6章 過去をたどる旅

第1節 1番目の扉

 ふと気がつくと、頭上には真っ暗な空に宝石のような無数の星が広がっていた。


 足元もほのかな光が灯っていて案外暗くはなく、自分の手のひらも見える。

 きっと、こけたりぶつかったりするようなことはないだろう、とリトは思う。


 眠る前のことはまだ覚えている。

 今受けている儀式の説明もちゃんと聞いて、理解したつもりだ。


 だから、ここは自分の夢の中なのだろう、と結論づける。

 これから何日かかるか解らないけど、過去をたどる旅が始まるのだ。


 辺りを見回してから、リトは瞠目どうもくした。


 自分を囲むように、そこには数え切れないほどの扉が広がっていた。

 色や形、デザインは多種多様で、どれもひとつひとつ違っていて奥の方まで続いている。

 その果てはどこまで続いているのか、目を凝らしてもわからない。


「……これを、俺は一つずつ開けて、封じられている記憶を解放しなければならないのか」


 骨の折れるような作業に思えた。


 なんとなく隣を見ると、淡い光を放つユニコーンが佇んでいた。

 闇のような空間だけに、白き輝きをもつ精霊獣は存在感を強く感じる。

 名前はちゃんと覚えている。クレストルだ。


「これ、開けるのに順番があるのか?」


 かれとは初対面だが、精霊獣だからかリトは話しかけることに躊躇いを感じなかった。

 もしかすると、以前の自分は精霊が好きだったのかもしれない。なにせ本職が魔術師ウィザードなわけだし。


 ——と、そんなことをつらつら考えながら藍色の瞳を見つめていると、直接頭に声が響いてきた。


なんじの目に留まる扉を第一に開いて構わぬよ』

「うん、解った」


 クレストルの言葉に導かれるままに、リトはぐるりと無数の扉を見回した。

 心の赴くままに、そして誘われるようにゆっくりと足を進める。

 そうして扉の前までくると、ユニコーンはつかず離れずの位置でリトの近くに佇んでいた。


 最初に選んだのは、藍白色の両扉だった。 

 取っ手を掴み押し開けて、リトは迷いなく足を踏み入れる。




 * * *




 視界は闇に覆われ、ひどく暗かった。

 地面を激しく叩く雨は明らかに自然のものではなく、魔法の力によるものだとすぐに解った。


 目の前には自分に縋り付いてくる獣人族ナーウェアの少女。

 暗がりの中では色の判別は難しかったけれど、大きな獣耳と垂れ下がった太い尻尾から、キツネの部族の子かもしれないと思った。


 ざああという雨音に混じって、声が聞こえてくる。


「正直、それほど期待はしていなかったんだけどね。思わぬ大物を釣り上げてくれたじゃないか、ルティ」


 リトは驚愕した。


 それは紛れもなく、自分自身の声だった。

 信じられないほどひどく冷たくて、まるで相手を怖がらせるような声音だ。


 ルティ、というのが彼女の名前なのだろうか。まだ思い出せない。


「え? ……どういうことですか」


 目を見開いた彼女は耳を下げて、そう言った。

 明らかに自分に恐怖を感じている表情だ。


 水音を立てて後ずさる様子を見つつ、ふとリトは彼女のそばに横たわっている人影に注意を向けた。


 その瞬間、リトは再び目を見開いた。


 それは人間族の男で、記憶に新しいから名前も覚えている。

 ロッシェだった。


 傷を負っているのか、暗闇の中でも服に血が染みついているのが解る。


 まっすぐに向けてくる細くつった両目は、明らかにリトを警戒していた。

 眠る前に見たあの飄々とした雰囲気は完全にかき消えていて、別人みたいだ。


 上体を起こそうとしているのか、身じろぎしたが深傷で動けないのか顔を歪ませている。

 それでも視線だけは、じっとリトから外さずに鋭く睨んでいた。


「だが、少しばかり詮索が過ぎたようだね。お察しだろうが、それを聖地に返されると困るんだ」


 己の意思とは裏腹に、自分の声が雨音に紛れて聞こえる。

 きっと記憶の中のリトが自分で発言した言葉なんだろう、と思った。


 直後、ばさりと布が翻る音と、続けて耳障りな金属音が続いた。

 視界に映るのは、暗がりの中でも鈍い輝きを放つ抜き身の片刃剣ファルシオン

 その切っ先をロッシェの眉間に突きつけ、見知らぬ自分は残酷な声を放つ。


「選んでもらおうか。この雨の中で失血死するか、俺に従うか。……どうする?」


 動けない無抵抗の相手に追い打ちをかけるように剣を向け服従を迫る、なんて。

 本当にこれは自分なのか、とリトは目眩を覚えた。

 自分のやっていることは、理不尽な行為じゃないか。


 もう少し思考の海を漂いたかったが、そうもいかなかった。

 焦ったような顔をした狐の少女が声を上げたからだ。


「リトさん、どうしてそんな、酷いことを言うんですかっ」


 記憶のないリトもその答えが欲しかった。

 なんなら一発殴るとかして、なんとか自分の行動を抑制したい気持ちに今も駆られている。


 だがそれでも、これは間違いなくリト自身の記憶なのだ。


 視線を彼女に向けると、ルティという少女は身体を震わせて黙り込んでしまった。

 もしかすると、記憶の中の自分は彼女を睨んだのかもしれない。


 三人は黙り込み、容赦なく地面を叩く激しい水音の中、息苦しいほどの沈黙が続いた。


 眼下で横になっているロッシェを見つめていると、彼は両目をひとつ瞬かせて口を開く。


「僕が素直に従えば、僕自身や彼女に危害は加えない、と?」


 いつになく低い声だった。

 王城でリトに話しかけていた声質とはまるで違っていて、内心驚く。


 そして記憶の中の自分は、やはり低く怒りを込めたような声で返す。


「ああ、そういうことだ」

「それが偽りではない保証はあるのかい」


 彼が強く畳み掛けてくる言葉は明らかな敵意が込められていた。

 記憶がほとんどないリトではロッシェがどれほどの実力があるのか解らないが、今の時点で彼の立場は不利に違いなく、いわゆる絶体絶命という状況だと言えるだろう。


 ——なんて、彼を追い込んでいる自分が結論づけるのもおかしな話だが。


 未だ睨みあげてくる彼に向けて、記憶の中のリトは言い放つ。


「言葉に気をつけたほうが良くないか? ルティはともかく、俺にお前を助ける義務はないのだから」


 横柄で自分勝手な物言いだった。

 もともと自分自身について知りたくて儀式を望んだリトだったが、あまりに理不尽を強いる自分が信じられなかった。

 まさか、こういう酷いことを平気で言ってのけるヤツだったとは。


(……なんだか、ショックだ)


 剣の切っ先を下げる様子もなく、自分はただ答えを待っているようだった。

 しばらく考え込むようにロッシェは視線を彷徨わせていたが、眉を寄せた不機嫌そうな顔で彼はひとつため息をつく。


「らじゃ。……不本意だけど、僕はまだ死にたくないし」

「賢明だな。では、俺と一緒に来てもらおうか」


 その言葉は、命の駆け引きの末にリトに従うことを了承したということに他ならなかった。


 これは記憶の中の映像で、今目の前で起こっていることは記憶が曖昧なリトの意思とは別のところにある。

 それでもこのやり取りは紛れもなく、自分がやったことに違いなくて。

 だからなのか、大きな罪悪感が重石のようにリトの胸にどすんと残った。


 ロッシェに向ける自分の声はどこまでも冷酷さが潜んでいて、余計に気分が沈み込んでしまいそうだ。


 このような出会いを経て、自分と彼は知り合ったのだ。

 そしてロッシェの名前を拠り所として、ライヴァンまでやってきた。


 もちろん一部分の記憶だろうし、これから彼との関係がどのように変化していったのかはまだ解らない。

 それでもロッシェはリトに、全面的な味方でいてくれると言ってくれた。

 その言葉には嘘偽りなんかなくて、優しさが包含されていたように思える。


 たしかに、他人には言えないような関係だ。

 過去の自分はひどく冷たい人物で、彼を命の危険にさらすようなことをしたばかりか、平気な顔で脅しつけ服従を迫ったのだから。 


(どうして、ロッシェは俺の味方でいてくれるのだろう)


 当然ながら、その疑問が頭から離れなかった。




 * * *




 周囲がもとの暗闇に戻る。


 クレストルと二人だけになっても、リトはしばらくぼんやりとしていた。

 初っ端から見た自分の記憶に驚きとショックを受けたからだった。


「あれは、本当に俺だったのかな」

しかり、なんじの過去の一片であることに相違はなかろうよ』

「……そっか」


 非道とも言える行いをし、平然と人を傷つける。

 リトアーユという名の自分はそんな人物だったのかと思うだけで、気分が悪くなる。


『だが、未来の生き方次第で過去は変わり得る。故に、大切なのは今汝なんじが何を思い、何を記憶に留めるかだろう』


 頭に響いてくるのが精霊の声のはずなのに、クレストルの言葉はリトの言葉に直接響いてきた。

 大切なのは、これからどう行動していくのか選び取ることなのかもしれない。


「うん、ありがとう」


 感謝を込めて、リトはかれに言葉をかける。

 頭をあげてクレストルは藍色の瞳を和ませた。その時。


 今度は扉の方が近づいてきた。

 眼前に迫るのはえんじ色の扉で、取っ手の金属はきんいろだった。


 次はどんな記憶なのだろうか。

 また悪行に手を染める自分を目の当たりにしてしまったら、どうしよう。


 一抹の不安を覚えながらも、リトはおそるおそるノブを回して扉を開いた。


 どんなことが待っているにせよ、前に進まなければ何も始まらないのだ。

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