7章 いざ、敵の本拠地へ

第1節 失われた帰る場所

 後でルウィーニに聞くと、ロッシェの言葉通りリトは七日間の間眠っていて、目を覚ましたのは昼を過ぎた頃だったらしい。

 つまり、その間ずっとでないにしろ、ロッシェはほとんど睡眠や食事を摂らずに付き合ってくれたのだろう。

 改めて観察すると、彼の顔には疲労の色がうかがえた。リトはもういっそこの友人を置いて単独行動を取ろうかと思ってしまう。


 けれど、置いて行ったとしても後に待ち受けているであろうロッシェの行動を考えると頭の痛い話だし、そもそも国境を越えて彼を最初に巻き込んだのはリト自身だ。

 今さらついて来るななんて、言えるはずもなかった。


 気持ちは逸るものの、すぐに本邸の屋敷に乗り込むべきではないことは解っていた。


 ひとまずティスティルに戻った後、どう動くかを考えることにする。


 熟練した精霊魔法の使い手であるエルディスに対して、リトが唯一有利を取れるのは剣術だけだ。

 本職が魔術師ウィザードであるがリトは剣をそこそこ扱うことができるし、剣士であるロッシェについて来てもらうのはとても心強い。


 だが、常に帯剣している愛用の剣は本邸の屋敷に置いて来てしまった。今、手元には武器がない状態なのだ。


「——それで、直接敵地に乗り込むのかい?」


 遅い昼食を取った後、またもや思考の海に沈んでいたらロッシェが話しかけてきた。

 もう声は低くもなく不機嫌そうでもなかったし、普段通りの表情だ。


 現実に戻って来たリトは顔を上げ、彼の紺碧の目を見返してから口を開く。


「いや、一度別宅に戻ろうと思う。余分に購入しておいた剣があるはずだし」

了解ラジャー。事前準備は大切だからね」


 薄い笑みを浮かべる友人に、リトは首肯する。


「うん。【瞬間移動テレポート】で行こうと思ってるんだけど、おまえは大丈夫か?」


 魔族である自分は難なく使えるこの魔法、実は慣れない種族の人によっては酔うことがあるらしい。


「大丈夫だよ」

「じゃあ、早速だけど行くぞ」


 了承をもらったので、リトはロッシェの腕を掴む。

 誰かを連れて移動するためには、接触が必要不可欠な魔法なのだ。


 続けて魔法語ルーンを唱えると、すぐに世界が反転する。


 一瞬のうちにライヴァンの王城内から、ティスティルの帝都にある別宅前に移動する。

 いや、そのはずだった。







「……うそ、だろ」


 吹き抜ける風が頬を撫でた。

 鼻につくのは煙の匂い。


 目の前の光景に目を見開き、リトは言葉を失った。


 そこに建っていたであろう、住み慣れた別宅の屋敷は影も形もなかった。


 足もとに広がるのは、黒い炭と瓦礫だけ。

 それだけ見て、燃え落ちてしまったのだと悟ってしまった。


(あいつ、やりやがった)


 脳裏に、柔らかく微笑んだエルディスの顔が浮かぶ。


 父は炎魔法が得意な精霊使いエレメンタルマスターだ。

 屋敷を燃やすことなんて、容易いだろう。



 ——独りでいくらでも足掻いてみせるといいさ。



 夢の中で聞いた言葉が浮かんでは消え、垣間見た穏やかな笑みに潜むエルディスの酷薄さに身震いした。


 いつ館を燃やしたのかは分からないが、記憶を消して居場所まで奪うことによって孤立させるつもりだったのだろうか。


 なくなってしまったのは仕方がない。

 仕方はないの、だが……。


 館の中につまっていた数えきれないほどの思い出まで炭にされてしまったように感じ、リトはどうしようもない空虚に襲われた。


「僕が燃やしたんじゃないよ?」


 隣に立っていたロッシェが肩をすくめて言った。

 冗談混じりなのは彼なりの気遣いだろうか。


「解ってる」


 さて、どうしたものか。


 財布は持っているものの、そんなに持ち合わせはない。武器を買うのは難しいだろう。


 選択肢はいくつかあるが、限られている。

 どれも選び取るにはためらってしまうけれど、不測の事態だから仕方ない。

 もう巻き込んでしまっている友人の顔を思い浮かべ、リトはひとつため息を吐いた。


 くるりと、方向転換する。


「ここで突っ立っていても仕方ないから、次の場所に行く」

「どこに行くつもりなんだい?」


 振り返り、リトは眉を寄せた。

 行きたいような行きたくないような複雑な心境だったが、ロッシェにははっきりとした声で告げる。


「ライズの家だ」



 

 * * *




 また【瞬間移動テレポート】して、帝都からティスティルの港街にまで移動する。

 市場から外れた波音が聞こえる海の近くに、ライズの家はある。


 低木はきれいに剪定せんていされ、花壇には色とりどりの花が咲いている。

 手入れをしているのはティオだろうか。


 門扉を開けて、玄関のドアをノックしてから数秒後。


 出迎えてくれたのは、目を丸くしたライズだった。


「リト! おまえ、無事だったんだな!」


 扉を開け放し、腕を強く掴まれる。

 見上げてくる青灰色の目は大きく揺れていて、今にも泣き出しそうに見えた。


 彼に会ったら言おうと考えていたことがあったはずなのに、すべて頭の中から吹き飛んでしまう。

 気がつくと、自然と口に出していた。


「ライズ、心配かけて悪かった」


 謝るんじゃなく、本当は感謝を伝えたかったはずなのに。

 彼のおかげで自分は無事に戻ってくることができたのだから。


 そんな少しの後悔を抱えるリトの心境を、当然ライズは知るはずもない。


 気の抜けたように、彼はへらっと笑った。


「良かったぁ、ちゃんと思い出したんだな」

「まぁ、一応な。おまえも元気そうで良かった」 


 ライズのことは、実を言うと心配だった。


 記憶を取り戻してから、リト自身をライヴァンに直接送ったのが彼だったと気付いた時、エルディスが職場に乗り込んで彼に何かするのではないかと思ったのだ。


 記憶をたどる旅の途中、飛ばされたはずの父と関わった過去の断片を少しだけ見ることができた。

 エルディスという人物を知れば知るほど危険であると理解するようになり、彼の持つ嗜虐しぎゃくの精神性に心臓が冷えた。

 まったく、父親に虫唾むしずが走るだなんてどういうことなんだろう。


「玄関先じゃ目立つから、とりあえず中入れよ」


 周囲を見渡してから、ライズが言った。

 ここは帝都ではないとはいえ、エルディスがいつ嗅ぎつけるか分からない。


「うん」


 頷くと、家の中に招き入れてくれた。

 ロッシェがリトの後に続く。


 最後に様子をうかがっていたライズが扉を閉め、かちゃりと鍵をかけたのだった。

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