担当しているライズが、自衛のために自費で購入した物だ。

 精霊使いエレメンタルマスターとして彼はまだまだ未熟だし、身体もあまり強くはない。

 朝の一件からエルディスの来訪を予測したライズは、あらかじめ麻痺止めの抗薬を飲んでおき、【銀酒シルヴァリキュール】をポケットに忍ばせておいたのだ。


 リトの実父、つまり開発部研究所の前所長だったエルディスが、この幻薬について知らないはずがない。


 予想通り、さすがの彼もコレは怖いと感じたのだろう。

 数歩下がって距離を取り、それから改めて口を開いた。

 

「成程ね。もしかしたら他国、それもライヴァンへやったのかい?」


 その予測は正解だったが、ライズは肯定も否定もしなかった。

 行き先が解ったところで、どうせ追うことはできないだろうし。


「当たりみたいだね」


 向こうは、無言を図星と捉えたのだろう。

 こちらの反応をうかがうようにゆっくり笑うエルディスを、ライズは怒りを込めた瞳で睨みつけた。


 自分はもともとそれほど人の好き嫌いは激しくない方だけれど、この男は大キライだ。

 身勝手な旅の途中で行き倒れてくれれば、リトもラディアスも、辛い思いをしなくて済んだだろうに。


「……そう思うなら、行ってみたらいいじゃないですか」

「そうかい。では、私が自ら捜しに行くことにするよ」


 いっそのこと、城内ど真ん中にでも転移すればいい。

 そうして兵士に連行されて尋問されて牢に放り込まれてしまえ、と心中で呪いを吐いたライズだが、ソレがそっくりそのままリトにもあり得る状況だと気がついて、ぞっとする。

 嫌な想像だが、おかげで少々頭が冷えた。


 ——と同時に、ずっと気がかりだったことが頭をもたげる。


 立ち去ろうとするエルディスの後ろ姿に、ライズは思い切って声をかけた。


「すみません、一つ聞いてもいいですか?」


 彼は案外あっさりと足を止め、振り返って首を傾げる。


「なんだい、教えてくれる気になったかい?」


 その話はもう終わったし、と毒づきたいのを寸前で飲み込み、ライズは努めて平静に質問を切り出した。


「ディア様をどうするつもりなんですか?」


 一人でさまようリトを見つけた時に感じたのは、最大級の悪い予感だ。

 記憶のない彼にライヴァンへ向かうよう促したのは、十中八九ラディアスだろうし。

 けれどリトが記憶を封じられているということは、彼もまたこの男に囚われている可能性が高い。


 正直なところ答えを貰えるとは期待できないが、今を逃すと聞く機会がない。

 が、エルディスの答えもまた、意外にあっさりしたものだった。


「何もするつもりはないよ。彼がいなくなったら、息子は私の元に帰ってこないだろう?」

「……そうですか。それなら、ちょっと安心しました」


 本気の安堵を込めて、ライズは息を吐き出す。


 やはり彼は、エルディスの手の内にあるのだ。

 そしてエルディス自身にとって、ラディアスは息子を連れ戻すための手段なのだろう。


 現状は望ましくないとはいえ、とにもかくにも無事で良かった。


「他に聞きたいことはないのかい?」


 黙り込んだライズを促すつもりなのか、さらに意外な台詞が飛び出した。

 何なんだこの人、と思いながらも特に思い付かず、さっきの嫌な想像を口にしてみる。


「国交問題になるようなことはしないでくださいね」

「どうかな、約束は出来ないね」


 愉しげに笑って返ってきた答えに、もう怒りを通り越して呆れるしかない。

 ライヴァンという人間の国家相手に、独り相撲でも取るつもりなんだろうか、この人は。


 その思考が本気で理解できなくて、ライズは小さくため息をついた。


 もう、話していると気が変になってしまいそうだ。


「私は行くとするよ」


 返答がないライズに興味をなくしたのか、エルディスはきびすを返して歩き出す。


「……どうぞ、ご勝手に」


 吐き捨てるように言いはしたものの、先ほどから女王陛下の微笑みが頭の中でちらついて離れない。

 迫り上がってきた猛烈な罪悪感に抗えず、彼の姿が室内から消えたのを確認してから、ライズはたまらず壁に手をついた。


「ライヴァンの皆さん、申し訳ありませんが、よろしくお願いしますっ」


 無機物の壁相手に懇願したって届くわけがない。そんなの分かっているけれど。


 これで先方を巻き込んだ挙げ句、刃傷沙汰とか流血沙汰とかサイアク国交問題にまで発展したら、実家を追い出されて一市民に過ぎない自分の首程度では当然済まされない。


 ——オレに力がなくて、自己解決できなくて、申し訳ありません。

 本当はもうこれ以上誰も巻き込みたくないけれど、どうかリトを助けてやってください。お礼は、できることなら何だってしますから。


 縋る気持ちで壁に額を押し付けながら、ライズはただひたすたに、リトとラディアスの幸運を祈り続けた。

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