第3節 休日の団欒と魔法のあめ玉
別荘を建てた理由はリラックスして休める場所を作りたかったからだった。
街の喧騒から離れた静かな環境に身を置きたいと思ったのだ。
海が近くなのは帝都も変わらない。けれど、休暇の時くらいぜんぶ忘れて過ごせる家が欲しかった。
——とは言っても、リトの場合は休みの時であろうとつい
帝都から南の方へ下った場所に位置する小さな港町。その郊外にリトの別荘はある。
港町では、宿や露店はそこそこ並んでいて不便を感じたことはない。
小さな町なので、人であふれ返ることはあまりないし、ゆっくり楽しんで買い物できるのではないだろうか。
海のそばのせいか風が強くて、髪があおられる。
潮の香りを感じ、思わずリトは口元を緩めた。
ノックを三回ほどしてみると、あまり間を置かずに「はーい」と返事が聞こえてきた。
玄関の扉が開いて出てきたのは、長い月色の髪をひとつに結んだライズだった。
黒のTシャツの上に、ブルーのオープンカラーシャツを羽織っている。そして、下は黒のジーンズという、完全にオフの服装だ。
研究所では決まって白衣姿なので、なんだかいつもとは違った印象を覚える。
「あっ、リト。それにラァラちゃんも。二人とも、わざわざ来てくれたんだ」
「ああ。差し入れも持ってきた」
隣にいるラァラから、リトは小振りの鍋を慎重に受け取り、そのままライズに突き出す。すると、彼は目を丸くした。
「うそ、鍋ごと!? うわあ、ありがとー。リトが作ってくれたの?」
「だと思うだろ? ところが今日は違う。ラァラが作ってくれたんだぞ」
「ええっ、マジで!? 嬉しいなー」
いつもと変わらず、ライズは満面の笑顔だった。無理やり取り繕っている様子はない、と思う。
少しホッとして胸を撫で下ろしていると、玄関の扉が大きく開いた。
「二人とも、取りあえず入って。まだあんまり片付いてないけど、お茶くらいは淹れられるからさ」
ライズが父のティラージオ卿に勘当されてから一ヶ月が経った頃。
リトはラァラを連れて、ライズの新居を訪問することにした。
休暇を取らずに仕事のスケジュールがいつもと変わらない中、ライズとティオは時間を作って引っ越し作業に明け暮れていた。
まあ、もともと着の身着のまま追い出されたので、運び入れる荷物はほとんどない。
だからこそ、問題が起こった。
最低限の家具は揃っているものの、衣服や食料品、日用品が何もかも足りなかったのだ。
買い足したりしてなんとかするというライズとティオをリトは放っておけず、余っていて尚且つ新品に近いものを譲ることにした。現金を贈っても良かったのだけれど、二人が恐縮したり遠慮したりするだろう、と配慮してのことだった。
そして今回も、こうして少しずつ生活を立て直そうと苦戦する二人を応援するために、ラァラの手料理を持参したというわけで。
「必要なものは大体揃ってきたか?」
紅茶が入ったカップをテーブルに置いてから、リトは改めて二人を見た。
ライズは先ほどのようにいつもと変わらず、明るい表情だ。
彼の隣にいるティオの顔色は良く、控えめな笑みを浮かべている。
「うん、取りあえずは大丈夫かなー。服もある程度は貯金崩して買い足したし」
「所長が役に立つものをたくさんプレゼントしてくれたおかげです。わたし、このテーブルクロスがとってもお気に入りで」
細い指先でテーブルに触れて、ティオは嬉しそうにふんわりと微笑む。
彼女の言うテーブルクロスは、白いレースがあしらわれた精緻で上品なデザインのものだ。
以前に手のかかる
もともと男の自分よりも女性が喜ぶと思っていたし、リトは快く二人にテーブルクロスを贈ったのだ。
「それは良かった。俺や開発部のみんなはおまえたちのことを応援してる。まだ必要なものがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「うん、ありがとう。オレもティオと別れる気はさらさらないし、追い出されちゃったけど、父上にティオのこと認めてもらうのは諦めずに機会をうかがおうと思うんだ」
「そうか」
ライズの気持ちは誰であっても変えられないんだろうと、リトは思う。
こうと決めたら簡単には譲らない頑固なところがあるのだ。
「ライズならできるさ」
「うん、ありがとな」
白い歯を見せて嬉しそうにライズは笑う。
その隣で、不意にティオは勢いよく立ち上がった。
突然席を立った彼女に、リトは目を丸くする。
「わたしも、ライズさんに任せっきりにはしません。所長やライズさんと違って、わたしは庶民ですし、礼儀に欠くところはあるかもしれないですけど……。で、でもっ、わたしだってライズさんを諦めるつもりはありません!」
両手を強く握りしめ、ティオはまっすぐにリトを見つめてきた。空色の翼を少し広げて、きゅっと眉を寄せている。
リトに対してというよりも、彼女なりの決意表明なのだろう。
そういえば、ライズと同じくティオも頑固なところがあったな、と思い出す。
それは子供の頃から憧れのひとだったカミルに、直接的かつ間接的な嫌がらせをされ続けても、ライズのことは絶対に譲らなかったほどだ。
力の強い
芯の強いティオと、大切なものを決して譲らない心を持つライズ。
この二人なら、きっとこの先もきっとうまくやっていけるだろう。
それなら、友人であり上司でもある自分としては、温かく見守ってやらなければ。
「ティオ、がんばれよ。そしておまえも、ライズを支えてやってくれ」
そう言うと、彼女は青い目を輝かせた。
そして強く頷くと、自信たっぷりに、ティオにしては珍しく勝ち気に微笑んだのだった。
* * *
「リト、ちょっと渡したいものがあるんだけど」
帰ってすぐ、留守番をしていたラディアスにそう話しかけられた。
「いいけど、どうしたんだ?」
家にいない間、荷物が届く予定はない。
もしかすると留守にしていた間、新聞の勧誘が来て、流されるままに契約してしまったのでは。
ずっと断り続けていたし、もう来るなときつく言っておいた。けれども、どうにも向こうは自分を子供と見て、強引に迫ってくる。
ラディアスはどうにも流されやすいところがあるし、相手に言われるままサインしてしまったのだろうか。
そんなことをぐるぐる考えて少し目眩を覚えていたリトの目の前に、小さなガラス瓶が差し出された。
手のひらにおさまるほどの、小さな透明の瓶。
中にはピンク色のあめ玉がたくさん入っている。
見覚えのない菓子だった。
なにかの土産、なのだろうか。
彼の意図が分からず首を傾げていると、ラディアスはニッと口角を上げる。
「これを、キミに渡しておこうと思って」
「何なんだ、これ」
「魔法のあめ玉」
そう満面の笑顔で言うものだから、リトはつい真顔でじっとラディアスを見てしまった。
彼はいつもそうだ。
初めて診察してくれた時も、自分の病は恋をしたら治るとか適当なことを言っていた。
最近は心臓の発作はほとんど起きていないとはいえ、完治したというわけじゃないらしい。
つまり、初めの頃に彼が言っていたように、恋をすれば治るというわけじゃなかったのだ。
よく考えれば分かることだけれども。
「……詳細な説明を頼む」
「あっ、ごめんごめん。えーとね、これ飴に見えるけど、発作の緩和剤なんだよ」
へらりと笑い、ラディアスはあめ玉の入ったガラス瓶をリトの手のひらに押し付ける。
「ほら、今は静かにしてるとはいえエルディスさんがリトの近くにはいるわけだからさ。何が起きるか分からないし、一応作ってみたんだよね」
「それって、発作が起きるかもしれないってことか?」
「うん、そう。俺としては、そういう事態になりかねないって思ってる」
気の抜けたような笑みから、すっとラディアスは真顔になった。
たぶん、これは仕事の顔だ。こういう一面を見ると、彼が本職の医者、リトの主治医なんだと感じる。
「発作が起きたら、やっぱり危ないよな。一応、心臓の発作なんだろう? 俺の病気」
「そうだよ。ひどい発作が起きたら心臓が止まりかねないから、さ。だから緩和剤ってワケ」
発作を緩和するということは、根治治療というわけではないようだ。
こうして改めて考えてみると自分の病気について、リトは何ひとつ知らないことに気がついた。
症状は心臓の発作。それに伴う胸の痛み。
素人の自分で分かることなんて、その程度だ。
「ラト、俺の病気ってどういうものなんだ? 一応、命に関わるものなんだよな
?」
発作や緩和剤の話題が出ている今が、いい機会だとリトは考える。思いきって尋ねてみることにした。
自分の身体のことは知っておきたい。
「んー、そうだねぇ。そいえば、リトには病気のコトちゃんと話したことなかったっけ」
青灰色の目を和ませて、ラディアスはリトに微笑みかける。
その表情はいつもの緩い表情とは違って、穏やかでひどく優しい——ように見えた。
「立ち話で済ませるコトじゃないし、取りあえず俺の部屋で話そっか」
願ってもない提案だった。リトはすぐに首肯する。
けれど、同時に不安が胸の内をよぎる。
不定期に起こる心臓の発作の病気。
しかも見抜いた医者は、後にも先にもラディアスただ一人だった。
診断が難しい病気なのだろうか。果たして治るのか。
そんなことをつらつらと頭の中で考えた時。
ドクンと心臓が波打った、気がした。
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