第5節 再会
びゅうびゅうと風の音が耳につく。
天狼のねぐらは砂漠地帯の近くにある高い岩山の洞窟だった。
中は薄暗かったが、目が慣れてくるとあまり不便を感じない。
慎重に奥へ入ってから、リトとラァラははっとした。
何枚も重ねられた毛布の上に無数の羽毛が敷かれている。たぶん天狼の羽根だろう。
その上に薄い上掛けをかぶっているのは、ぐったりと眠るラディアスだった。
「ラト?」
顔色は思ったより悪くない。
こうして実際に会うのは、ずいぶん久しぶりだ。
ラァラが覗き込むと、閉じていた
完全に覚醒していないのかラディアスはぼうっと周りを見回していたが、二人を見るとへらりと笑った。
どうやら自分達のことが分かったみたい。
「ラト、解るか?」
ラァラの向かい側に座り込み、なるべく穏やかな声音で尋ねてみる。
こくりと頷くと、ラディアスは手を伸ばしてきた。安心してもらいたくてすぐにぎゅっと握ってやる。
するとどこにそんな力が残っていたのか、腕を引っ張られて抱きしめられる。器用にラァラも同じように抱きしめているのを見て、胸が痛んだ。
そっと、指先で彼の鎖骨に触れ、リトは
月の精霊たちがリトの願いに呼応し、白い粒子がラディアスの身体を包み込んだ。魔法は無事発動したらしい。
「……ありがと、リト、ラァラ」
久方ぶりに聞く声は掠れていた。
注意していないと聞き取りにくいけれど、ちゃんと話せるようになったらしい。癒し魔法が効いた証拠だ。
呼吸はまだ浅く弱い。どちらにせよ、医者に診せる必要があるだろう。
「おや、喋れるようになったね。君は魔法の天才かな」
後から追いかけてきた天狼が長い尻尾を振って、機嫌が良さそうに笑った。
手狭な洞窟内では不便と思ったのか、今は人の姿を取っているようだ。
精霊だからなのかもしれないが、かれの褒め言葉はいちいち大袈裟すぎるような気がする。
リトは苦笑しながら一度ラディアスから離れ、振り返った。
「普通に治癒魔法を掛けただけだが」
「リト、魔法のエキスパートだもん」
不意打ちだった。
思わず顔が熱くなって、視線を落とす。
天狼はともかく、ラァラに直球で褒められると照れる。いや、彼女はいつも遠回しな言い方なんてしないのだけど。
「ふむふむ、素晴しい。良かったな、ラディアス」
読心できるかれのことだ、今考えていることは天狼には伝わっているのだろう。
だからと言って余計な口を挟む気はないらしい。
にこにこと横たわっているラディアスを覗き込んでいる。
「……ん、ありがと。あのさ、約束どおりに、名前」
はた、と動きを止め、天狼は
「もう考えてくれたのかい?」
「ヴァーハス、て、……どう?」
緩慢な動きで青灰色の瞳が天狼を見る。
不安げな表情をするラディアスに対し、かれはくすりと笑った。
「それは随分と凶悪な名前だね。面白いよ、ありがとう」
そういい終えると同時に、天狼の身体が青く発光する。
まるで快晴の空を思わせる青い光だった。
光は次第に溶けていき、周りも薄暗い洞窟に戻っていく。
この現象を、リトは知っている。
精霊に名前を与えた時に起きる現象だ。
研究者は大抵これを、精霊との契約を交わすと表現する。
普通、精霊は生まれた時から名前を持たない。
しかし人の側からかれらに名前を与え、その名を精霊が受け入れた瞬間、かれらは力を増し存在力が強化されるのだという。さらに、名前を与えた人と精霊は魂レベルの強い絆を得るのだ。
そしてその結びつきは一生涯続く。
ラディアスは当然精霊使いだから、精霊との契約のことは知っているはずだ。
彼は天狼と契約してもいいと思ったのだろうか。
いや、違う。一人休んでいる間に契約をする覚悟を決めていたのかもしれない。
「愛称で、ヴァースとか……ありかな?」
「それは好きに呼んでくれたまえ。ふふん、愛称とかまるで人族のようだね」
「ん」
名前をもらって天狼——ヴァースは嬉しそうだった。パタパタと尻尾を揺らし続けている。
この調子なら、案外名前をもらうことはかれ本人が望んだのかもしれないな、とリトは思う。
「ラト、身体痛むの? 大丈夫?」
「……んぅー、俺もう、ダメみたい」
「ひとまず場所を移すか。ちゃんとしたベッドで寝かせた方がいいだろ」
そう言ったものの、リトはどうしたものかと考えあぐねていた。
自分の自宅——ウィントン家の別宅に、と言いたいところだが、すでに炭と灰に成り果ててしまっているのだ。
「確かにね。ここには何もないからね。行く先があるのなら、私が運んであげるよ?」
天狼の申し出は有り難いが、まずは行き先を決めなければならない。
腕を組み、リトは眉を寄せる。
「……俺の別宅は、なくなったしな」
ぽつりと呟けば、ラァラが目を丸くして声を荒げた。
「えぇっ、無くなっちゃったの?」
「あいつが燃やしたから、もう何もないんだ」
「大事なモノもたくさん、あったのに」
薄藍色の翼を折り畳み、ラァラは肩を落とす。
落ち込み始める彼女がますます小さくなったように見え、リトは申し訳なく思ってしまう。別に自分は悪くないのだけど。
そんな中、横たわったままラディアスは力なく微笑んだ。
「ん、俺、ここでいい」
医者のくせに何を言っているのだろう。
仕事モードなら、衛生面がどうとか絶対気にするくせに。面倒くさくなって思考放棄でも始めたか。
「良くない。あいつには悪いが、ライズの所に行くか」
王宮を頼れない以上、駆け込むことができるのはライズの家だけだ。
さすがに隣国のライヴァンに負担をかけるわけにもいかない。
「巻き込むから、ダメ」
「もう巻き込んでる。あいつが俺をライヴァンに送ってくれたんだ」
「……んー、もうだめ」
「ラトってば、思考放棄したし」
ため息混じりにラァラが肩をすくめる。
続けて彼女に視線を向けられ、リトもため息をついた。
しかしラディアスが考えるのをやめたのなら、もう無理にでも行くしかない。
「ヴァース、頼めるか?」
「無論、頼まれてあげるとも。だが、ラディアスは私の背には乗れないね。どうするかね?」
「それなら俺が【
横たわっているラディアスのそばにしゃがみ込み、彼の背中に腕を差し入れて、リトはゆっくりと起こしてやった。
ラディアスの腕を自分の肩に回し、身体を支えてやっていると、ヴァースは顔を綻ばせながら言った。
「成程、いい考えだね。では私は彼女を乗せて、君たちの後からその家に向かおう」
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