第3節 友との歓談と聖獣の羽

「失踪していた親が突然、ね……。それは大変だったねえ、リト君」


 そう言って、赤い髪の魔術師は湯気の立つコーヒーカップをテーブルの上に置いた。

 同じような色の髪で同じような職種なのに、彼は全く違うタイプの人物だな、とリトは思う。


 人間族フェルヴァーの王が治めるライヴァン帝国の宰相、ルウィーニ・フェールザン。

 いつも顔に浮かべる微笑みは穏やかであたたかく、リトが覚えている限りでは怒ったところはあまり見たことがないし、怖いと思ったこともない。

 初めて会った時、絶対に悪印象だったであろうリトに対して、彼は怒鳴ったりなじったりせず、いつも冷静に教え諭してくれた。まるで教師のようだった。


 唐突すぎる彼の訪問を経て、今ではこうしてライヴァン王城の応接間でゆっくりと話せるほどの間柄になっているのだから、人と人との縁とは不思議なものだと感じる。


 エルディスと再会してから一週間後、リトはラァラとラディアスを連れてライヴァンへ入国した。

 父から逃れるためというよりは、もともと数ヶ月前から三人で計画していた旅行だった。

 家出中の身の上のため、ティスティルと国交の深いライヴァンへ行くのをラディアスは完全拒否だった。しかし城に行かなくていいように、自由行動の時間も作るという条件のもとなんとか承諾してもらったのだ。


 旅の目的はふたつあった。


 ひとつめは、交際中のラァラを友人たちに紹介すること。

 そしてふたつめは、友人たちと顔を合わせて話をするためだった。


 年齢退行してしまったために、初対面では三十代ほどだった外見が今や十代後半ほどになってしまっている。

 そして、訳あってその場に居合わせてしまったゼルスの怪盗として名高い銀闇は、リトの友人と縁の深い人物だったのだ。

 だから当然、今の自分の現状について耳に入っているだろうと考え、きちんと説明するために会っておこうと思ったのだ。


 リトにとって初めての人間族フェルヴァーの友人ロッシェ・メルヴェ・レジオーラ、その人に。


「どうして、さっさと王宮に通報しないんだい。リト君」


 いつもより、いささか低く感じる声だった。

 顔を上げると、リトと向かい合わせになる形で腰掛けていたロッシェと目が合う。


「それはさっきも言っただろう、ロッシェ。約束を破ったりしたら、向こうを刺激してしまう。ラトやラァラを危険にさらしたくない。それに王宮に報せてしまったら、ラトがウチにいることがバレてしまう」

「通報してしまえば、黒曜姫は全力でリト君たちを保護してくれるに決まってる。それに、君は退行したのは最近のことなわけだしさ。それでディア君の居場所が彼女に知られることになっても、それは彼の問題だろう」


 青いガラス玉のような目が、すっと細くなる。

 真剣なのには違いないのだが、目元が険しくなっているような気がする。


「優先すべきなのは、君とディア君、そしてラァラ嬢の安全だ。そうじゃないのかい」


 ロッシェが言いたいことも分かる。

 だけど。


「最近、ようやくラトも元気になってきたんだ」


 ぽつりと言うと、返事はなかった。どうやら聞いてくれるらしい。


「最初ウチに来たばかりの頃は寝てばかりだった。起きてる時もぼんやりしていて心配だったけど、俺も仕事があるしラァラも学校がある。だから無理やり起こして、ラトにこっちの生活リズムに合わせてもらうようにした。そうしたら、ようやく元気になってきて、よく笑うようになってさ。それに、ラトは俺の命の恩人だ」


 自然と笑みがこぼれる。

 

 今では自分で起きるし、あの泣きそうに笑うような表情かおはしなくなった。

 彼はたぶん自分よりももっと繊細なんだろう。

 いろいろあってたくさん傷ついて、きっと今は心を休めている時期だ。


 おそらく彼の場合、荒療治は合わない。


「だから、俺はラトの気持ちを汲んでやりたい。それにあんなでも、エルディスは俺の父親だ。機嫌を損なわなければひどいことにはならないさ」

「そんな甘いこと言ってられる事態じゃないだろう」


 ぴしゃりと、今までになく低い声で言われて初めて、リトは気づいた。

 細い眉を寄せて、軽く睨んでくる人間族フェルヴァーの彼。

 ロッシェはたぶん、怒っているのだ。


「父親だからとか、今はそんな考えを捨てた方がいい。実際、彼はディア君に呪いをかけようとしたんじゃないか。次は君に危害を加えないとも限らないだろう? だから、君の後見人はすぐに逃げろと言ったんじゃないのか」

「それは、そうだけど……」


 目を伏せて、リトは考える。


 そう、すぐに逃げるべきだった。

 ラァラとラディアスを連れて、逃げるべきだった。それは分かってる。


「どこに逃げろって言うんだ。王宮は頼れないし、俺の後見人や部下たちは巻き込むことなんてできないだろ」


 正論ばかり突きつけられて、多少むかついていたのもあった。

 ムッとして言い返すと、ロッシェは目を丸くしてから泳がせる。

 そして、少ししてから、ぽつりと言った。


「僕がいるじゃないか」

「——は?」


 唐突な、予想外の切り返しにリトはぽかんと口を開けて、石のように固まった。


「どうして、僕を頼ろうとしなかったんだい」


(いやいやいやいや、だめだろう!)


 顔を引きつらせながら、リトは内心ツッコミを入れた。

 しかしせっかくのツッコミも相手に伝わらなくては意味がない。そう結論づけたリトは言葉にすることにした。


「だめに決まっているだろ。ティスティル帝国の国民である俺がライヴァンこっちに逃亡したら、国際問題になるじゃないか」

「別にいいじゃないか。緊急事態なんだし」


 後先考えていないのか、それともそれを含めての提案なのか。

 本気なのか、そうでないのか分からず、リトは焦り始める。


「色々バレた後に俺が女王陛下に怒られるだろ。というか、基本的にあの人の方針は——」


 思わずソファから立ち上がって、なんとかロッシェを落ち着かせようとした矢先。

 彼の隣で話を聞いていたルウィーニが、ぷっと吹き出して笑い始めた。


「笑うな、ルウィーニ」


 軽く睨まれてもなんのその。腹を抱えて笑い始めているところを見ると、彼は態度を改めるつもりはないのだろう。

 宰相の立場であるルウィーニなら自分の意見に頷いてくれると思っていたのに。

 なにがおかしくて、この魔術師は笑い出しているのか。


「あはは、ごめんごめん。まさか君たちがこれほどまでに仲睦まじくなるなんて、誰が予想しただろうかと思ってね」


 それは、笑うほどのことなのかとリトは思う。

 いや。たしかに、最初からオトモダチという仲ではなかったけども。


「まあ、ロッシェの言い分は分かる。きみはディア君も抱えているのだし、どこにも頼れるところがないのなら、一時的な避難場所としてライヴァンうちを頼ってくれて構わないよ。それなら、リト君も気が楽だろう」

「少しの間だけなら……考えなくもないけど」

「俺としては、お父君がきみを手にかけるなんて考えすぎだと思うけど。……そうだね、リト君、万が一の時のためにこれをプレゼントしよう」


 そう言って、ルウィーニは懐から取り出して見せたのは、白い輝きを持った一枚の羽根だった。

 風の民と知られている翼族ザナリールの羽根は青いことが多いし、そもそも形が違う。

 たぶん、魔法道具マジックツールなんだろうけど。


「これは?」

「この羽根はね、ある精霊獣からもらったものなんだ。効果としては、かけられた呪いを無効にすることができる。ただし、効果は一度限りだ。今の君にきっと役立つと思うよ」


 にこにこと笑って差し出されるままに、リトは手を出して受け取る。

 動かして観察してみると、どの角度から見ても白い煌きを放っている。美しい造形の魔法道具マジックツールだ。どういう効果なんだろうか。


「……ありがとう。大事にするよ」


 素直に礼を言えば、ルウィーニは目を丸くした。

 どこに驚く要素があったのか首を傾げれば、今度は顔を綻ばせる。


「君は本当に変わったよねえ」

「……そうか? そりゃ、前より背が縮んだし変わってると思うけど」

「見た目だけじゃないさ。君の性質もずいぶんと変化したよ。もちろん良い方向でね」


 そう言って、彼は赤い宝石みたいな双眸を細めて、柔らかく微笑んだ。

 その表情はまるで、子どもを見守る大人のような印象を受ける。


 心のどこかで、リトには分かっていた。

 ルウィーニだけじゃない。再会した途端、ロッシェまでもが今までとは違い〝リト君〟と呼び始めているのだ。

 退行したリトを哀れに思ってのことではない、と思う。

 そうではなく、彼らはきっと魔族ジェマの民が見た目を重視する傾向にあることを理解しているのだ。だから、若返って自分たちよりも年下の容貌になったリトに対して、接し方を変えたのだろう。


 セリオは言っていた。

 年齢退行は、自衛の一種。若返るということは子どもに戻り、信頼している大人に助けを求めようとしているのだと。


 だとしたら、思い込みとはいえ友の喪失と激しい胸の痛みで倒れた自分は、一体誰に助けを求めていたのだろうか。

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