第8節 旅の終わり

 死刑宣告のような言葉が脳裏に焼き付いて、離れない。


 意識が覚醒して目が覚めた今でも、それは変わらなかった。

 ぐるぐると、あの言葉が頭の中でめぐっている。


 エルディスはあの後言葉通りに実行したのだ。


 まだ五年ほどしか生きていない魔族ジェマの子どもが、閉じ込められた室内でたった一人で生きていけるはずがない。

 何日も放置され、周囲の大人達に気付かれることもなく、リトは餓死寸前までに追い込まれたのだという話を後になって聞いた。


 他人事みたいに感じるのはなぜだろうと前々から思ってはいたが、その原因が後見人となったセリオに記憶を飛ばされていたからだという事実には驚きだった。


 でもそんなことよりも、エルディスの満面な笑みが頭から離れない。

 夢から醒めた今も、まだ恐怖で心臓が凍りそうだった。たぶん、身体も震えている。


 幸運にも当時のティスティル国王の目にとまったこともあり、自分は死という最悪の結果からは逃れられた。

 しかし、自分を殺そうとした父に対する恐怖心は、一生かかっても拭うことなんてできないだろう。


「……起きたかい」


 声をかけられてハッとする。

 一体いつからそこにいたのか、ベッドの近くにはロッシェがいた。

 椅子に座っているものの、さっきまで寝ていたのか緩慢な表情でリトを見ている。


 彼の顔をじっと見返し、確認するために口を開く。


「ロッシェ?」


 彼は服の裾で目を擦りながら、座っていた椅子から立ち上がった。

 そばまで近づいてきて、ロッシェはしゃがんでリトを見上げる。

 なんとなくリトの方も身体を起こして、彼を見つめた。


「お帰りなさい、ご主人様」


 じわ、と胸に熱いなにかがこみ上げてきて、泣きそうになった。


 自分はこうしてちゃんと生きていて、目が覚めるまで待ってくれていた友人がいるのだ。

 これだけは揺るぎのない真実で、自分は一人ではないのだと、リトは強い安堵感を覚えた。


「だから、その呼び方はやめろって」


 呆れ顔をわざと作って、以前よくやりとりしていたセリフを久しぶりに口にする。

 すると、ロッシェは満足したように笑った。


「気分はどうだい?」

「……おまえの顔を見たら安心した」


 本心から出た言葉だった。


 過去をたどる旅で最後に見た記憶は苦しかった。

 独りになるのが怖かっただけに、起き抜けに見た友人の顔にホッとしたのだ。


「それは、良かった」


 微笑んだまま返され、リトも口もとに笑みを浮かべる。


 改めて室内を見渡すと、窓にかかったカーテンは閉じられていて光を感じない。

 一体今は何時なのか。

 時計はかかってないし、カレンダーも置かれていないから日付が分からない。


「俺はどれくらい眠っていたんだ?」

「七日くらい、かな。僕も日付感覚が曖昧になってるから、ルウィーニの方が把握していると思うけどね」

「……そっか」


 約一週間ほど。

 かなり眠っていたとは考えていたものの、クレストルと共に旅をしていたのはそれほど長い間だったようだ。


 起きたばかりのせいか頭の中がぼんやりしていて、いつもみたいにはっきりしない。

 とにかく少し整理して、なくなっていた記憶と記憶を封じられていた頃に取り入れた記憶を照らし合わせなければ。


 ずぶずぶと再び思考の海に沈みかけていると、不意にロッシェが立ち上がる。


「さて、無事に戻ってきてくれて安心したから、僕はルウィーニを呼んでくるよ。起きがけに欲しいのは、コーヒーとホットミルク、どっちかな?」

「じゃあ、コーヒー」


 思いついたまま口にすると、彼はつった紺碧の細い目を向けて、顔を綻ばせる。


了解ラジャー。では暫しお待ちください、ご主人様」


 今度は何も言わないことにした。

 本人が楽しんで自分を主人あるじと呼びたいのであれは、もうそれでいい。


 機嫌良く笑うと、ロッシェはくるりときびすを返して部屋を出て行った。







 とりあえず、ほとんどの記憶は戻った。


 ただ、思い出そうとしても思い出せない記憶もある。

 それは後見人のセリオに飛ばされた、幼い頃共に過ごしたエルディスに関する記憶だ。


 彼がなぜ、まだ幼い少年だった自分の記憶操作をしたのか、分からないほどリトは子どもではない。


 セリオは血の繋がった家族ではないが、彼が自分に向ける愛情は本物だ。

 思春期の頃はよく彼に反抗したりしたのに、セリオはいつもリトを気遣ってくれた。

 息子のように接してくれた彼は自分のことを想って、記憶を飛ばしたのだろう。


 とにかく、今は思い出すべき記憶をきちんと思い出さなければいけない。


 そもそもなぜ自分は記憶を失っていたんだったか。


 ——そう考えた時、脳裏に映像が飛び込んでくる。


 夕暮れ時に踏み込んだ玄関ロビー。

 手に持っているのは愛用の片刃剣ファルシオン

 穏やかに微笑む壮年の魔術師と、階段の装飾柱に拘束された主治医のラディアス。


「……っ」

 

 思い出した途端、ぶるりと身体が震えた。

 新たに生まれた恐怖を抑え込むように、両手を強く握る。


 そう、そうだった。

 自分はエルディスに魔法で記憶を封じ込められていたのだ。


 あれから状況だどうなったのだろう。

 自宅にいなかったラァラは、やはり本邸にいるのだろうか。

 エルディスに捕われたままのラディアスは無事なのか。


 かちゃり、と扉が開く音が聞こえる。

 顔を上げると、笑みを浮かべたルウィーニがちょうど入ってくるところだった。


「無事に戻ってきたみたいだね。おかえり、リト君」


 部屋に入ると、ルウィーニは少し離れたところにある椅子をベッドの近くまで運んでくる。

 座ってから、彼は尋ねてきた。


「気分はどうだい? 全部、思い出したかな?」

「…………思い出した、と思う」


 夢で見たものがすべての記憶なら、そうなるのだろう。

 けれど、思い出したとあまり自信が持てないのは、ルウィーニが施してくれた儀式が不完全なものだったわけじゃない。

 セリオに飛ばされた記憶が戻ってきていないせいなのだ。


 でもそんな事情を彼が知るはずもない。

 これ以上心配かけるのも申し訳ないので、適当にこくりと頷いていたらいつの間に戻ってきていたのか、ロッシェに湯気の立つ陶器のカップを差し出された。

 中身を覗くとカフェオレだった。

 その後、ベッドサイドの棚にスコーンとドライフルーツがのった皿を置き、そのまま自分のカップ——たぶんカフェオレだろう——を持ったまま、彼は近くに立った。


 カップに口をつけるロッシェにつられたわけじゃなかったが、ひどい空腹感を覚えたのでリトもカフェオレを飲んだ。

 香ばしく甘い香りと共に、少しして胃にじわりと熱が広がる。


 食べ物はドライフルーツを選んでみた。

 少し噛んで飲み込んだ瞬間に広がる甘い味に、なんだか安心する。

 食べたのは二粒程度だったが、ほんの少し食べただけでも胃が満たされたように思えた。


「それは良かった。さて、これからどうするんだい?」

「俺は、ティスティルに戻る」


 リトの即答に、ルウィーニは良い顔をしなかった。


 彼の反応は当然だとリト自身も思う。

 それでもエルディスに戻らなければならないのだ。ラディアスとラァラの無事を確認しなくちゃいけない。


「でも君は戻った所で、敵わないだろう? 勝算があるのならともかく、闇雲に戻ってもまた記憶を封じられて、元の木阿弥だよ」


 言い返してきたのはロッシェだった。

 すぐに言葉が見つからなくて、リトは視線を落とす。


 彼の言葉は正論だ。

 もともと魔法の耐性に強い体質のエルディスにリトの闇魔法は効かない。

 有効なのは剣だが、愛用の剣は本邸に置いてきてしまった。それに物理で戦おうにもラディアスやラァラが人質に取られたままで、果たして十分に戦えるのだろうか。


 生来の剣士ならともかく、リトは魔術師だ。難しいだろう。

 高位の精霊魔法の使い手を相手に何の対策も立てず、敵地に乗り込むなど無謀すぎる。


 そんなことは分かってる。


「それでも、ラトとラァラを置いてきてしまったんだ」


 嫌な予感が拭えない。

 ラディアスは自分を屋敷から出してくれた。あの後、彼がどうしているのか気にかかって仕方ないのだ。


「……正直な所、君がここへ無事に辿りついた時点でディア君は、殺されている可能性が高い。その事は、理解できているかい?」


 ひどく冷静なロッシェの言葉に、リトはついに何も言えなくなってしまった。


 思い出した記憶をめぐらせる。


 自分を主治医だと言ったラディアスは、外へ出られるよう背中を押してくれた。

 きっと、エルディスに気付かれないようリトが安全な場所へ行けるように送り出してくれたのだ。


 事が思い通りにならずこうして自分はライヴァンで保護されている。

 この事態を、エルディスが赦すはずがない。


 だから、ロッシェは最悪の結果が待っているかもしれないと言っているのだ。


 もしも、その最悪の事態に直面した時、自分はどうするだろう。

 また心臓の発作を起こすだろうか。


 それでも、リトはやっぱり本邸に行きたい気持ちを捨てきれない。


 しばらく沈黙が続く。

 初めに張り詰めた空気を壊したのはロッシェだった。


「じゃ、こうしよう。僕も君と一緒に行くことにするよ。いいだろう?」


 予想だにしなかった突然の提案だった。

 驚いて、思わずロッシェを見上げる。


 聞いておいて結局は有無を言わせるつもりはないらしく、腕を組んだ彼は口もとに薄い笑みを浮かべて、さらに畳み掛けてくる。


「嫌なのかな?」

「別に、そうじゃないけど」


 正直なところ、もう誰も巻き込みたくないのだが。

 いや、それも自分がこうしてライヴァン王城にいる時点で、すでに後の祭りなのかもしれない。


「ああついでに、言っておくけどさ。万が一君がまた何らかの呪いをかけられるような事態になれば、僕は君の父親を殺すから。オッケーかい?」


 オッケーなわけが、ない。


 いつになくロッシェの過激な提案に、リトの胸がざわめく。

 相手は他人ではなく、仮にも血の繋がった父親だ。

 やっていることは横暴で犯罪紛いだし、息子である自分自身をも殺そうとした大嫌いな相手だが、殺していいわけがない。


「いや、それはちょっと……」

「いい加減にしたまえよ。君が彼に情を持っていようと、向こうは既に君の大切な相手を手に掛けているんだ」


 普段よりも低いトーンの声だった。

 真剣で強い物言いに、ロッシェが怒っているのだと肌で感じる。


「折角取り戻した記憶をまた盗られるのも、君や君の仲間が傷つくのも、僕は真っ平ご免だね。リト君、解るかい?」


 心配してくれている。

 怒りの込められた言葉が胸に突き刺さり、リトは俯く。


 相変わらず、自分は向けられる感情に疎いのかもしれない。

 そもそも記憶を封じられた友人を目の当たりにして、ロッシェが平気で接していられるはずなかったのだ。胸の内ではひどくショックを受けていたかもしれないのに。


「ごめん」

「まぁ、ディア君の安否は行ってみなければ解らないことだからね。とにかく、行くのであれば十分に気をつけるんだよ」


 穏やかなルウィーニの声が聞こえた後、頭にてのひらの重みがのる。

 そのまま子どものように撫でられてますます泣きそうになったが、涙が出ないように歯を食いしばった。


 ここで泣いてしまったら、怒りを露わにしたロッシェが悪者みたいになって、自分は完全に卑怯者になってしまうとリトは思ったのだ。


「解ってる。油断はしないともさ、ルウィーニ」


 直後、彼に答えるロッシェの冷静な声が聞こえた。

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