最終章 過去は振り返らず、前を向いて
第1節 主治医の転院とこれからのこと
リトは困っていた。
場所は部下であり、友人でもあるライズの自宅。
一時的に借りている客間の一室で、ある意味修羅場を目の前にし、頭を抱えたい状況に置かれていた。
「絶対やだ! 病院なんか行かないー!」
「そんなこと言ったって、ここでは治せないって言ってるじゃないですか! ちょっとやそっとの怪我じゃないんですからね!?」
ベッドに寝かされているラディアスがそばで仁王立ちしているライズと激しく言い合っている。
ラディアスに至ってはほんの数時間前まで声も出せなかったというのに、元気なものだ。
とはいえ、状況はかなり深刻だ。
「ディア様、いいですか? 臓器が火傷だらけなんですよ。おまけに栄養も足りてない状態です。問答無用で入院案件ですし、しばらくは絶対安静です! 一番心配なのが体内の精霊バランスが偏りまくってるということです。このまま放っておくと、最悪身体のどこかが機能しなくなるかもしれないんですよ!?」
矢継ぎ早とまくし立てているが、相変わらずというべきか、ライズの言葉は正論だった。
医者ではないものの、
持ちうるすべての手段を考えても、解決の手立てが見つからない。
「ねえ、リト。精霊バランスって何?」
くいっと袖を引っ張られたと思えば、いつの間に近くにいたのか、隣でラァラがリトの顔を見上げていた。
上目遣いの濃い藍色の瞳に見つめられ、自然と胸が高鳴る。
リトのもとへと逃れるためエルディスの返り血を浴びていた彼女だが、浴室を借りてきれいに洗い流したので、今ではすっかりシミひとつないワンピースに着替えている。
膝のあたりまである長さのラベンダー色のワンピースに、白いレースのカーディガン。
ライズの恋人、ティオが貸してくれたものだ。
あどけない表情が可愛くて、つい緩みそうな気持ちになるのを咳払いで誤魔化しつつ、リトは尋ねる。
「ラァラは精霊達が俺達の生活に貢献してくれていることは知っているか?」
「うん、授業で習った」
素直にこくりと頷く翼の少女を見つめ、リトは手のひらを自分の胸にあてる。
「俺達人族の身体は、精霊達の働きで維持されているんだ。だけど何らかの原因で、その精霊達のバランスが崩れてしまうと機能しなくなってしまうことがある。たとえば、発熱は炎精霊に偏りが出ている表れだし、手足の麻痺は精霊達の流れが滞っている証拠だ」
「それって、このままラトを放っておくと歩けなくなるかもしれないってこと?」
「……そうなるな。だから俺もライズも、入院できる大きな病院に連れて行きたいんだけど」
ちら、と目を向けると、布団に包まれたラディアスが顔だけ出して、ブンブンと首を横に振っていた。
まるで駄々をこねる子どもにような姿を見て、ラァラはひとつため息をつく。
「あー、もう。ディア様頑固すぎる……。どうしよう、リト」
説得に疲れたのか、ライズはベッドサイドに置いてある椅子に腰をかけたまま項垂れた。
無理もない。どれだけ言葉を尽くしても、ラディアスは頑なに首を縦に振らないのだ。
三人が途方に暮れていたその時、突然ドアをノックする男が聞こえた。
「あのー、ライズさん。お客様来てますけど」
「お客さん?」
ドアの隙間から遠慮がちに顔を出したのは、ティオだった。
ライズだけでなく全員が注目を向けると、キィと音を立てて扉が大きく開いた。
「やあ、調子はどうかな。様子を見に来てあげたよ」
入ってきたのは長身の男。
「ロッシェ! ライヴァンに帰ったんじゃなかったのか?」
「ちゃんと帰ったよ? ルウィーニに報告も済ませてきたし。だけどやっぱり君たちが心配だからさ」
腕を組み、ロッシェは柔らかく笑う。
隣国の国民である彼をこれ以上巻き込むのは申し訳なく思うリトだが、こうして姿を見ると安心してしまう。
付き合いの長い、とても頼りになるリトの数少ない友人なのだ。
「でもロッシェさん、
もっともな疑問を投げかけたのはライズだ。
「ティスティルにも伝手があってね。知り合いに頼んで、魔法で移動してきたのさ。それよりなにか深刻そうな雰囲気だったみたいだけど、どうかしたのかい?」
「それが……、この通りラトが重傷だから大きな病院に連れて行きたいんだけど、嫌だの一点張りでさ。どうしたものかと困っていたところだったんだ」
「あー、なるほどね。王都の医師に見せるとさすがにディア君が王兄だってバレちゃうもんねえ」
ラディアスが駄々をこねる理由をすぐ的確に当てるあたり、さすがだと思う。察しがいい。
そうなのだ。この主治医、実は絶賛家出中で、身内に連れ戻されたくないために、重傷化した今の状態でも駄々をこねているのだった。
顎に手を添えてロッシェも考えているようだったが、ふと顔を上げ、「だったらさ」と言葉を紡ぎ始める。
「彼の気持ちを汲むためにも、ライヴァンに来たらいいんじゃないかな。腕のいい医者なら、僕の知り合いにもいるし」
たしかに、他国にまでラディアスの手配書は出回っていない。
けれど、だからと言って、リトは素直に頷くことができなかった。
「いや、それはさすがに迷惑をかけすぎだろう」
「そうですよ! ただでさえ巻き込みまくってるのに、ディア様をあずけるのはオレも賛成できません。ディア様は王族ですし、下手したら国際問題になりかねないですよ」
「じゃあ、どうするつもりなんだい?」
案を出しては打ち消してだと堂々巡りだ。いつまで経っても方針が決まらない。ただでさえ、時間も惜しいというのに。
渦中の人物は布団にまあるく包まったまま、出てくる気配がない。
すでに隣国のライヴァン帝国には大きな借りがある。
逃亡先で匿ってくれ、手間をかけて自身にかけられていた呪いを解いてくれたのだ。
いくらティスティルと国交がある国だとしても、これ以上は甘えられない。
だとしたら、取れる手段は一つだけだ。
「ティスティル王宮に行こうと思う」
目を丸くして、ライズがリトを見た。
さすがのラディアスもガバリと布団から顔を出す。
「ちょっ、リト本気かよ!?」
「ああ、俺は本気だ。そもそも自国のことは自国で解決するのが筋というものだろ。今回の件でライヴァンには十分すぎるくらいの厚意を受けているわけだしな」
「うーん、たしかに。そういうことなら、オレもリトの意見には賛成かも」
ライズが腕を組んで強く頷くと、さすがに焦ったのかラディアスが悲鳴のような声をあげた。
「リトっ、なんで病院飛び越えて王宮なんだよ!?」
「どのみち診察を受けたら通報されるだろ。それなら最初から王宮に頼る方がいいと思ったんだ」
ベッドに近づいて、リトはしゃがみ込みベッドの上にいるラディアスと視線を合わせる。
彼は不安そうに目に涙を浮かべていて、今にも泣きそうだった。なぜ、そうしてまで王宮に帰りたくないのか。
ラディアスの家族はきっと、常に彼の安否を気遣っていることと思う。手配書が国中に行き渡っているのがその証拠だ。
女王陛下は侮れないところはあるが基本的に優しい性質だし、家族を大切にしている。
息子を平気な顔で呪いにかける父や、いつの間にか姿をくらませていた母をもつリトにとって、ラディアスの家族はとてもいい人たちに思えるのだ。
だからと言って、自分よりも家庭環境がいいと断ずることができない。
家出どころか国を出奔までしているのは、ラディアスをそうまでさせるなにかが起こったからだ。
ティスティル帝国の守護者はカミルだし、おそらく彼も無関係ではないだろう。
だからと言って、このままラディアスを甘えさせてばかりいれば、彼は一歩も前に進めないと思うのだ。
「ラト、女王陛下——黒曜姫に会おう。会って、きちんと話をしよう」
ラディアスの顔をまっすぐに見る。彼の青灰色の瞳には、真剣な顔をしたリトが映っている。
彼は文字通り命がけで、自分をエルディスから逃がしてくれた。ラディアスのおかげで、今リトは記憶が完全な状態でいられるのだ。
その恩に報いるには、やっぱり彼にとっての最善の道へ導いてやるのが一番だと、リトは思っている。
「むり。無理無理無理、絶対無理っ!」
再びガバリと布団の中に潜るラディアス。
まあ、解ってはいた。はいそうですか、とすぐに頷くはずがない。
帰れるものなら、とっくの昔に帰っているだろうし。
「ライズ、至急女王陛下と謁見はできるか?」
「ディア様の名前を出したら、すぐにしてもらえると思うよ。姫様、本当に必死でディア様のこと探してるもん」
ということは、いきなり王宮の受付に駆け込んでも大丈夫だろう。
問題は、どうやってラディアスを連れて行くか、だが——、
「埒があかないし、もう力づくで連れて行ったらどうだい?」
わざとらしく肩をすくめて、ロッシェが言った。
真夜中色の目を半眼にし、リトは彼を軽く睨み付ける。
「誰が運ぶと思ってるんだ」
身体があまり丈夫でないライズには、大の男を抱えるなんて無理だろう。
ということは、暴れるラディアスを運ぶことができるのはリトだけ、ということになる。
剣を扱えるから多少の腕力はあるが、それでも剣士には及ばない。そんなに期待しないで欲しいのが本音だ。
「仕方ないな。僕が手伝ってあげるよ」
「えっ、ロッシェさんも一緒に王宮に来るんですか?」
再び妙な流れになっている気がしなくもない。
同じように感じたのか、ライズは神妙な顔でロッシェに質問を投げかける。
彼は首肯し、もともと細い紺碧色の瞳をすっと細めて楽しそうな顔で微笑んだ。
「黒曜姫とは個人的に知り合いだからね。僕も感動的な再会の場面に立ち合わせてもらおうかな」
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