第5節 天狼はヒトの食事について考える

 エルディスが出て行った後、リトはホッとひと息をつく。

 ふと隣の天狼は、手のひらに拳をポンとのせた後、思い出したように言った。


「そうそう、人族は食事を摂るんだったね。すっかり忘れていたよ。君が食べている間、私はちょっと出かけて来るよ」

「え、ちょっと待て。ラトに何も食べさせていないのか?」


 保護を受けてはいるものの、だいぶ時間は経っている。

 一週間砂漠に放置されたわけではないのかもしれないが、この口ぶりだとその間ずっと食事も摂っていないのではないのか。


「仕方なかろう、私は人族ではないのだし」


 当たり前のことを言われて、リトはなにも言い返せなかった。

 精霊は親切だが、人の生活に関しては疎いところがある。それは人のように言葉を流暢に話す天狼も同じだ。かれがほとんど人が近寄らないカルスタ砂漠の近くに棲んでいたのなら、なおさらなのかもしれない。


「病人食は作れるのか?」

「うーん、それは街で買える物かね?」

「この辺りでは売っていないと思う」


 予想通りの答えが返ってきて、リトは肩を落とす。


 さて、どうしようか。

 自分はすぐに館から出て行くことはできないが、ラディアスには栄養のあるものを食べさせてやりたい。

 ここはウィントン家の本邸でリト自身もどこに何があるかは分かっている。しかし自宅とは違い、厨房には人がいる。

 勝手な行動に出たら、またエルディスが姿を見せに来るかも。


 不安要素がぐるぐると頭の中でめぐり、目眩がする。

 一人でうんうん唸っていたら、不意に扉が開いた。


「随分と仲が良さげだね」

「ロッシェ」


 顔を上げると、部屋に入ってくる友人が見えた。

 勝手知ったるなんとやらで、彼は他人の家でも堂々としている。

 ここは自分の家なのだし、自分も少しは彼に見習ってもいいのかもしれない。


 予想外にも、ロッシェはなぜか機嫌が良さそうだった。

 穏やかに微笑みながら、天狼へと目を向ける。


「初めまして、僕はロッシェ=メルヴェ=レジオーラという」

「仲良しの空間へようこそ。私は通りすがりの天狼だよ」


 にこりと笑って、長い尻尾を振りながら天狼が応じる。

 彼はラディアスに遣わされたと言っていたが、妙に人懐っこい。


 首肯してから、ロッシェは口を開く。 


「ああ、聞いていたよ。ディア君を助けてくれて有り難う」

「私は差し出された物をもらっただけだよ。だが、食べさせる物がないと命に関わるのだったね、人族は」

「食べ物はともかく、水は少しずつでも飲ませてやってくれないかな。君は水は苦手だろうけど」

「ああ、そうだったね。それも忘れていたよ」


 だんだん事態は深刻な気がしてきた。

 風精霊はきまって水が苦手だ。砂漠にオアシスはあるものの、そこまで天狼が移動するのも大変だろうし。風の民翼族ザナリールが使える魔法にも【瞬間移動テレポート】に似たものがあるから、一瞬で移動できなくはないのだろうが。


 ふとロッシェを見ると、彼も似たようなことを考えていたのか苦笑していた。


 身体が弱っている、というよりもラディアスの場合は衰弱に近いのかもしれない。

 そういう場合に適する人族の食事を、天狼は知るはずもないだろう、が。

 念のため、リトは聞いてみることにした。


「天狼、何を食べさせるつもりなんだ?」

「君らの食事を幾らか貰って帰ろうと思っていたんだがね。駄目かい?」


 ほぼ予測していた通りの答えが返ってきた。

 少し考えてから、リトは天狼を見て言った。


「身体が弱っている状態では無理に決まっている」

「そうなのかい。面倒だね、困ったね、どうしたらいいかな?」

「一番簡単な方法は俺が直接作ることだが、この部屋では無理だな」


 厨房になら、大きい氷室もあるし色々揃っているだろうが。

 問題はエルディスの息がかかった使用人達なのだ。おそらく、快く頷いてはくれないだろう。


「厨房まで行くかい?」


 事も無げにロッシェが言うので、リトはムッとして言い返す。


「俺の別宅じゃないんだから、厨房には人がいるだろ」

「全員昏倒させれば問題ないよね?」


 にこりと笑って、彼は首をかしげた。

 思わず絶句したリトの隣で、天狼が腕を組み楽しそうに笑う。


「中々の名案だ。だが、少々過激だね」


 ストレートな言葉に思わず吹き出しそうになる。


 だが、ロッシェの提案以外に厨房を使わせてもらう方法がないのも事実。

 一刻も早くラディアスには栄養を取ってもらいたいし、手段を選んでいる場合ではない、か……。


 頷いて、天狼とロッシェを見ながらリトは立ち上がる。


「それもそうだな。じゃ、行くか」

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