3章 魔法使いの策略と主治医の覚悟
第1節 主治医の過去とかけられた呪い
ずっと、ずぅっと前の、子どもの頃の記憶。
大人になった今でも時たま思い出す、苦しくて辛い夢のかけら。
「はなせっ」
もともと小食だったせいもあって、兄のように体格には恵まれなかった。
そのせいか、一度捕まると逃げることなんてできるはずもなく。
毎日のように与えられる相手からの虐げが、悔しかった。
悔しくて悔しくて。でも敵わないから、ただ泣き喚くことしかできなくて。
「自力で逃れてご覧。そうすれば、水と食事を与えてあげよう」
いつもきまって身体の自由を奪われた。拘束の手段は鎖だったり紐だったり、色々だったけど。
どれだけ抵抗しても、力のない自分には引き千切ることも解くこともできなくて。
結局は、魔法で壊すことで逃れるしかなかった。
「やはりお前は精霊と相性がいいよ、ディア。お前は私の、自慢の愛弟子だよ」
殺したいくらい大キライだった。なのに、日々を生きていくためには彼に教え込まれた魔法を使いこなすしか、方法がなくて。
毒蛇が棲息する廃屋の地下に柱を繋がれて放置された時も。
両手を拘束されたまま底なし沼に沈められた時も。
どれくらい死にかけたか、途中から数えるのをやめた。もう思い出したくもない。
大キライだから、いつか絶対に殺してやろうと思っていた。
だけど、師匠である彼に魔法という手段で対抗するのは絶対に無理なのだと、ある日気付いてしまった。
そして、それが自分に魔法を教え込んだ彼の意図でもあったことを悟った時、悔しくて。
彼の手のひらの上で転がされていたと思うと、憎くてたまらなかった。
「どこへなりとでも、行けばいい。お前に、往ける場所があるというのならね」
血色の瞳が艶然と微笑む。
「俺は、アナタの思惑通りにはならない」
「良かろう。ならば、逃げ切ってみせるがいい。私の、手の内から」
今思い返せば、アレは〝約束〟だったんだろう。
手に入れたのは、彼に許されるカタチで得た仮初めの〝自由〟だった。けれど、もしかして最後まで生き延びることができれば——。
「逃げ切ったら、解放してくれる?」
相手の唇が声のない言葉を紡ぐ。
あの時彼は自分に、なんて答えたんだったっけ。
* * *
——どうして、子どもの頃の夢なんか見てしまったんだろう。
ゆっくり目を開けると、指の先に軽い痺れを感じた。
今何時なんだっけ、とラディアスはそのまま思考を巡らせる。眠りに落ちる前になにをしていたか、いまいち思い出せない。
身体がだるくて、ひどく重かった。
リトの屋敷で暮らすようになってからは、生活習慣が規則正しくなったのもあって、朝の低血圧もだいぶ緩和されてきたというのに。
これはなんだろうか。
だんだん考えるのさえも億劫になってきた。
もう一度眠れば、だいぶ思考もクリアになっているだろうか。
そう思って目を閉じようとした時、不意に扉を開く音が聞こえてきた。
つられて瞼を上げて音がした方を見た瞬間、一気に記憶がよみがえる。
思い出した途端に背筋が凍り、ラディアスはベッドの上に跳ね起きた。
「気分はどうだい?」
ひどく柔らかい声だった。
扉の横に立つのは穏やかな微笑みを浮かべる
彼を見た途端、ラディアスは全身の血が一気にひいていく感覚がした。
彼の名はエルディス・エル・ウィントン。ラディアスが現在同居させてもらっている友人リトの父親だ。
そして数百年ぶりにティスティル帝国に戻ってきた、
リトがまだ幼い時分に家を出奔した彼は、久しぶりに会った息子が未だ素直に従わないことを不満に思って、なにか企んでいるらしい。
ラディアスからすれば、長い間放っておいたのだから嫌われても仕方ないと思うのだが、なぜかエルディスはそれを周囲の人々のせいだと思い込んでいるようだ。
思い込みは恐ろしいものだと、ラディアスは考える。
彼はリトを上回る魔力を持った高位の精霊使いだ。
いつか魔法を利用して悪辣な企みを実行するに決まっている。
彼を信用することなんてできない。だって、前にもエルディスは自分に呪いをかけようとしたのだから。
だからリトに警告しつつ、自分も距離を取るように、いつも意識していたのに。
でも今思い返すと、彼はラディアスが油断するのを待っていたのだろう。
リトの持病のことで話があると声をかけられたのが、発端だった。
病状を近親者に説明するのは、医者として当然の義務だ。断れるはずもない。
それに、彼にリトの現状を知って欲しいという気持ちもあったんだと、今では思う。
だから距離を詰められていたことに気付かなかった。
しまったと思う暇もなく、眠りの魔法をかけられて、無防備にも彼の目の前で意識を失ってしまったのだ。
ということは、まさか、ここは——、
「……ッ」
反射的に、身体が震えた。
エルディスが、ゆっくりとだが自分の方に近づいてきている。
逃げなきゃ。
そう危機感を覚えて動こうとした時、彼はにっこりと微笑んだ。
「どこへ逃げる気かな? ラト君、〝そこを動くな〟」
「え」
言葉に表された命令に、身体がすぐに反応した。手足がまるで石のように固まり、思うように動かせない。
その症状には見覚えがあった。嫌な予感しかしなくて、ラディアスは近づいてくるエルディスを信じられない思いで見上げた。
「まさか、寝てる間に【
「そうだよ。君はとにかく反抗的だからね、こうでもしないと素直に言うことを聞いてくれないだろう?」
——こんなひどい仕打ちをしておいて、なんでこの人は嬉しそうに話すかな。
罪悪感なんか、少しも感じていない。その彼の精神性が、ラディアスは怖くて仕方なかった。
ぎゅうっと締め付けられる心臓の痛みを感じつつ、息をひそめて目をそらす。
なのにエルディスはさらに近づいてくる。
目と鼻の先にまで近づいて、彼はくすりと笑った。
「〝立ちなさい〟。君のことだ、私の意図は解っているのだろう?」
自分の意思とは関係なく、身体が勝手に動く。
きっと至近距離から見た自分の顔色は、ひどく青ざめているに違いない。
だって、さっきから手足の震えだって止まらない。
彼からすれば、こんな自分は滑稽で面白く、見ていて楽しいのだろう。
「……解りません」
理解なんかできるものか。
けれど、自分の直感が正しければ、この先に待っているのは最悪の未来しかない。
一応は赤の他人であるものの、自国の王族にさえ呪い魔法をかけようとする彼のことだ。自分の目的に手心を加えるだなんて、ありえない。
「そうかい? だとしても心配することはないよ。君には、一部始終を見届けさせてあげるからね。〝一緒に来なさい〟」
諭すように優しく声をかけて、エルディスは歩き出す。
彼の後に従いながら、もういっそ意識をうしなってしまいたい衝動にかられる。
しかし当然ながら、そんな願いも叶うはずがない。
部屋を出て廊下を抜けると、彼は一階へと続く大きな階段を下りていった。
玄関ロビーに到着すると、エルディスは立ち止まった。彼が立ち止まると、自然とラディアスの足も止まる。
そこは吹き抜けの造りのようで、よく見渡せるようになっていた。
「さて。あの子が来るより前に、迎える準備をしておかないとね」
振り返って、橙色の瞳が愉しげに笑った。
心臓を鷲掴みにされているような恐怖がラディアスを襲う。目を逸らしたいのに、それさえも許されない。
「そういえば君は、竜の姿になることが出来るんだったかな?」
「……はい」
確認するように問われて、ラディアスは素直に頷く。
彼には自分がティスティル女王の兄だという身分はバレてしまっている。
ティスティル帝国の王族は、決まって
以前は貴族の当主だった彼のことだ、当然知っているだろう。
エルディスはラディアスをその場に立たせたまま、視界の外へと消える。
すぐに戻ってきた彼が手にしていたのは、金属製の細いワイヤーロープと鎖らしき物だった。
それを掲げてラディアスに見せ、彼は首を傾げて優しく尋ねる。
「絞首鋼索、というものを知っているかい? これはそれに使われるのと同じワイヤーで、グリフォンでも引き千切れない強度があるそうだよ」
暗殺者の使う道具のことなんて、ラディアスにとって専門外だ。
ただ、それでもなんとなく、彼が今から何をしようとしているか解ってしまった。
これから自分が何をされるか、じゃなくて。
彼がここまで徹底的に自分を拘束しようとしているのはなぜなのか。その理由が怖かった。
だって、それはつまり、自分が妨害したくなることを、彼が今から行なおうとしていると言うことなのだから。
しかし解っていても、【
両手を背中に回されて、鎖できつく縛られる。
それからエルディスはワイヤーを取り出して、ラディアスの首に二周ほど回してから先端を階段の装飾柱の間に潜らせ、留め具を填めた。
「暴れたり翼竜の姿になったりすればどうなるかは、君にも解るよね?」
「首が絞まるか、……切れる?」
ワイヤーの長さに余裕はほとんどなかった。ちょっと動いただけで喉に食い込んでしまいそうだ。
こんな状態で翼竜化したらもしかすると——、首が、落ちるかもしれない。
「解っているようだね」
ラディアスの予想を、エルディスは満面の笑みで肯定した。
嫌みも罪悪感もないその純粋な笑顔が怖い。思わず後退しようと思ったが、柱に縛られてるから動けない。
「君はここで〝黙って見ていなさい〟」
それだけ言うと、彼は笑みを浮かべたままくるりときびすを返して、ラディアスに背を向けた。
もうそろそろ夕刻だろうか。夕食の準備のために、人々があわただしく動き出すくらいの時刻。
きっとエルディスの待ち人も、異変に気付いてすぐにこの場所にやってくるだろう。
来るな、と、思うけど、その願いはきっと叶わない。
逃げてくれ、と、思うけれど、そもそもその可能性を奪っているのは、こうして捕まっている自分の不用意さだ。
悔しくて悔しくて、ラディアスは泣きたかった。自己嫌悪と今までにない大きな絶望感に押し潰されそうだった。
けれども、涙は出てこない。
もう、どうしたらいいのか解らない。
目の前の現実を遮断するかのように、ラディアスはそっと目を閉じたのだった。
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