第2節 夜中の訪問者
スティルの歓迎会から一週間が経った頃だった。
夕飯を終えてラァラと食器を片付けていると、玄関のドアをノックする音が聞こえたのだ。
窓を見ると、外はすっかり闇の帳が下りて、無数の星が空で瞬いている。
(こんな遅くに一体誰だろうか)
今日は来客の予定はない。
いくらなんでも、陽が落ちてから新聞の勧誘には来ないだろう——、と思いたい。
背が縮んでからというものの、実は訪問販売の勧誘がしつこくなってきているのだ。見た目が学生のような容貌だからきっとナメられているのだと、リトは思っている。
おそるおそるドアを開けると、見覚えのある月色の髪が見えた。はっとして、すぐに扉を大きく開ける。
ほのかな星明かりの中に立っていたのは、怯えたように縮こまったティオと、困ったようにへらりと笑うライズだった。
「……こんな夜中にどうしたんだ?」
困惑を抱きつつも尋ねると、ライズは顔を引きつらせた。
「えっと……ちょっと、困ったことになってさ。すごく申し訳ないんだけど」
不安げに揺れる青灰色の瞳。それでもリトからは逸れることなく、まっすぐにとらえ——、
「しばらくの間、オレたちを泊めてくださいっ」
勢いよく頭を下げたのだった。
二人の姿を見た時から、なんとなく予想はしていた。
しかし、まるで夜逃げしてきたかのようなライズとティオの姿を、実際この目で見ることになるとは。
現実とはこうも厳しく悲しいものなのか、とリトは思う。
「つまり、勘当されたということなんだな?」
ひとまず二人をリビングへ案内して座らせた。
ラァラが淹れた紅茶を出して、ライズがひと息つくのを確認した後、リトはこう切り出した。
「えと、うん。そういう、こと……だね」
彼の隣でティオが俯いたまま目を潤ませる。
ライズは笑っているものの、その目は沈みきっていた。
結局、彼は父親と分かり合えなかったようだ。
種族が違うとしても、貴族ではないとしても、彼女はライズにとってかけがえのない大切なひとには違いない。
関係が悪いからと言って逃げ出すのではなく、ライズは父に歩み寄る道を選んだ。それはティラージオ卿が彼にとってたった一人の、血の繋がった父親だからだ。
だからこそ、きちんと紹介して、ティオを将来の伴侶として認めてもらいたかったに違いないのに。
「やっぱり、ティラージオ卿はダメだったか……」
「うん。オレ、ちゃんと話したんだけど、最後まで聞いてもらえなくてさ。実は、ティオも今はウチに住んでる状態だったんだ。だから、オレたち二人家から追い出されちゃったんだよねー」
あはははとへらへら笑っているライズだが、乾いた笑いが痛々しい。隣の彼女は背中を丸めて沈み込んでしまっている様子だ。
「そういうワケでさ、新しい家を見つけるまででいいから、少し泊まらせて欲しいんだ」
お願いします、と再び深々と頭を下げるライズ。
そんな友人を見て、リトは盛大にため息をついた。
あからさまな態度にライズはすぐに顔を上げる。
「新しい家を見つけると言ってもな。帝都は家賃高いところばかりだぞ。おまえとティオの給料じゃ苦しいと思うぞ」
「そうだけどさ。でも、他に方法がないし、なんとか見つけるしかないよ」
「そんなことはない。しばらく泊まっていってもいいが、なんなら新しい家貸してやろうか?」
にやりと口角を上げるリトを見上げ、ライズは青灰色の目を輝かせる。
「え、マジで!?」
「ああ。ちょうどもう一軒、海の近くに建てた別荘があるんだ。……まあ、さすがに帝都ではないから距離は遠いけど、ティオは【
「そんなのいいよ、別に! 普段はデスクワークだしさ」
ぶんぶんと顔を横に振るライズの隣で、ティオがようやく顔を上げた。
彼女も同じように目を輝かせている。
そんな二人を眺めつつ、リトは目を和ませる。
「おまえたち荷物も少ないみたいだし、とりあえず着の身着のまま出されたんだろう?」
「え。あ、うん。そうだけど……」
「なら、無料で貸してやるよ。必要最低限の家具は揃ってるし、ひとまず生活はできると思う」
「いやいやいや、ダメだよ!」
立ち上がって、ライズはバンと机を叩いた。
沈んだり驚いたり、そして嬉しそうに笑ったかと思えば今度は怒り出す。今日は一段と面白いヤツになっているな、とリトは思う。
「家を貸してくれるだけでもありがたいのに。家賃なしなんて、絶対ダメ!」
「別にいいじゃないか。俺がいらないって言ってるんだから」
別荘一軒分の家賃を取ったところで、リトにとっては何にもならないように思えた。
金がないわけじゃないし、見返りを求めているわけじゃない。ただ、やりたいようにしているだけだ。
けれど、ライズは納得していないようだった。
「ダメだよ。家を借りるからには、ちゃんと対価として家賃払わないと!」
「でも、すぐに払えないだろ? 生活するには家具だけじゃなくて食料品や日用品を買い込まなきゃいけないだろう」
「う。そうだけどさ……」
顔を引きつらせながら、ライズは目を泳がせる。長い付き合いながら、彼がなにか自分を説得する言葉を探していることは、リトにも分かる。
そんな時、ずっと黙っていたティオが椅子から立ち上がった。
「それなら、所長。生活が落ち着いてから家賃をお支払いするということで、どうでしょうか?」
姿勢を正し、まっすぐに見つめてくる宝石のような青い双眸。
揺るぎなく見つめてくるそれは、現状に絶望していない。
いつもは泣き虫なのに、ティオは涙ひとつこぼしていなかった。
しかしラァラといいティオといい、どうしてこうも芯が強いのか。
「分かった。ティオはそれでいいんだな?」
「はい、十分です。このご恩は一生忘れません」
こくりと頷いて、ティオは傍らに立つ恋人を見上げる。
彼女の視線にすぐに気付いたライズは黙って頷くと、顔を綻ばせた。
「ほんとうにありがとう、リト」
「大げさだぞ、おまえたち」
「そんなことないよ。感謝してる。オレも一生忘れない。ありがとう、リト」
そう言って、ライズはまた頭を下げた。
本当におおげさだな、と心の底から思う。
別荘はもともと建てて管理していた自分の持ち物だ。たくさんある自分の持ち物を少し分けてあげた。ただ、それだけだ。
リトは以前は大切なものを持っていなかった。
それは物ではなく、誰かを思いやる優しい気持ち。
人と人との繋がり。
毎日の挨拶。そして「ありがとう」と「ごめんなさい」というアタリマエの言葉。
金銭では買えないそんな貴重なものを、ライズは教えてくれたのだ。
だから今回のように家を貸すことくらいでは、まだまだ彼には恩を返せていないのに。
「礼はもういいから。そんなことより腹が減っただろう? 今、温かいものを作ってやるから待ってろ」
誰かに優しくしてあげられるようになったのは。
失うかもしれないと思っただけで、気絶するほどの胸の痛みを覚えるようになったのは。
他の誰でもないライズのおかげだ。
だから今度は、自分が彼を助けてやるのだと、リトは胸の内でひそかに決意したのだった。
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