第4節 寂しがり屋と悲しみの精霊

 ラディアスの部屋は、もともと客間だったものをリトが貸し与えた部屋だった。

 以前と比べて増えたものは本棚と、所狭しに干されている緑色のナニカ、——くらいか。ほとんど変わりはない。


 室内に入ると、最初にふわりと植物の香りを感じた。薬草だろうか。


「つまりさ、発作の原因はリトの心臓にあるのは間違いないんだ」


 互いに向かい合わせになるようにテーブルを挟んでソファに腰掛けた後、ラディアスはそう言って、すぐに話し始めてくれた。


「あっ、でも、リトの心臓に欠陥があるとかじゃないんだ。キミの心臓は異常はないし、おかしなところはないよ。身体の精霊の巡りも異常はないし」

「……精霊の巡り?」


 オウム返しに尋ね返すと、彼はそうそうと頷く。


「いつも俺たち人族の近くにいて、なにかと手助けしてくれるのが精霊——、っていうのはリトも知っていると思うんだけどさ。俺たちの身体機能を維持してくれてるのも精霊なんだよね。腕や足が動かなかったり身体の機能に異常があるヒトって、大抵は体内の精霊のバランスが偏っていたりするんだ」

「そうなのか。でも実際に、心臓の発作が起きてるんだし、なにか原因があるんだろう?」

「うん、あるよ」


 ラディアスはそう言って頷いた後、困ったように笑った。

 そして右の人差し指を、すっと自分の胸のあたりに当てる。


「これは、精霊使いエレメンタルマスターとしての見立てでもあるんだけどね」

「ああ」

「リトの、ここのところ、心臓のあたりに悲しみの精霊バンシーが棲みついてるみたいなんだよね」

「——は?」


 バンシー、だと?


「時の精霊王クロノスの眷属、無属の下位精霊の、あの——バンシーだよな?」

「そうそう。さっすがリト、本職が魔法道具マジックツール関係だけに詳しくて助かるよー」

「いや、それはいいんだけど。なんでバンシーが俺の心臓にとどまっているんだ?」

「リトも精霊との相性いいからなー。近くによく闇鴉シェードがいるのよく見るし」


 たしかに、子どもの頃から闇の下位精霊には懐かれるけども。

 精霊が心臓に棲みついているのはそういう理由じゃないだろと、リトは思う。


「それでね、そのバンシーがさ、ある条件が整うと、リトの心臓を止めようとするワケ。だから発作が起きるんだよ」

「——え」


 心臓を、止めようとしている?

 そんなの、心臓が止まったりしたら、死んでしまうじゃないか。


「大変な病気じゃないか!」


 動揺して、リトは思わず立ち上がり、声を荒げてしまった。

 けれど、ラディアスは冷静に、そんな彼を見ている。


「そう、大変な病気なんだよ。初めて診察した時もざっくりとだけど、リトには教えてたと思うんだケドさ」

「……ああ、そういえば精霊が心臓を止めようとしてたって、言ってたな」

「そうそう」


 こくこくと頷くラディアスの様子を見て、リトはひとまずソファに座り直す。

 まだ説明を全部聞いていないし、彼の話の腰を折りたくない。

 不安はまだ残るけれど。


「なにせ心臓に張り付いている状態だからさ、バンシーを取り除くことはかなり難しいんだよね。まあ、俺が手術あんまり得意じゃないってのもあるけど。だから、こうして緩和剤を作って渡すくらいのことしかしてあげられなくて。……ごめんね」

「謝るなよ。ラトが悪いわけじゃないだろ」

「うん、そうなんだけど……」


 リトから目を逸らし、ラディアスは視線を落とした。

 顔を俯かせてうな垂れる彼が小さく見えて、リトは内心焦る。ネガティブな思考に沈んでいないだろうか。

 ラディアスもリトと同じで、基本的に消極的な一面があるのだ。


「それで、発作が起きるのはどういう条件なんだ?」


 彼の思考を切り替えるつもりで、話を振ってみた。

 自分も知りたい、という点でもあったのだけれど、うまく功を奏したようだ。


 主治医は顔を上げて、右手を顎に添える。


「んー、そうだね。発作が起きる引き金となるのは、悲しみかな。悲しみの精霊バンシーっていうくらいだから」

「悲しみ?」

「そ。リトの場合はたぶんなんだけど、キミの周りにいる大切なヒトに何かあると、怖くなっちゃってそれが悲観につながるんだと思う。その気持ちを感じ取った精霊が、心臓を止めようするんだよ」


 そういえば。


 思い返してみると、心当たりはある。


 初めて強い発作を覚えたのは、四年前。

 レイゼルが放った炎狼フレイムウルフにライズが襲われた時だ。


 もともとライズの身体はあまり丈夫ではないことを知っていただけに、このまま何もせずにいると死んでしまうと思って。その瞬間、発作が起きたのだった。


「……たぶん、そうなんだと思う」

「だろ? だから俺はキミに緩和剤を渡しておこうと考えたんだ。今はほとんど発作がない状態とはいえ、近くにがいるからさ」


 いつになく抽象的で意味深な彼の言葉だった。

 目を丸くして、リトは首を傾げる。


「あのひと……って、父さんのことか?」


 その問いかけに、ラディアスは強く頷いた。


「そ、エルディスさん。初めて会ってからは接触取ってこないし、静かなものだけど……。でも、あまり油断しない方がいいと思う」

「そうだな」


 初対面で捕まりそうになっただけに、ラディアスにとってもエルディスの印象はかなり悪い。

 そのせいか、彼の表情は固く、膝の上に置いた手を強く握りしめている。


「俺は警戒しておいた方がいい。この前は俺だけで済んだけど、あのヒト、もしかしたらリトに危害を加えようとするかもしれない」

「え、俺に?」

「そうだよ。ヒトに呪いかけるって脅して、自分の思い通りに事を運ぼうとする相手じゃないか。リトの周りのヒトやリト本人にだって、何をするか分からない——と、思う」


 まっすぐに、そして縋るように見つめてくるラディアスの青灰色の瞳は、不安そうに揺れていた。

 見ただけで、彼がリトを心配していることが伝わってくる。


 そうか。だからラディアスは、自分の命に危険が及ぶ前に緩和剤を渡してきたのか。


「分かった。父さんのことはなるべく警戒しておく。だから、そんな顔をするな」


 そう言って、リトは穏やかに笑う。


 そう。

 なにも心配することはない。おまえに迷惑だけはかけないから。


 できるだけこの気持ちが、彼に優しく伝わるといいのだけど。


 しかし、そんなリトの思いとは裏腹に、ラディアスは泣きそうな顔でこくりと頷いたのだった。

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